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しとしとと雨が降る中、一人の少女がヒールの音を響かせながら歩く。
その手には買い物袋が握られており、もうすぐ昼時であることから昼食の材料が入っていることが窺える。
目的地に着いたらしく彼女はアパートの一室の玄関前に立ち止まると、インターホンを鳴らした。


ピンポーン、とインターホンの軽快な音が室内に響いた。
小さく舌打ちをした八田は、誰だよったく、と苛立たし気にコントローラーの一時停止ボタンを押してゲームを一時中断する。
雨の日は嫌いだ。
どことなく鬱屈とした気分にさせられる。
それはおそらく外に出てスケボーで走り回ったり吠舞羅の仲間たちと騒いだりできないからという理由であるが、八田はそこまで思考を巡らすようなことはしない。
だから、なんとなく苛々する≠フである。

覗き穴を覗いて外を確認することもなく怠そうに、はいはい、と返事をしながらドアを開ける。
玄関扉の向こうには見慣れた少女が立っていた。

「お昼ご飯、作りに来たんだけど」

そう宣言しながら買い物袋を翳したヒロインはどこか楽しげで口元は緩く弧を描いていた。



トントンと小気味良い音を立てながらヒロインは器用に食材を刻んでいく。
今日は一日雨だと天気予報がいっていたからおそらく彼は家に引き篭もっているのだろうと予想して来たのだが、当たりだったようだ。
念のため吠舞羅にも寄ったときに十束に、暇なら勉強を教えてくれと頼まれたのだが八田くんにお昼ご飯を作りに行くからと断ってきた。
その際に、いいねえ通い妻!などと茶化されたのだがその場に八田くんがいなくて良かったと心底思った。
彼のことだ、きっと照れ隠しにひと暴れするだろう。
なにより私が恥ずかしくて彼とどんな顔をして会えばいいのか分からなくなる。
しばらくは恥ずかしさからギクシャクしてしまうだろう。
火に掛けていた湯が沸騰したところで食材を静かに入れる。
八田くんは自宅ではあまり料理をしないらしく調理器具は必要最低限のものしか置いていないため、あまり大したものは作れない。
ここにある調理器具のいくつかは私が持ち込んだものだったりするくらいだ。
それを考えると十束さんの通い妻≠ニいう表現もなんだか的を射ている。
まさか私が調理器具を持ち込んでいることなんて彼が知っているはずはないのだが、十束多々良という人物はなにかと核心を突くような発言をする。
十束多々良、恐ろしい子…!などと脳内で一芝居しているうちに出来上があった料理を器によそう。
料理ができた頃合を見計らって八田が食器を出しているところを見ると、ヒロインがこうやってご飯を作りに来るのは一度や二度ではないことが窺える。



微細ではありながらも断続的に雨の降る音が背景のようにして聞こえる。
雨音が伴奏なら、主旋律は八田のプレイしているゲーム音で、副旋律はヒロインの読んでいる漫画のページを捲る音といったところだろうか。
ヒロインは八田のベッドに寝転んで漫画を読んでいたが、しばらくしたら読み終えたらしく次の巻を取るために起き上がる。
起き上がったあと数秒間ぼんやりしていたヒロインは持っていた漫画をベッドの上に置いて伸びをする。
その際に、んーっと鼻から抜けるような声を出した。
傍から見ると誰でも無意識にしてしまうようなよくある光景なのだが、八田はほんの少し動揺しているようだ。
ゲームを一時中断するまでには至らなかったが、視線はふらふらと彷徨い、ほんの少し頬が赤く染まっている。
伸びをしたときに発した声に色気を感じてしまったらしい。
嬌声というのは得てして鼻から抜けるような声をしていることが多い。そのせいだろう。
ヒロインは漫画を元あった場所に戻すと八田の近くに座りこんだ。
漫画を読むのに少し疲れてしまったか、飽きたのか。
一瞬八田の顔が緊張で強ばったが、ヒロインに悟られないうちに表情を直す。
雨音とゲームの音だけが響く室内でヒロインは八田の近くに座ったままただぼんやりとゲーム画面を眺めているだけだ。
いい加減痺れを切らした八田はデータをセーブしたあと一時停止ボタンを押す。

「ゲームするか?」

このゲーム≠ニしては今まで八田がやっていたものではなく、二人以上でできる対戦ゲームのことを指している。
いくらゲームとはいっても好きな人と対戦するのはなんとなく気が引けるヒロインはやんわりと断る。

「八田くんがしてるの見てる方が楽しい」

「…そうか?」

「うん」

ヒロインのことを気遣っての発言でもあったが、正直どちらかというと見られているのが落ち着かないからという意味合いの方が強かったので、断られてしまった八田は困って頭を掻いた。

「八田くん、続きしないの?」

明らかに中途半端なところでセーブしたのが分かっていたのだろう、ヒロインは八田に続きを促す。

「いや、その…なんつーか、あー…見られてると落ち着かねえっつーか、」

言い淀んでいるうちに八田の顔はどんどん赤く染まっていく。
ついには耳まで真っ赤になってしまった。

八田を困らせている自覚はあるのだが、漫画を読みたい気分でもないし対戦ゲームもしたくない。
どうしようかと悩んでいるとふとヒロインはある一点で視線を留めた。

「じゃあ、ゲーム見ないからさ、」

八田が顔を上げて視線の先にヒロインを捉える。

「膝枕してよ」

そう言うが早いかヒロインは八田の腿の上に頭を乗せて寝転がる。
小さく驚嘆の声を上げた八田は全身の血液が集まったみたいに顔を真っ赤にして反射的に身体がびくりと跳ねる。
その反動でヒロインの後頭部は不運にも床にぶつかる羽目になる。
ごつっと鈍い音がした。

「だ、大丈夫か!?」

驚いた勢いのまま八田がわたわたと慌ててヒロインを心配して声を掛ける。
ヒロインは後頭部を押さえて小さく呻いた。

「いたい…」

「わ、悪い!」

「うん…大丈夫」

痛みで涙目になりながらも、瘤にはなっていなさそうだな、と患部を撫でるヒロインに対して、八田は顔を青くしていて気が動転しているのが見て取れる。

「えっと、あっ、そうだ!病院!」

「大丈夫だって、ちょっと痛かっただけだから」

大袈裟な程に動揺する八田を見ていると面白くてなんだか涙が引っ込んでしまった。
くすくすと笑みが溢れる。

「ほ、本当に大丈夫なのか?」

「平気、平気」

「そ、そうか」

すまなさそうにシュン、と落ち込んでいる彼に犬みたいな耳が生えていたらきっと今は垂れ下がっているに違いない。

ふいに端末の呼び出し音が鳴ったので出てみると、十束さんだった。

『あっ、ヒロイン、ご飯食べ終わった?暇なら勉強教えてよ!今日草薙さん忙しくてさー』

「あっ、うん、分かった、今から行くね」

八田くんと離れるのは名残惜しいが、やることもなくて八田くんを困らせてしまっていたところだし、お暇するのにはちょうどいいだろう。
荷物を持って立ち上がる。
その途中で何かに引っ張られる感覚がして振り向いた。
視界に八田くんが服の裾を引っ張っているのが目に入ると、八田くんは慌ててその手を離した。
赤面してしどろもどろになりながら、あ、いや、その、などと呟いている。

「ごめん、十束さん、」

『あれ、もしかしてまだ八田の家?』

「うん」

『そっかあ〜楽しんでおいで』

明らかに喜色の滲んだ声から察するに、おそらく十束は電話越しにニヤニヤしているのだろう。
いや、そうに違いない。
きっと次にHOMRAに訪れた際にはからかわれるだろうことを思うとげんなりとする。
しかしこんな役得に見舞われたのも十束さんのおかげでもあるし、今度会うときには差し入れでもしようかな、とぼんやり考えながら、奥手な想い人の可愛らしい行動に顔をニヤつかせるのだった。












あとがき(memo6/22)
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