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ぼんやりと、ただ交差点に立ち竦んでいた。
私のすぐ目の前で担任の先生が黙祷している。
傍らには今しがた備えられたばかりの花束が噎せ返るような花の香りを放っている。
なんとなくこの女性のイメージに合うなあ、と思った。
彼女は合掌していた手を下ろして目を開けると、腕時計で時間を確認する。
そうして徐ろに端末を取り出すと通話を始めた。

「ごめーん、遅くなっちゃった!まだ飲んでる?うん、うん、今から行くー!えー?待っててよー、すぐ行くってー」

楽しげに笑いながら、髪を掻き上げながら、楽しそうに笑っている、私の元担任の先生。

お父さんの仕事の関係で引っ越してすぐのことだった。
転校してからまだ日が浅く、やっと通学路にも自信が持てるようになってきた頃、私は交通事故で死んだ。
ほんの数日前のことだ。
あっという間の出来事で、気付いたら私は交差点でゴミ収集車と私の死体を見下ろしていた。
どうすればいいか分からなくて、ただぼんやりとここに佇んでいた。
そのうちに救急車が来て私の抜け殻を乗せていって、警察が来て道を封鎖してあれこれと忙しなくしていた。
三日後に両親が交差点に花を添えに来た。
目を伏せて悲しそうにしているお母さんの肩をお父さんが支えていた。

「ねえ、どうしてすぐに来てくれなかったの?」

お母さんは足元の花束を悲しげに見つめながら咽び泣いている。
こんなに近くにいるのに、私の問い掛けになんの反応もしてくれない。
それが漠然と悲しくて、私はまた声を投げかける。

「ねえ、なんで」

私のこと無視するの?と続くはずだった言葉は、声にはできなかった。
認めたくなかったから。
薄々感づいていたから。
言葉にしたらそれが事実になってしまうような気がしたから。

結局お母さんとお父さんは肩を寄せ合うようにして悲しげに背中を丸めて行ってしまった。
私にはまだ、追い掛けることができなかった。



現実感がなくて、何をしたらいいか分からなくて、しばらく交差点に佇んで過ごした。
一人、外で過ごす夜は、とても長かった。
通り過ぎる人を目で追いながら、ただただ時間を浪費した。

ふと、思い立って、家に帰ってみることにした。
自分の部屋が、暖かい家が、懐かしくて、とても暖かくて、この不安な気持ちを拭い去ってくれるような気がした。
縋る思いで家に帰ってみたら、そこには何も無かった。
蛻の殻になっていた。
打ちのめされた気がした。
私にはもう何もない。
身体も、家族も。
友達だって、転校してきたばかりでできるはずもない。
私はこのまま誰の記憶にも引っかかることなく消えてしまうのか。
そう思うと、胸をぐっと抉るものがあった。

悔しい。
お願いだから、誰か私を見つけて欲しい。
私を覚えていて欲しい。



そう強く念じたとき、何か大きな存在とシンクロする気配がした。
石版のような何かが遠くに感じられた気がした。



ガチャリ、と鍵を開ける音がして、玄関の扉が開く。
ここの家主が帰ってきたみたいだ。
あれから色んな家を回ってきたけれど、今度はどんな人だろう。
私に気付いてくれるだろうか。
いや、どうせ気付いてくれないんだろうな。
そう自分に言い聞かせてもやっぱり期待してしまう。
私は、誰かに、気付いて欲しいから。
部屋の明かりが点いて、その人と目が合った。
ポカンとしたあと、少年とも青年とも見える彼は、慌てふためいてこちらを指差して口を開いた。

「お、おおおおおおま、な、なんで、お、女が、」

今度はこちらがポカンとする番だった。

「あ、えっと、私、気付いて、」

思わず近寄ろうとしたら、待て、と声が掛かった。
落ち着かなさそうに視線をあちらこちら彷徨わせて何かブツブツ言いながら考え込んでいた彼は、視線をこちらに向けたかと思うと話し掛けてきた。

「お前、なんだ、空き巣、じゃねえよな…他所のクランか?」

「え、いや違うよ、何も盗ってないよ」

「…どこだ、緑か?」

「え、何、緑?」

思わず身体を見下ろして確認したけれど、緑の服は着ていない。

「なんだ、お前」

「あー…なんだろうね」

眉根を寄せて呟いた言葉に、苦笑しながら返事をするしかなかった。





「スマイルください!」

注文カウンターの奥でレジ打ちをしている八田くんに、注文を終えたお客さんのあとに続いてスマイルの追加注文をしてみた。
ぴくり、と八田くんの完璧な営業スマイルが引き攣るも、何事もなかったかのようにレジ打ちをこなしトレイの上へ商品を並べていった。
お客さんがいなくなったあと、ギロリ、とひと睨みされてしまう。
これまでの長い付き合いで、本気で怒っている訳じゃないと分かっているから、きゃーこわーいなんて言って茶化してやった。



バイトの帰り道、日も暮れて随分と気温も下がってきているらしい。
私には体感できないけれど、八田くんの吐く息が白んでいる様子が、それを物語っている。

「人前であんま話し掛けんじゃねえよ。いま金欠で家賃やべーんだから、このバイトクビになったらやべーんだよ」

「はいはーい」

っくそ、真面目に聞けよな、と悪態を吐いた八田くんが不自然に首をぐりん、と回した。
驚いて、え、何どうしたの、と聞くと、うるせー何でもねー、と顔を赤らめながらチラリと前方へ視線をやっていた。
釣られるようにそちらへ視線を向けてみると、冷たい風が吹き荒ぶ中、若い女性が前方を歩いていた。
彼女のスカートがハタハタと風に揺られている。
それを見て合点がいった私は、ニヤリ、と得意顔をする。

「ははーん。八田くんはおマセさんだね〜」

ひらり、と風に乗るみたいに何の抵抗も受けることなく女性に近付いた私は、彼女のスカートを抓むような仕草をしてみせた。
八田くんの、ぎょっとした顔が面白くて、追い打ちをかける。

「やーい、八田くんのえっち〜」

「なっ、ちが、てめ、コラ!」

一気に耳まで真っ赤に染め上げて、八田くんが怒鳴る。
楽しくてゲラゲラ笑う私には気付かない女性は、いきなり背後で怒鳴った八田くんに振り向いて不審そうな視線を向けていた。

「あ、いや、ちが、ワリィ、お前じゃねえんだ」

慌てて女性に弁解をするも、付近には私たちしかおらず、女性は余計に困惑した様子で足早に去っていった。
そうしてまた八田くんは、ギッと私を睨みつける。
それが私に対してできる彼の精一杯の仕返しだ。
彼が構ってくれることが楽しくて嬉しくて、私はまた相変わらずケラケラと笑い転げるのだった。



しん、と静まり返った道を八田くんと二人で歩く。
はらはらと薄く雪が降り始めて、歩くたびに、サク、とも、キシ、とも聞こえるような音を立てている。
何となく、ただ漠然と思い出していた。
彼と会う前のことを。
この交差点での出来事を。

「…ねえ、幽霊ってさ、49日で成仏するっていうの、嘘なんだね」

だって、私もうとっくに49日なんて過ぎてるもん。

「八田くんと会って、もう随分になるね。あの頃は鎌本くんが痩せててさ」

なんでだろう、すごく苦しい。
私にはもう、泣くための身体なんてないのに。

「おい、ヒロイン…?」

視界に八田くんの足元が写って、自分が俯いていることに気付いた。
何でだろう、怖くて八田くんの顔が見れない。

「あのね、私。私ね、ここで、死んだの」

怖くて苦しくて、耐えるようにギュッと目を瞑った。
握り締めた両手を胸元に添えて、何に対してでもなく祈った。

ダッと駆け出す音が聞こえて慌てて顔を上げると八田くんが駅の方へ走っていくのが見えた。

「え、八田くん?」

「待ってろ、すぐ戻ってくる」

驚いて、引き止めたくて、でも彼を留めるための言葉を紡ぐ前に、あっという間に八田くんは走って行ってしまった。
一度振り返って、絶対そこにいろよ、と勝手に言い残して。

また私は置いていかれるのだろうか。
私の両親のように。
担任の先生のように。
気にも留めてもらうことができないのだろうか。
誰にも彼にも。
出会ってからの彼と過ごしたたくさんの時間は、そんなものだったのだろうか。
私だけが、楽しくて嬉しくて。
彼にとっては、掛け替えのない時間にはなり得なかったのだろうか。
私と違って。

私はいつだって、ひとり。
どんなに人を好きになっても大切に思っても
置いていかれるばかり。
私には、何も、ない。
家族も友達も、身体も、体温も。

私なんていないみたいにするすると雪が私の立っている地面に積もっていく。
あなたまで私を、私の存在を否定するのね。
この世界は何も、全てを持って私を否定する。
私はただひとつにさえ、何者にも認められない。
認知してもらえることができない。
虚しいもの。

辛くて悲しくて、喉の奥が詰まるような何かが迫り上がってくるような感覚がして、鼻の奥がツンとするような感覚がして、反射的に鼻を啜ろうとした。
そうして何も起こらないことに気付いて、惨めで、目頭が熱くなる感覚がした。
でも、何も出ない。
私には、泣くための身体も、もうない。
私には何もない。
そう思ったとき脳裏に八田くんの影がちらついた。
私にはもう、八田くんしか縋るものがないのに。
彼が走り去っていった後ろ姿がまた脳裏に蘇ろうとして、思い出すまいときつく目を閉じた。

薄く降り積もった雪を踏み締める音がこちらに近付いてきて顔を上げた。
息を荒げた八田くんがこちらに向かって走ってくる。

「わり、遅くなった」

近くまできて私の様子に気付いたらしく、八田くんが、ぎょっと顔を歪ませる。

「え、おま、ヒロイン、どうしたんだ!?誰かにやられたのか!!?」

咄嗟に八田くんが、怪我でもしていないかと私の身体を真剣に検める。
何にも触れない私が怪我なんてするはずないのに。
彼のその行動が可笑しくて、思わず口元が緩んだ。
同時に安心感がどっと押し寄せてくる。
ああ、八田くんだ。
嬉しくて、よく分からない暖かい感情で胸がいっぱいになった。

「ふふふ、変なの」

笑ってそう言えば、呆気にとられたあといくらか安心したらしく、胸をなで下ろしていた。
一息ついて、思い出したように八田くんが花束を差し出してきた。

「これ。なかなか花売ってるとこ見つかんなくてよ、遅くなった」

鮮やかな深い青色の凛とした花。
リンドウが花束にされていた。
花言葉は、正義、誠実。
八田くんにぴったりだ。
そして、もうひとつ。
悲しんでいるあなたを愛する。

花束から八田くんへと視線を移して、思わずじっと見つめた。
彼は私と視線が合ってきょとんとしたあと少し恥ずかしそうに、これお前にやるよ、と差し出してきた。
その瞬間、スッと世界が満たされた感覚がした。
ずっと、寒くて、どこまでも伽藍の広がっていた世界が。
全部に、私の感覚が行き届いているかんじがした。
陳腐ないい方をしてしまえば、世界中から祝福されている、というかんじだろうか。

いつの間にか私の世界は、八田くんだったんだ。

嬉しくて、溢れるみたいに笑顔になって、言葉が流れ出てくる。


「ありがとう、八田くん」



いつの間にか八田くんが、私の未練になっちゃってたみたい。




 
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