●恋詠小品●

□ハピネス
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「相変わらず、だね」
「え?」

テーブルの上の君の視線を追いかけた。

ノートの端に踊るのは僕の汚い字。

「底辺はきっちり閉じないと、幸せがこぼれちゃうよ」

僕のシャープペンシルをさりげに奪い取り、サラサラと線と線を繋げていく。
たまに不可思議な君の行動を眺めながら、ミルクティーの甘さをすすった。

例えば漢字の『田』。
丸字で書こうが楷書で書こうが、外枠の線の交わりに隙間が出来るのが気に入らないらしい。
英数字もしかり、『4』なら三角形が出来ていた方がいいなんて言っていた気がする。

そして今も、不恰好な小文字の『p』の隙間を君は埋めていくのだ。


「読めればいいじゃないのさ」
「たまに本気で読めないじゃないのさ」
ペンを奪還した僕を見上げ、君は悪戯気に微笑んだ。「…特にカタカナなんてさ」
「うっさい」

「ま、きらいじゃないけどさ…」
そう呟いて、何食わぬ顔で窓の外を見やった。
決して長くはない君の睫毛に気を取られる僕を、その瞳はやがて優しく包み込む。


カフェに差し込む日の光の所為で、なんだか緩やかに流れる時間が増していく。
そして僕は自分勝手にセンチメンタルな思いを吐き出しそうになっては、空のカップで口を塞いだ。

君は僕の事が好きなのかい?
言ってどうする、違うな。

――僕は君の事が好きなのかい?



あれは君が僕の左手を見なくなった頃。

気づいていながら、この指輪を外す勇気もずるがしこさも、僕には何も無かった。

視線を反らした横顔が、氷の様な冷たさで胸を刺す。
なのに振り返った君はいつもの君で、幸せをこぼしちゃ駄目だよと、
笑って僕に、背を向けた。


初夏の眩しさに消えた君を思い出した。

『happiness』の文字から幸せがこぼれ落ちたら、君にその分降り注いで欲しい。

これは僕の、エゴだけど。


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