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□追想
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俺の母は厳しい人だった。

そんな母が亡くなったのはまだ医学生をしていた頃だ。
日々なんとなく相手にしていた卓上の死を、痛感した。
色々なことが変わった。それこそ、何もかも、だ。

一番は自分を叱る者がいなくなったことか。


それからそう遠くも無い内に大学を辞めた。
同じ道を競っていた奴等と逆の方向を向くのは、別段難しいことじゃなかった。
目指していた、と言ったって、なんとなくだ。そこに明確な理由は存在していなかったように思う。

証拠に、退学届けを提出した時も心はぴくりとも動かなかった。
ただの紙にしか見えなかった。

これでおしまい。


無機質な建物を出て、空を見上げながらゆっくりと歩いた。
前を見る気分にはとてもじゃないがなれなかった。
俺、もう十分見ただろう、なあ、母さん。

そうやって歩いているうちに、いつの間にか大学の正門のところまで来ていた。

頭に叩き込んだ沢山の式も言葉も何もかも、全部が全部、薄っぺらに感じた。
何の意味も持たないものなんてそんなの無いものと同じじゃないか。

流れる雲を目で追い思い出す。
中学生の頃、テストの時。
こんな用紙一枚で人生が決まるなんて、とシャーペンを走らせながら思ったことがあったっけ。
誰でも考えそうなことだ。それは諦めにも似た小さな反抗だったのかもしれない。

そうか。
文字通り、紙っぺらに始まり、紙っぺらに終わったわけだ。

自嘲の笑みを浮かべながら、もう二度と足を踏み入れないであろう敷地を後にした。
頭の中で母の顔が浮かんで消えていったのを今でもよく覚えている。



それからというもの、俺は甘ったるくも苦々しかった日常の外側で浮かんでいた。
バイトしていたバーの経営者に気にいられて店を任されたのはその頃だ。

俺は世間から爪弾きされた暗い日常の底をわざわざ覗き込んで、おちた。
親に言われて行動していた俺にとって、それははじめて自分で選んだ道といっても過言ではなかっただろう。

住めば都とはよく言ったもので、この道を選んでからもう7年が経つ。
肝を冷やすようなことが一回も無かったというわけではないけど、最初に想像していたよりか居心地は悪くない。
他人が思い描くような幸せとは程遠い道だとしても、それなりに自負心はあるのだ。
己の手で築けたものだってある。
幸せの形なんて人それぞれだと誰かが言った。ありきたりな言葉だけど、否定はしない。

だが思考の穴にはまることもある。
不意にやってくる虚無感と気だるさ。あの頃と同じだ。
何故俺はこんなことをやっているんだっけ、なんて。
母の敷いた道から抜け出したのは他の誰でもない自分だというのに。

そんな時は思考に蓋をして目蓋を閉じて眠ってしまうのが一番だ。

本当は分かっている。
まじまじ見るのが、自覚するのが怖いのだろうと思う。

俺は、昔も今も、ただ単に
誰かに認められたがっているだけなんじゃないのか、なんて。





「桐生さん」

…?

「桐生さん!」

どこかで声がする。
色気だとか邪推だとか意図的に作られたそれとはかけ離れた…


次に、視界がぶれる。
揺れる像に堪えきれず、蓋を開けた。



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