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※トリップヒロイン











ぜえはあと荒い息をしながらも走る。
息も絶え絶えになっても、口内が乾燥して唾液が粘ついても、走る。

どうして、私は…どうして、こんな…



「せやな、とりあえずは警察に渡すんが一番やろ」



なんで、どうして、私は…

なんて私は浅はかだったんだろう

きゅ、と口元をきつく結び、下唇を噛んだ。



「自分、帰る場所は?親御さんも心配しとるやろ」

「…いえ、」

「せやかて、困ったなあ。ウチもいつまでも君をここに置いとくわけにもいかんしなあ」



最初は、安心した。
自分の知っている場所で。
自分の知っている彼らがいて。
会いたいと、強く望んだ彼らに会えて。
嬉しくて。
彼らならきっと私によくしてくれるだろうと。
甘えていた。
きっと彼らなら、私を傍においてくれる。
仲間としていっしょに過ごしてくれる。
衣食住の保証もしてくれる。
勝手にそう思い込んで、甘えていた。

実際彼らは優しくて、衣食住も世話を見てくれて。
そうして彼らに甘えていた。
彼らに依存した。
彼らとともに過ごす日々は楽しくて、嬉しくて。
元々大好きだったんだ、惹かれるのは当然だった。



「でも、その、私、ストレイン、ですし」

「は、?」

「だから、その、ストレインなので、帰る場所が、ないんですよ」



離れたくなかった。
彼らとずっと一緒にいられると思った。
ずっと一緒にいたいと思った。

でもそれは、できないんだって、はっきり言われてやっと分かった。

彼らは赤の王の元に集った異能の集団で。
私は力を持たない、いわゆる一般人で。

当たり前だった。
普通なら、その世界に暮らしていたら、分かっているはずのことだった。
でも私は、彼らの性格や姿形は知っていても、その世界での生活は、一般常識は知らなかった。


それでも私は彼らと離れたくなかった。
離れるなんて考えられなかった。
彼らがいなければこの世界で呼吸をすることさえできないと思った。
目の前が真っ暗になった。
微かな希望の光に縋るように、私は、嘘を吐いた。


アンナちゃんのように、ストレインなら。
特別な事情があれば。
私をここに置いてもらえる。


けれどそんな口から出任せ言ってしまったところで、嘘を吐き通せるはずもない。

私は、浅はかだった。


アンナちゃんが赤いビー玉を覗き込もうとしているのを見て、弾かれたようにHOMRAを飛び出した。
大好きな彼らに嘘を吐いてしまったことに、どんよりと重苦しい後ろめたさを感じていた。
気が、動転していた。
この嘘がバレたら、彼らに嫌われたら。
私の目の前にはとっくに真っ暗な闇が訪れていた。
ああ、終わった。
心臓がバクバクと焦る気持ちを囃し立て、視界は上手く世界を映すこともできず、冷や汗は不快感を伴った。
世界はぐにゃりと歪な形をして私を拒んだ。



「ああ、良かった。こんなところにいた。さ、帰ろう」

十束さんが優しい声色で宥めるように私に話し掛ける。

帰れない。

帰りたくない。

捕まる。

安心させるような笑顔で十束さんが肩に触れようとしたとき、胸の辺りがひゅっと急激に冷え込んだ。
胸の中に小さなブラックホールができたみたいに、冷たくて、何もなくて、全てが持っていかれる感覚がした。


ふいに雷に打たれたような感覚がした。
大きな石版が見えた気がした。
何かとんでもない大きな力が私の中に入ってきた気がした。


バチィンと大きな音がしたかと思うと、十束さんは後方へと吹き飛ばされるように尻餅をついた。

「え、」

驚いたように小さな声を出した彼は、私に触れようとした手をじっくりと表裏を順番にひっくり返して眺めた。
何が起こったのか分からなかった。
ただ、私は、逃げるなら今のうちだと思った。



走って、走って、走り続けて、喉の奥からひゅーひゅーと気管が悲鳴を上げていた。
もうこれ以上走れないと身体中が悲鳴を上げても走り続けるしかなかった。
彼らに見つかったら、この世界は終わってしまう。
彼らとの日常が終わってしまう。
もう吠舞羅のみんなと笑い合うことができなくなってしまう。

ずっとフル稼働していた気管がついに引き痙って、げほげほと咳き込んだ。
そのままずるずると崩れ落ちるように地面に座り込む。
じわりと、涙が滲んだ。
それが分かった時にはもうぼろぼろと、雫になって零れ落ちていた。


きっともうとっくに終わっていたんだ、私の吠舞羅での日常は。
もう戻れないんだ。
私は、大好きな彼らに嘘を吐いてしまった。
彼らを裏切った。
もう、仲間には、戻れないんだ。


あたまの片隅でそう気付いたら、鼻の奥がツーンとした。
直に鼻水が垂れてくる。
ぐすぐすと子供みたいに鼻を啜った。



ゴロゴロとスケボーのタイヤの音が聞こえてくる。
八田くんだ。

一頻り泣いて随分と落ち着いていた。
きちんと事のあらましを話して、然るべき施設に行こう。
もう吠舞羅にはいられないんだと、諦めて、納得して、自分に言い聞かせていた。


「帰るぞ。仲間だろ」


当たり前のように彼が私にそう言ったから。

嬉しくて、感情が全部ごちゃごちゃになって。
私はまたみっともなくぐしゃぐしゃに顔を歪めて、わんわんと子供みたいに泣きじゃくってしまう。
それを見た八田くんはあからさまにあわあわと慌て始めた。
あまりに彼が取り乱すものだから申し訳なくて、ごめん、違うの、ありがとう、と言ったものの嗚咽がひどくて聞き取れたものではなかった。
ちょっと泣いて、しばらくして落ち着いて。
一息吐いて私は再び、ありがとう、と繰り返した。
泣いたあとの酷い顔をくしゃくしゃの笑顔にして。
それを見た八田くんは少し頬を染めて、安心したような笑顔になって、おう、とだけ言い返してくれた。
帰るぞというように八田くんが歩き始めたので、私もそれに続こうと重心を傾けて立ち上がろうとする。

…立ち上がれなかった。

「、八田くん、」

少し歩いて離れていた八田くんに焦って声を掛けると、すぐに返事をして振り向いてくれた。

「ごめん、なんか、腰が抜けたみたいで…」

「はあ?」

何を言っているんだといった声と表情ですぐさま駆けつけてくれる。
八田くんが傍まで来てくれて、私はもう一度立ち上がろうとしたが如何せん上手くいかなかった。
八田くんはしばらく視線を彷徨わせていたが意を決したように

「…掴まれ」

と小声で言っておずおずと手を差し出してくれた。
促されるまま、彼の手を取って立ち上がる。
握り締めた手は見かけより骨ばっていて筋肉質で固くて、それでいて滑らかで優しくて。
そして暖かくて。
本当は立ち上がりさえしてしまえば一人で歩けたのだけど。
なんだか彼の手を握っていることが嬉しくて。
私たちはそのまま手を繋いで歩いて帰った。










「あ、ヒロイン帰ってきたみたい」

「ほんまか。…なんやあいつらいつの間に」

「八田にもついに春が来たのかな」

十束が嬉しそうににっこりと笑顔になった。
HOMRAに入る前には手を離した二人だったが、その様子はしっかり窓から見られていたのだった。












あとがき(memo12/6)
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