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十束多々良のせいでちょっとインテリアがおかしなことになっている小洒落たバー、HOMRA。
その一角の洗い場で、カチャ、と皿がぶつかる音や流水音を立てながら、ヒロインは食器を洗っていた。
ここで昼食を摂ることが日課となりつつある彼女は、お世話になっているから、と店主である草薙出雲に手伝いを申し出ていた。
今日はその内容が食器洗いなわけだ。
ヒロインにとってのカウンターの向こう側、本来なら客席であるソファには、八田美咲が座っていた。
ソファに沈み込むようにして携帯ゲームを弄っている。

お手伝いは私が言い出したことで、はっきりいって八田くんには関係ないことなのだけど、それでも同じようにご飯を食べておいて手伝いのひとつもしないなんて、なんだか不満に思ってしまう。
ほんの少しあかぎれて冷たさが染みる指先の感覚も、不満に拍車を掛けているんだろう。
その不満を乗せて悪戯心から、ゲームに夢中になっている彼の近くにそろりそろりとにじり寄る。
そうしてゲームを覗き込む振りをして、彼の頬に冷たくなった手の甲をぺたっと当ててやった。

「…ッ冷ってぇ!」

期待以上に大袈裟なリアクションをして、何をするんだ、と抗議するような眼差しをこちらへ向けてきた八田くんは、手の甲を当てられた頬を手で押さえるようにしてほんの少し頬を染めている。
そんな彼の反応に、ついニヤニヤと笑顔になってしまう。
先程の不満は一気に満たされ、悪戯が成功した子供のように、してやった、というような嬉しさが胸に広がる。
なんでそんな冷てぇんだよ、と非難するように言われて、お皿洗いしてたからだよ、とふんぞり返るようにしてこちらも相手を非難するように言ってやった。

「お湯で洗えばいいじゃねーか」

「お湯で洗うと手の油分が落ちて荒れちゃうの」

口を尖らせて不満げに言った。
食器洗いですっかり冷えてしまった両手で口元を覆って、暖かい息を吐き出して手を温める。
そんな私を見て八田くんが、ん、と言いながら、先程まで私の攻撃から頬を守るために使われていた彼の手を差し出してくる。
彼の手を目に留めたあと、意図を窺うために八田くんの顔へと視線を動かせば、視線が一瞬かち合って八田くんが照れたのか、むず痒そうに口端を下げて視線が逸らされる。
暖めてやる、とひとこと言ってしまえばいいのに、照れ屋で不器用な彼の性格が邪魔をしているんだろう。
八田くんの優しさにほっこりと胸が温まって嬉しくなる。

ほら、と急かされて、差し出された彼の手を両手で包み込むと、冷たさからか緊張しているからか、彼の眉根がぴくりとひくついた。
手の平にふんわりと優しい彼の暖かさが染みてくる。
私の冷たい手に体温が奪われてるはずの八田くんの顔は、不思議と赤くなっていた。
逸らされたままの視線に、気付かれないようにこっそりと幸せな気持ちを表情に滲ませた。

少年っぽさの残る、男性らしさをあまり感じさせない彼の手は、よく見るとしっかりとした造りをしている。
あまり長くはない寸胴な指の先には、形のいい艶のある爪が称えられている。
甘皮の少なくすべすべした指先に感動して思わず何度も撫でてしまう。
爪の付け根と指の皮膚との境目の段差を撫でるのが癖になりそうだ。

無心で八田くんの指先を弄り倒していると、耐えかねたらしい彼が流し目でこちらへと視線を寄こす。
うっすらと開いた口元に、ほんの少し潤んだような熱を帯びた視線に、どきりと心臓が射抜かれる。
思わず生唾を飲んでしまうも、ここがHOMRAだということをしっかりと思い出して確認して、危ない危ない、と持ち直す。
誤魔化すように、恋人繋ぎをするように指を絡ませて手を握った。
えへへ、と間の抜けたような笑みを浮かべる。
にこにこと笑って誤魔化すと、八田くんは張り詰めていたらしい息を静かに吐き出して視線を逸らして項垂れた。

公共の場でいちゃついて草薙さんに叱られるのは嫌だもんなあ。
草薙さんは怒ったらすっごく怖いんだもん。

危なかったー、と、ほっと、胸を撫で下ろす。

「相変わらず二人とも仲が良いねえ」

「「!!!!!」」

ソファの背もたれからひょっこりと顔を出して突然登場した十束さんに驚いて、八田くんと同時にバッと勢いよく振り返って十束さんへ顔を向ける。
ばくばくと心臓が嫌な音を立てる。

「十束さん、買い物は、」

ん、これ、と言って十束さんが買い物袋を翳してみせた。
草薙さんがカランカランと入口のベルの音をさせて、ただいまーっと、と帰ってきた。

「おかえりなさい」

「ヒロインちゃんも洗いモンお疲れさん」

草薙さんを出迎えるとお手伝いのことを労ってもらえて、ちょっと嬉しくなって笑顔で、いえいえ当然です、と答える。

「あー、八田さん顔赤くなってんじゃん。やっぱり俺たちが出てる間にいちゃついてたんだろ、羨ましいー」

千歳の言葉に反応して坂東が、マジっすか!と勢いよく八田くんの方へと顔を向ける。
囃し立てた千歳と坂東が八田くんに追いかけられて、かけっこは外でしいや!と草薙さんに怒られていた。


「あ、頼まれてたの買ってきたよー」

十束さんからハンドクリームを手渡されて、ありがとうございます、とお礼を言う。
買い物に出るついでにと、何か買ってくるものある?と聞かれたときにちょうど切らしていたハンドクリームを頼んでおいたのだ。
十束さんをパシリに使うというのはなんとも気が引けたが、快く引き受けてくれた。

「じゃあ、お金、」

「ヒロインちゃん、もうすぐ誕生日だったでしょ?貰ってよ」

にっこりといい笑顔でイケメンな断り方をされてしまう。

女誑しだ。
十束タラシだ。



早速ありがたくハンドクリームを使わせてもらおうと、チューブを押して指先にクリームを出す。
新品だからか、力加減を間違えたのか、うっかり多めに出してしまった。
やってしまった、と思いながら八田くんの方をちらりと窺う。

「ハンドクリーム出しすぎちゃった。もらって?」

「え、いや、俺ハンドクリーム苦手なんだよな。ベタベタすんだろ」

にべもなく断られてしまって、ええー、と批難の声を上げる。
どうしよう、これ…と意気消沈しながら視線を下げると、八田くんの膝が目に入る。

「足なら気にならなくない?」

いや…と未だに抵抗を続ける彼を、ほらほら座って、と強引にソファに座らせる。
指先で丁寧にクリームを塗っていると、千歳くんと坂東くんが、ぐあー羨ましいーと発狂したり、恥ずかしくて見ていられないと顔を背けたりしていた。





帰宅してテレビを点けた八田は、どっこいせ、と片膝を立ててテレビの前に腰を下ろす。
なんだか今日は色々あったなー、とぼんやり考えながら、膝の上に顎を乗せた。
ふわり、と優しい香りが鼻腔をくすぐる。
覚えのない香りに、なんだろう、と眉根を寄せ、確かめるように匂いを嗅いだ。
ハッ、とすぐさま膝頭へと意識が向いてHOMRAでヒロインにハンドクリームを塗られたことを思い出して焦って顔を上げた。
羞恥か、興奮からか、かーっと頬へ熱が集まる。
生唾をごくり、と飲んでしばらく逡巡したあと、ゆっくりと顔を膝頭へと近付けた。
匂いを、彼女の面影を追い求めて無意識に膝へと鼻を寄せる。
深く吸い込んだ息が、彼女の香りが肺の奥まで染み渡る。
彼女の優しい手に想いを馳せる。
クリームを塗られたときの慈しむような指先の動きを思い出して、真似るように自分の膝を撫でた。
はあ、と熱い溜息が溢れた。



ポーン、というテレビの時報に、ハッと顔を上げる。
テレビでやっていたバラエティ番組はとっくに終わっていて、つらつらと何の変哲もない日常的なニュースが流れていた。
一瞬呆然として、さっきまでの自分の行動を思い出して、羞恥心に居た堪れなくなって恥ずかしくて、真っ赤になった顔を隠すように片手で口元を覆った。

何やってんだ、俺は…



八田は、明日もHOMRAに来るだろうヒロインと合わせる顔がなくて、何かいい言い訳でもないかと、うんうんと頭を悩ませ、結局ろくに寝ることができなかった。






あとがき(memo2/23)
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