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□嘯く
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「秋山さん!口笛って出来ますか?」
「…は」

少し弾んだ息と、その口から唐突に出された問いかけ。

彼女が走って向かってきたから一体何があったかと思えば、口笛?

「出来るけど」

「私、どうしても出来ないんですよ…。小さい頃から練習しているんですけど、一回も出来たことなくってずっと諦めてたんです。
でもさっきフクナガさんが口笛吹いてたんです!すっごくお上手だったんですよ!」

…なるほどね。
「私もあんな風に素敵な音を出せるようになりたいです!」
きらきらとした目をしている彼女は子供のようだ。
たかが口笛されど口笛。

「フクナガに聞かないのか」
そのままフクナガに聞くのが自然な流れだろう。
わざわざ離れている俺のところに小走りで駆け寄ってくる必要があったのだろうか。

「聞いたんですけどフクナガさんが絶対!他の人に教えてもらったほうがいいよって言ったんです」
「フクナガが?」
「私があんまりにも下手だったからでしょうか…?」

少ししょんぼりとする彼女。
ころころ変わるその表情は見ていて全く飽きない。

それにしても何故フクナガはそんなことを言ったのだろう。
見ている限り、フクナガは彼女と一緒の時うるさいくらいにきゃいきゃいとはしゃいでいるというのに。
口笛は口頭で説明するのが難しい。
正直者の言う通り本当に手の付けようがなかったのだろうか。

「…ちょっとやってみて」
「は、はいっ!
でも本当に全然出来ないんですよ?わ、笑わないでくださいね秋山さん」


いきます!と意気込んで
彼女は顔を赤らめながら
必死に瞳を閉じて口をすぼめて息をついていた。

その姿は、

「…なるほど」

これはだめだ。反則だ。これじゃあまるで。
キスの催促をしているようにしか見えない。


熱い料理を冷ましているというような、ひゅーっと音にならない息を出す彼女を俺はどうしたものかと眺めていた。

…こんなのを他の奴に見せるわけにいかない。
手を出されてしまうに決まってる。

そうこうして諦めたのか彼女は口笛(に近いもの)をやめ、瞳を開けた。
「やっぱり出来ないです秋山さん…」
その瞳にはまた涙。
何故こいつはこんなにも、嗚呼、無防備なこの正直者には男というものがまるで理解できていない。

「お前、他の奴のところにも行ったか?」
「え?いえ、秋山さんを一番に見つけたので…まだフクナガさんにしか教わってないです」

よかった。
ここで阻止できていなかったら彼女はずっと色んな奴の元でこの表情をしていたことだろう。


――――フクナガ、貴様。
奴の心意を悟った時にニヤニヤとうざったらしい茸の笑みが脳裏をよぎった。
…くそ。


「泣くんじゃない。分かった、教えてやるよ」

だから、
「ただし違う奴に教えてもらうのはだめだ。それが条件」
「…?なんでですか?」
「俺のやり方には少しコツがあるんだ」
「コツ、ですか」
「少々難しいかもしれないが、一回コツを掴めば安定した音が出る」
「私なんかにも出来ますかね…?」
私センスないと思うんです、と彼女は続けて目を伏せた。
「お前なら必ず出来る」
そう言えば彼女が自信を持てることを俺は知っている。
どんな言葉でもそのままそっくり丸呑みしてしまう正直者。
丸い目を俺に向けて離さなくなった彼女に最後のもう一押しを。
「だが、練習してもお前が別の奴に教えてもらったりすると、お前はそいつのやり方と混同してしまうかもしれない。
そうしたら俺が教えるのはなかなか困難になるだろう?時間だってかかる」
こくこくと納得しながら頷く彼女は、嘯く俺を一遍も疑わない。
「だから一人に絞るのが一番最短ルートだ」
「ああ、分かりました!」
輝く笑顔。
一点の曇りなく、曇りだらけの俺に笑いかける。
「私頑張ります秋山さん!」
ご教授お願いしますと彼女はそのまま頭を下げる。

目に見えるように満ち満ちたやる気が彼女から発せられていた。
いや、まあ、俺も口笛なんてそんなに意識したことなんてないんだけど。
コツだってただのホラ。
口笛の吹き方なんて大抵みんな同じなはずなのだ。
そう心の中で呟いた声を彼女は知る由もない。


「じゃあ秋山さん!早速教えてください!」
「ん、ああ。じゃあまず」

舌で少し唇を舐め、
「唇は乾いているより濡れているほうがいい。
そのほうが音は出やすいから、    ・・・?」
「・・・・・・」
彼女の様子がなんだか急に変わったような。
何も言わず、ただぽけーっとこっちを見つめてくる。心なしか、顔が赤いような気も。
「おい」
「っあ、はい!」
「どうした?」
「い、いえっ!なんでもないですよ!」
お前のなんでもないは一番信用ならない。そう口を開こうとしたら
「私、ちゃんと説明聞いてましたよ
ただ、秋山さん色っぽいな〜って思って、ちょっとどきっとしちゃいました!」
ふにゃっと笑う彼女。
爆弾投下とも言える、衝撃。
一瞬の思考停止。
「――――・・・」
なん・・・?

黙って固まる俺を見て
「!あっ、あっ、すみません!男の人ってそういうことを言われたら嫌なんでしたよね!?
ご、ごめんなさい、私そんな、」
「・・・大丈夫だ。そんなこと」
脱力しそうになる。嗚呼、お前って奴は本当に―――
「怒ってませんか?」とすかさず聞く彼女を安心させるため
「ああ。怒ってないから、別に謝る必要もない」彼女の頭に手をのせた。



色っぽいと、その口が言うか。











「舌は、前歯の後ろに先端がつくくらいの位置」
「む、難しいですね・・・」
「あまり意識しないほうがいいかもな。
息を長く吐くんだ。口はなるべく小さく開け」
「はいっ」
「適当にやっていても絶対に鳴るポイントがある。
こんな風に」
ぴぃいいー

なんてことはない、ただ一吹きしただけの音を出してみせる。
「こんな感じ。
自分のポイントが見つかるまでやるしかない」
ただそれだけのことなのに、この少女はえらく羨望の眼差しを向けてくるのだ。
「すっすごいです!そんな高い音出せるんですね!」
「音程は変えられる。・・・まずそれよりも先にお前は音を出せるようにしないとな」

「はい・・・
じゃあ以上のことを踏まえて一回やってみます!」

よし、とガッツポーズをつくって気合を入れる彼女を見るとつい笑いそうになってしまう。
だが本人はいたって真剣だ。笑ったら「何笑ってるんですかっ」と言われそうな気がする。


「こ、こうですかね」

「ああ、  ・・・!」


その刹那
俺は気が付いた。
こいつがあんまりに無防備なものだから他の奴に見せないようにと必死だった。
それを阻止した時点でフクナガには勝ったと、そう思っていた。
だが
そういえばそうなのだ。これは大前提のお話。

やはり俺はフクナガに嵌められたようだ。


俺はこれから何回も
この無防備に瞳を閉じて、濡れた唇をした正直者の彼女を目の前にしなければならない。
ということ。





嘯く

――うそぶく
【意味】とぼけて知らないふりをすること
    ホラをふくこと
    口笛をふくこと




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