T

□赤と黒と金と赤
1ページ/2ページ





明るさに満ちた二つの声
「「いただきますっ!」」
物静かに低い声が続く
「いただきます」

次に遅れて聞こえてきたのは低すぎる上に小さすぎる声だった。
「…イタダキマス」


小さな卓上花の飾られたテーブルの上、ほこほこと湯気が出ている料理。
それを囲んで4人は座っていた。


金髪からちらりと状況を確認する。
隣の篠宮。かぼちゃの煮物のほくほく具合を絶賛中。
右斜めの秋山の嫁。篠宮から向けられた賛辞に照れ笑いを浮かべている。
そして正面の秋山。この2人独特の生き生きした空気に慣れているのか、素知らぬ顔で箸を延ばしていた。

「……」

くそ、なんなんだこれは。

百歩譲って。
この誘いを最終的に受けたのは紛れも無い俺自身なのだ。
それは認めよう。
だが、なんで秋山と真正面で顔合わせてメシなんて食わなきゃならない。
だからって隣同士も嫌だが。そもそも同じ空間で食うのが嫌だ。癪だ。

「…、」
「……」

…そんなことをしていたら秋山と目が合ってしまった。不快だ。







今日の俺の予定は真っ白。丸々休み。
さて何をしようかと考えたが、いざとなれば自分の為にやりたいことなど何一つ浮かばない。
どこかに連れて行くかなんてガラでもないことを考え、聞いてみれば篠宮はその日秋山の家に行く予定になっていたらしい。
以前からその時作ったという菓子を篠宮から貰ったりだとか、家はどこだとかなんだかんだ、バーでよく話しを聞いていた。
まあ酔ったこいつはたいてい俺の反応もよく見ず、その後夜に俺の反撃をくらうのがオチだったけど。
残した赤い印は数知れず。そんなに楽しそうに話すお前が悪い。
何故こうも学ばないのか。その方がよっぽど理解できない。

しかしなんでも今回は一ヶ月前から約束していたとかで。
篠宮は頑なに最初に約束したのは直さんのほうだからと、17時まで、17時になったら御暇します、だめですか、と。
そんなまるで両親と約束を交わす小学生のようなことを言った。
まあいいか。秋山の家というだけで腹の中心が曲がる気がするのは否めないが、そもそも朝っぱらから起きれる自信も無かった。
そう純粋に思い、惰眠を貪り起床すること二時間前。

季節ももう春から夏、夏から秋へと移ろい、だいぶ涼しくなった。
辺りもなんとなく赤みがかり、時の流れは一日の終わりを速める。

過ごしやすいこと、そして最近忙しかったこともあったせいか少々寝すぎたようだ。
予定より少し遅れて準備をし、車を動かしにかかる。
さっさと篠宮を秋山宅から回収して帰宅する予定だったのだ。
…あの時丸め込まれるまでは。

以前迎えにきた時停めた駐車場に車をつけ、慣れた手つきでコールする。
急な電話に最初驚いた声を上げた篠宮は、次には俺が思ってもみなかったことを言い出した。

秋山先生は今日仕事の関係で遅くなるそうなんです、だから約束したっていうのもあるんですけど、直さんもああ言ってくれてますし、桐生さんも夕食食べていきませんか。

すぐさま断ったのは言うまでもない。だが篠宮が食い下がること数分、とうとうこっちが折れた。
このままだと家から出てこなさそうな気もしたし、どうせ夕飯は食わなきゃならないし、秋山はいない。
…今思うと、その最後の部分を信じたのがいけなかった。確証もないというのに。
俺はいつの間にかそういうことに鈍くなってしまっていたようだ。
毒されるともいうのだろう。


駐車場から目的地はそう遠くもない。
歩いてその家に向かうと下で篠宮が立っていた。

いつも通りの棘のある言葉を交わしながら、自動ドアをくぐりエレベーターに乗り込む。
廊下を慣れた足取りで進んでいく篠宮のあとを何も言わずに着いていった。

とあるドアの前で立ち止まる。
細い指がインターホンを鳴らし、取り付けられた小さなカメラに向かって手を振るのを後ろでぼんやりと眺めていた。
あの秋山の嫁とは一体全体どんな奴なのだろう。

『今開けますね!』
電子越しの声が聞こえ、そう遅くもない内に扉が動いた。

手書き風のりんご柄のエプロンを身につけた、篠宮よりほんの少しだけ背の高い女。
隠し切れないその大きな腹は彼女が妊婦であることを示している。
おいマジかよ、と思うよりも早く、ゆるい茶の髪が揺れふわりと微笑む口が「はじめまして」と言った。
「…どーも」
篠宮から聞かされている交流の数々。初対面だが、その想像から全くぶれない。
間違いなく俺らみたいな奴に食い物にされるタイプだ。

ただ驚いたのは、俺の姿、顔を見ても一瞬たりとも表情が変わらなかったことだった。

そんな人間性の貴重さを体言しているかのような女を見て、篠宮が何故頻繁に約束をして家に赴くのか、何故あんなに楽しそうに話すのか気付いた。
相手がこの女だからこそだろう。一人で夕飯をとらせたくなかったのだろう。寂しげな顔をされたのだろうか。
篠宮の心はまあ分からないでもなかった。








背後に響く調理の音、明るい話し声、漂う夕飯の匂い。

招き入れられたあたたかい照明の中、俺はひたすらあぐらをかきながら猫背気味でTVを眺めることに徹した。
変な居心地だ。なんだかおかしなことになった、と思う。
ふわふわの絨毯。あの篠宮より更にふわふわしているあの女の趣味だろうか。
当の俺はその上で寝そべるわけにもいかず、背後に配置された黒いソファにもたれる形で天井を仰ぎ見る。
「…」

篠宮の相手をしている内に自分でも分からない何かが抜け落ちてしまったのかもしれない。
いつの間にか、気付かない間に。

ああ、俺って馬鹿みたい。
薄く息をついて、頬杖をついて、どこにでもありそうなつまらないTV番組から目を逸らす。

視線を横にずらし、棚を眺めると分厚い本が並んでいた。
だがどうもあの女が読むものではなさそうだ。

「?」
沢山の題名を指でなぞり見、青い題のところで指が止まる。
『極限状態における心理変化の考察 秋山深一著』。

はあ、へえ、そう。
手に取り適当にぱらぱらと流し見る。文字がぎっしり詰まっている中、数個ばかり心理学用語が目についた。
どんなもんか見てやろうか。

そうしてしばらく経ち、56ページ目を捲った頃だったか。
遠くでガチャリと扉の開く音がした。


「!どうしたんですか、おかえりなさい!!」
「ああ、思ったより早く終わった」

ぴたり。
本を読む手が止まる。

「わあ!これ、今行列ができてるって有名な…」
「研究室で葛城にもらった」
「そうなんですか!今度お礼しないと」

聞こえてくる声はどんどん大きくなる。
この低い声は、あの声は。

「お客さんが来てますし夕食のあとみんなで食べましょうっ」
「篠宮優だろう」
「はい。そうなんですけど、今日はあともう一人」
「え?、」
「あっ秋山先生お邪魔してます!」

そんな篠宮の声と同時に座ったまま振り返る。
いつの間にそんなに近付いたのか。
俺の背後に全身を真っ黒に固めた秋山が立っていた。

「……、」
「……」
「……、」

何でお前がここにいる、こっちの台詞だ、と言わんとした目つきで睨み合う二人を見て篠宮は冷や汗をにじませ、秋山の嫁は「大人数で食べたほうがおいしいです!」と心底嬉しそうに笑って言った。






そうして冒頭に戻る。

いつもの慣れた空間とは程遠い。
いつもはもっぱら篠宮が俺の居場所に無理矢理割って入ってきていた。
その度なんて場違いな奴だろうと思っていたが、これじゃ今は俺がそれじゃないか。
俺はこの家において完全に場違いな存在だった。

目が合ったあと、秋山は皿に綺麗に盛り付けられた秋刀魚の梅シソ巻きへと視線を落とした。
それはそれはごく自然に。
うまいこと秋山への嫌がらせができないものかと考えたが、この空間と相まって確実にあっちのペースに飲まれている。
手玉にとられているようで良い気分は全くしない。
すると秋山が薄く口角を持ち上げた。人を小馬鹿にしている表情だ。
あのネオンが輝く肌寒い会場で何回も見た。
ふつふつと鮮明に蘇ってくる。15脚の椅子、20枚のメダル、荒廃した空間…

「桐生さん?どうかしましたか」
隣から丸い瞳が覗き込む。篠宮だ。記憶は固まり、動きを止めた。
「なんでも」

右斜めからも視線が注がれる。
今にでも謝ってきそうな、そんなしょんぼりした表情を浮かべ秋山の嫁が俺に尋ねた。

「あの…お魚、苦手でしたか?」

その刹那、机の下に置かれた両足の甲に痛みが走った。
そして気付く。
右足に篠宮、左足に秋山が体重を乗せてきている。早く食えということか。

なんなんだこいつらは。意味が分からない。なんなの、もう。

やられっぱなしなんて論外だ。
比較的軽い篠宮の足を振り払い、自由になった右足で秋山を蹴る、蹴る、蹴る。

そんな影の攻防戦も露知らず、何も気付いていない秋山の嫁は変わらず俺に視線を向けたままだ。

そうか、こんなふうに誰かに守られて生きてきたのか、こいつは。

「すみませんでした…私ってば苦手なものも聞かないで…!今すぐ別のものを、」
「…いや別に」
郷に入れば郷に従え。
もういい。疲れた。さっさと食って帰るのが一番よさそうだ。

今まででしてきた中でも最も意味のないであろう争いは俺の離脱という形で終結を迎えた。

色々なことを諦めて味噌汁の茶碗を手に持つ。
味噌汁を飲んだのは久しぶりだと思う。具沢山なそれは出汁もちゃんととっているようだった。
「直さんはお料理が上手なんですよ」という篠宮の言葉は嘘じゃなかったようだ。
これが世で提唱されている「バランスのとれた食事」ってやつだろう。
季節のものを取り入れ、野菜、肉、魚。和風に整えられた夕食は栄養もちゃんと考えられている。

いい意味でも
「桐生さん、ほうれん草のおひたしもちゃんと食べてくださいね」
「……」
…きっと悪い意味でも。
俺、ほうれん草嫌いなんだけど。




篠宮と秋山の嫁の話は随分とはずんでいた。
楽しそうな笑顔の横、俺とその正面の男はその会話にたまに相槌を打って、もくもくと箸を進める。
輪に入るようなことはしなかった。
実際「そうだな」とか「うん」とか、それだけでも大してあいつらは気にしていないようだったし。

そんな状況の中、俺はたびたび秋山の嫁に「おかわりは大丈夫ですか?」と聞かれては味噌汁やら米を要求した。
寝ていて、何も食べていなかったんだっけ。結構実感、無かったけど。
食が進む。
どういう下ごしらえをしてるのかは分からないがほうれん草も意外と食べられた。

思ったより胃袋に収まった夕飯の余韻の間を漂いながら、その後デザートとして秋山が持ってきたスティックワッフルが登場した。
色とりどりなそれは最近流行っているのだと以前篠宮から聞いたことがある。
終始機嫌の良い篠宮と秋山の嫁は両手で持ってさくさく口を動かしていた。小動物かお前らは。
そんなことを思いながら二本目に手を伸ばすと、秋山の嫁が「桐生さんは甘いものが好きなんですね!」と言ってきた。
…なんだか変な感じ。
適当に「まあ、普通」と答えておいた。

篠宮と似ているようで、どこかが違う。
漠然的に、決定的に。
どう扱っていいかよく分からない。



見送られ家を出たのは20時を過ぎた頃合だった。
ずっと手を振り合っていた篠宮と秋山の嫁とは対照的に、俺と秋山は一回も言葉を交わすことは無かったが。

願わくば、もう、あいつと顔を合わせたくないものだ。


次へ

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ