T

□Violet fizz
1ページ/1ページ




あいつの席は空っぽになった。
最初の頃はマスターが席にReservation(予約)札を置いていたようだが今はそんなこともなくなった。

去る者追わず。
ここは店なのだから当然だ。

バイトにだって理解できるだろう。
決して馬鹿な方ではない部下が自分の予想に反してそんな行動をするのが癪だった。
無性に、癪だった。




Violet fizz.




考えたらそれだけ時間割いてるってことで、
意識して考えないようにしたらそれはそれであいつに意識を割いてるってことで、
どこへ思考の駒を動かしてもその先にはいつもあいつがいる。

なんなんだよ。 本当、なんなんだよ。

グラスを傾ける。
いつも通りの味がした。
いつも通りの味でよかった。
いつもと同じ酒なのだから当たり前だ。

何もかもいつも通りだ。

その実感はつっかえ棒だ。そいつは俺を支え、そして頼りない。



細い糸を手繰っていけば、その先にあいつはいるだろう。
最初から、いつ切れてもおかしくなかった糸だ。
あいつからの一方的な押し付けがなかったら存在できないほどの細さ。

最初と同じ。
俺は何もしない。
何も変わらない。

「…」

何も、って何が。
言い聞かせている時点で、ああ、俺は変わってしまった。
知っている。何が変わって、何が変わっていないのか。


うんざりと肘をつき頬に手をやり刺青をなぞる。

いい香り、綺麗な色ですねと飲んでいたバイオレットフィズの紫色が脳裏にこびりついている。
世間の馬鹿達が勝手に付けているカクテルの意味をあいつが知っているとは思えない。
だからあれに意味など…理由など無い。


ひとつだけ言えることは、
来る者拒まず。
ここは店なのだから当然だ。

ただ…そのくらいだろうか。




(わたしを覚えていて)




[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ