bookshelf

□short
22ページ/26ページ





きっかけは些細なことだった。
親友が想いを寄せていた男の子が私に告白してきた。
親友がその男の子のことを好きだったことは知っていたし、当時小学生だった私には恋愛というものがあまりよく分かっておらず、普通に断った。
私にとっては不可抗力もいいところだが、親友にしてみれば一大事だ。
彼女は、手のひらを返すように私に嫉妬や怨恨の念をぶつけてきた。
直接ではなく、所謂いじめとして、だ。
事実無根な謂れのない噂を流されたりもした。
クラスや学年全体を巻き込むような事態にはならなかったが、事情を知らない男子が面白がって軽口を叩いてきた。
巻き込まれたくない生徒たちが、見て見ぬ振りをして廊下を通り過ぎていく。
嫌だな、と思いつつも大事にはしたくなくてどう対応するか考え込む。
男子たちは楽しそうにげらげらと笑った。

「女いじめてんじゃねーよ!」

強気な張りのある声に思わず顔を上げた。
隣のクラスの八田くんが両手をポケットに突っ込んだままずかずかと歩いて男子たちに近付いてくる。
男子たちは怖気づいた様子で口々に、うわっ八田だ、別にいじめてねーよ、などと情けない声を漏らす。
八田くんに押されるように男子たちは遠ざかっていった。
ほっとして肩の力が抜ける。
未だ視界の端に映る八田くんをまじまじと見つめた。
今まで彼は我侭ですぐに喧嘩をする粗暴な男子だと思っていた。
八田くんは、きらきらとふわふわと心地よい暖かさを纏って私の視線を引きつける。
安心感からか、胸の奥から暖かいものが身体全体に広がっていった。
八田くんって良い人だったんだ。
そう思いながら暖かい気持ちで彼を見送った。
角を曲がって、彼らが視界から消えてしまったので私も行こうと足を踏み出した。
そのとき彼らが去っていった方から話し声が聞こえてきた。
嫌に耳に付いた。

「お前、あいつのこと好きなのかよー」

「ち、ちげーよ!誰が、あんなブス!」

からかわれて弁明する八田くんの声。
冬の冷たい風が隙間から入り込んだみたいに、ひゅっと胸を冷やす。
一瞬、息が詰まって、身が竦む。
ああ、そうか…。
良い人だと、思ったのに。
もやもやとよく分からないものが蟠る。
なんだか残念に思いながら思わず止めてしまった足を無理やり動かして再び歩き出した。
ずきずきと痛む胸には気付かない振りをした。



きっかけは些細なことだった。
夜勤明けの重たい頭と身体を引きずって帰宅するところだった。
噛み殺しきれなかった欠伸を片手で隠すようにしてぼんやりと信号待ちをしていた。
びゅっと目の前を勢いよく突っ切った自転車に驚いて尻餅をつくように後ろに倒れ込んだ。
そのとき下敷きにしてしまった人が運悪くガラの悪いお兄さんだったのだ。
一生懸命謝りはしたものの、ごめんで済むなら警察はいらないわけで。

「あー、ダメだわ、これ。お姉さんが付きっきりで看病してくんないと治んないわ」

下敷きにしてしまったお兄さんが話し掛けてくる。
一緒にいたお兄さんが溜息を吐いた。

「ほ、本当にすみませんでした!」

身が縮み上がる思いでさらに頭を下げて謝罪する。
ぎゅ、とスカートの裾を握り締めた。

「いや、別に俺は謝って欲しいわけじゃなくてさ、」

「おい、テメーら!」

はっとして顔を上げる。
随分な速さでスケボーに乗ってきた青年が器用にボードを回転させてタイヤの音をギャリッと響かせながら勢いを殺す。
そのまま流れるような動作で、足先で蹴り上げられたスケボーは彼の脇へと滑り込んで抱えられえる。

「女に手出してんじゃねーよ!」

その彼の言葉に。
ポケットに手を突っ込んだ強気な佇まいに。
再びはっとさせられた。
それは何年も前、私が小学生の頃に八田くんが私を庇ってくれたことを思い出させた。
胸が高鳴る。
夜勤明けで疲れた上にトラブルを起こしてしまったことですっかり萎縮して狭くなっていた視界が、ふわりと暖かくて眩い光が差し込むように一気に開けていく。
逆光で彼の姿だけがくっきりと網膜に焼き付いた。
まるで映画のワンシーンみたいだった。
感動で高鳴る胸を押さえて息を飲んだ。
まさかと思いながら、どきどきしながら彼に訊ねた。

「もしかして、八田くん?」

「あ?」

私に話し掛けられると思っていなかったのか、怪訝そうにこちらを向く。
驚きと期待とで大きく目が見開かれ僅かに頬の紅潮したヒロインと真面に顔を合わせてしまった八田は、すいっと恥ずかしそうに視線を逸らす。

「なんだー、八田さんの知り合いっすか?紹介してくださいよー」

「はあっ!?」

八田くんはガラの悪いお兄さんと仲良さそうに話す。
顔を真っ赤にしてギャンギャンと吠えている。
彼らが知り合いだったということにほんの少し胸がざわついたが、八田くんがいるということの安心感はとても大きかった。
さっきまでの不安が嘘のようだ。

ヒロインに下敷きにされた千歳に一頻りからかわれたあと、八田は、ヒロインが同級生で同小だということと名前を聞いて合点がいったらしかった。
そして、女の子というものはほんの数年でこれほどにも様変わりするものなのかと驚かされた。
幼かったヒロインが立派に女性になっていたから、というのもあるが、実際のところは八田が真面に彼女の顔を見れなかったから誰だか見当がつかなかったのである。



八田と随分と印象深い再会の仕方をしたヒロインは、千歳と下敷きにしてしまったこともあり吠舞羅のメンバーとはバーの客という形で仲良くなっていた。

ゴロゴロとアスファルトの上を調子良くスケボーで滑る。
八田がHOMRAの近くまで来たとき、バーの近くで入口をぼんやりと見つめたまま突っ立っているヒロインの姿を目に留めた。
スピードを落としながら彼女へと近付いて声を掛ける。

「入んねえのか?」

「や、げほっげほ、八田くん、」

こちらに顔を向けたヒロインはマスクをしており、八田の名前を呼ぼうとして咳き込んだ。
なんとか名前を口にした後も、声の調子を整えるようにしばらく咳き込んでいた。

「おい、大丈夫か?風邪ひいてんなら帰って休めよ」

「うん…でも、学校も行けたし、ちょっと寄るくらいなら大丈夫かなって。でも、みんなにうつしちゃったら迷惑かなって…」

そう言いながらぼんやりとこちらを見つめる双眸は熱に浮かされており、顔もなんだか火照っているように見える。

「お前、熱は?」

「朝は計ったけど…」

つまり、今は分からないということか。
熱が上がった可能性がある。というかどう見ても熱がある。
はぁー、と八田はひとつ溜息を吐いた。

「今日は帰れ。HOMRAにはいつでも来れんだろ。送ってやっから」

スケボーを降りた八田くんは、帰宅方向はどっちだ、とでもいいそうな、有無を言わせないような様子でこちらの様子を窺った。
八田くんに会えたし、まあ帰ってもいいかな、と思う反面、送ってもらうのは申し訳ないな、とも思う。
それでも、せっかく彼が送ってくれるというのに断る理由もなかった。
HOMRAには八田くんを見に行っているようなものなのだけれど、彼はいつも周りを強面の仲間たちで固めてしまって近寄るチャンスがなかなかないのだ。

途中で自販機を見つけた八田は、ヒロインに何か欲しい飲み物はないかと訊く。
スポーツドリンクがあったのでそれを伝えると八田はそれを買ってヒロインに手渡した。
慌ててお金を払おうとしたものの、八田に、いいからもらっとけよ病人だろが、と断られてしまいヒロインは申し訳なく思いながらも渋々小銭を財布へと戻すのだった。
八田に奢ってもらったドリンクのボトルはひんやりと冷えていて気持ちいい。
ヒロインはそのボトルを頬に当て幸せそうに、ふふ、と柔らかく微笑んだ。
その様子を見ていた八田の顔が伝染したようにふんわりと赤く色付く。
胸が擽ったくなって思わず目を逸した。
そんなに、嬉しいのか。
しばらく八田の心臓は忙しなく鼓動を刻むのだった。



客としてバーに通いつめていたヒロインは、吠舞羅のメンバーたちとは顔馴染みになっていた。
今日も草薙さん特製のカレーを食べながらHOMRAに居座っていたのだが、どうにも浮かない表情をしていることに草薙が気付く。

「なんや今日元気あらへんな」

「あー、うん…」

言いづらそうにヒロインが言葉を濁す。
持っていたカレースプーンをカチャ、と陶器がぶつかる音をさせながら置く。

「日曜に、ね。お見合いがあるの」

「お見合い?」

「お父さんの会社の、取引先の人」

ふーん、と鼻を鳴らすように返事をした草薙さんが続けてとんでもないことを言う。

「でもヒロインちゃん、八田ちゃんのこと好きやったんやろ?」

へ!?とも、ふえ!?とも表記できるような驚いたような声を上げた。
だって、草薙さんが知ってるとは思わなかったのだ。
恥ずかしくて顔が熱くなる。
俯いて視線を右往左往させて口元をきゅっと引き締めて、小さく肯いた。

「断らへんの?」

「、でも…」

ヒロインが、ぎゅ、とスカートの裾を握り締める。
草薙は彼女が何も言わないのを見ると先を促すでもなく、彼女との会話で手を止めていたグラスを磨く作業に戻るのだった。



結局、八田くんには何も言えなかった。
だって、これは私の問題だ。
彼に言えるわけない。
ずっと抱え込んできた、大切に育ててきた恋心に見えない振りをする。
八田くんに、迷惑を掛けたくないんだ。
彼はいつだって眩しくて、私が困っているときヒーローみたいに格好良く助けてくれた。
私には手の届かない…
そこまで考えて、はっとする。
私は、今、こんなことになってまで八田くんを頼りにしている。
自分では何もしようとしないでおいて。
卑屈になって、言い訳して。
自分のこと一方的に被害者だって思い込んで。
こんな情けない私なんて、彼に好きになってもらえなくて当然だ。
やっぱり、気持ちを伝えなくて正解だったのかもしれない。
きゅ、と唇を噛み締めた。
今まで上の空で聞いていた見合い相手の話に意識を戻す。
私と目の合った見合い相手の男性はにこやかに微笑んだ。
ああ、そうだ。きっと大丈夫。
これからも今までみたいに自分に都合の悪いことは見て見ぬ振りをすればいいんだ。
お父さんを、この人を、悪者にして生きていくんだ。

それでも、やっぱり、私は、八田くんのことが…



縁談が粗方まとまって、みんなで店から出てきたときだった。

「ヒロイン!」

心臓が止まってしまったと思った。
ぎゅうっと胸が苦しいくらい締め上げられる。
はっきりとした張りのある、八田くんの声だ。
八田くんがここにいるというそれだけで、彼の声を聞いたそれだけで、涙が溢れてしまいそうだった。

「お前、本当にそいつのことが好きなのかよ!?それでいいのかよ!?」

焦ったような真剣な彼の声が心に響く。
ぐっと歯を噛み締めて、目を見開いて、顔を上げた。
父親を睨みつけるくらいの剣幕で口を開く。

「私は、この人が、好きなんです」

緊張して強張ってしまっているはずなのに、どこか解放感があった。
今までどんなに誤魔化して生きてきていても、これだけは誤魔化しちゃいけないんだ。
素直になれたことを感覚的に理解すると、途端に堰を切ったように涙が溢れてきた。
彼女の顔を自身の胸に押し付けるように八田がヒロインを抱き締めた。
視界が真っ白になる。
八田くんの服の色だ。
安心して、嬉しくて、彼の背に腕を回して抱きついた。
やっと手に入れることのできた想いを、離したくなかった。











あとがき(memo12/14)
次へ
前へ  

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ