いつから俺の心は、こんなにも坊に囚われてしもぉたんやろか。

















坊――勝呂竜士とは、ちっこい頃から一緒やった。それこそ生まれた時から、ずっとずっと一緒に育ってきた仲やった。





俺と、坊と、子猫さんと。三人で数えきられへんぐらい遊んだし、喧嘩したし、悪いこともした。色んなことを学んだし、色んなことを吸収した。柔兄達のように血の繋がりがあるわけやないけど、座主血統と寺の門徒っちゅー関係やけど、そんなん関係なしに、ホンマの家族と遜色ないぐらい俺達は近くにおった。隣におんのが当たり前で、自然で、日常やった。







寺の跡取りやいうんにそれに驕ることも無く、ただ純粋に『一人の人間』として存在し、俺らに接してくれはった坊。そんな坊が純粋に好きやったし、明陀のために自分に出来ることを摸索し続ける坊を尊敬しとった。こんなに強い人、絶対におらんって信じとった。











『志摩家の使命』やなく、『志摩廉造個人の意思』で、ずっとこん人に仕えていたいと、本気で思っとった。










その坊に、純粋な憧憬以外の感情を抱き始めたんは、思春期に足を突っ込んだ中学二年の時…やったと思う。自信を持たれへんのは、そん時の時間の流れがひどぉ緩慢に感じる時と性急に感じる時とがごっちゃになっとって、記憶が幾分曖昧な感じになっとるからや。けど、間違いなく全ての転機はこの時に訪れたて言い切れる。これだけは、断言出来る。











キッカケは、一人のクラスメートから回されてきた一冊のエロ本やった。異性の身体に興味を持ち始めた健全なオトコノコやったら、まぁエロ本くらい読む。回し読みなんか珍しくもなんともない。俺はちっこい頃から金兄達が持っとったやつをコッソリ読んどったし、そのせいか小学生ン頃から『エロ魔神』っちゅー異名を掲げとったから、正直紙面の女には飽きとったんやけど、そいつが妙に熱心に勧めてきたさかい「まぁえっか」と軽い気持ちで借りた。この軽率な行動さえ無かったら、きっと何も始まらんかったやろうに…。後悔しとるけど、その反面、こん時の自分を褒め称えたくもなる。さっきも言うたけど、この軽率さが全ての転機。これが無かったら、ホンマに、なんも始まらんかった。どうにも、転がらんかった








その日の夜中。俺は借りたエロ本を一人部屋で読み耽っとった。熱心に勧めてきたわりには、今まで何度となく読んできたモンと大した差なんか無い、普通のエロ本やった。一糸纏わぬ女の姿。大きな胸を強調するような妖艶なポーズでコチラを見、かと思えば男に突っ込まれて淫らに鳴く、そんな在り来たりな内容。







あーこん人巨乳やなー、とかは思うけどそれ以上はなんとも発展せぇへん俺は紙面を全く熱を篭らせること無くボケーっと眺め、ただ機械的にページを消費しとる時、唐突に…ホンマにめっちゃ唐突に、今までと全く違うベクトルから、邪な思考が襲ってきた。












――坊やったら、一体どんな風に鳴くんやろ…。












考えて、すぐにハッとなった。その刹那後には、俺はエロ本放り投げて頭から布団被っとった。それは自分の突発的な考えに興奮して体が反応したとかそんな最悪で卑しい気持ちからやなくて、坊をそういう対象で見れることに気付いた驚愕と、坊をそういう対象で見てしもぉた罪悪感がそうさせたんやった。なんで坊の姿を思い浮かべ、あまつさえそんな邪な欲望の餌食にしたんかは、今考えても全く分からん。無論、当時の俺にも皆目見当もつかんかった。





やけど、不思議と嫌悪感は無かった。今まで女の子しか興味無かったんに、同性の、しかもあの坊をそういう風に捉えてしまったというんに…嫌悪感は微塵も沸いてこんかった。その事実が、殊更俺を混乱の渦に叩き落した。なんでよりにもよって坊を思い浮かべたんか、なんで子猫さんやなかったんか、やっぱり考えても不毛なままやった。










その日の夜は悶々として全然寝られへんかった。けど、邪な思想を抱いたくせに全く勃たんかったんは唯一の救いやったと思う(そんなんなったら多分俺死んどった)。きっと瞬時に沸き起こった罪悪感のせいやったんやろうと推察する。全然見当違いなんは分かってるけど、エロ本を回してきたクラスメートをちょっと恨んだ。気分は全く晴れんかったけど。無意味な事象はどこまで行っても無意味やった。









しばらくは坊の顔をまともに見られへんかった。坊の顔を見たらあの時過ぎった自分の妄想がフラッシュバックしてきそうやったから、視線合わさへんように必死やった。一人で抱え込んだモヤモヤをキチンと昇華するんに、かなりの時間が掛かった。勿論坊も子猫さんも不審がってたけど、そこは上手くやり過ごした。伊達にポーカーフェイス装ってへんからな。誤魔化してはぐらかすんなんか、俺の得意分野や。言わば十八番。面倒事から逃げるための、俺が出来る唯一の手段なんやから。




で、そうやって上手いことやり過ごしてたくせにそのモヤモヤの払拭方法を盛大に間違えた俺は、そこから容易く悪い方に堕ちてった。









坊を抱く妄想をして。



坊の乱れ方を想像して。



坊の喘ぎ声を作り上げて。





そうして毎夜、自分を慰めた。







それがどうしょうもない背徳的な行為なんは分かっとった。綺麗な坊を淫らな妄想で汚す俺は、ホンマに汚い奴やった。自覚はしとったんや。それでも自制なんか出来んかった。毎夜毎夜浮かび上がる邪で淫らな妄想は止まることを知らんと、妄想の中で坊を汚しては絶頂を迎えとった。









坊での煩悩を断ち切ろうとしてどれだけ女の子を吹っ掛けても、なんも変わらんかった。女の子がやるほんの些細な仕草でさえ、坊と比べてもうた。歩き方が、笑い方が、癖が、『坊』と『それ以外』でしか比較出来んようになってしもうてた。当然女の子達とは長続きせんかったし、坊のことも吹っ切れんかった。









これは恋かもしらん――そう疑って、そう自覚したんは、妄想だけじゃ満足出来んくなってきた時。坊の体温を直に感じたかったし、笑顔を一人占めしたかったし、心は坊を求めて渇望しとった。







この感情を抱いたキッカケがあまりにも不純やったけど、これは紛う事なき恋心やった。抱いたらあかん思慕なんは分かっとった。けど、心は坊を求めてどんどん枯渇していって、それに比例して妄想の中の坊はどんどん淫らになってって、俺の思考を乱してった。それを抑え付けんのがまた容易やなくて、毎日俺は欲望と葛藤で板挟み状態やった。











――こうやって坊の隣に居れるだけで幸せなんやって、思わなあかんねん。











そう自分に言い聞かして、この想いをひた隠しにしてきた。想いを悟られて、あまつさえ受け入れられず、気持ち悪がられて、今の関係が崩れてまうぐらいやったら、このまま現状を維持しとくんが一番えぇ――そうやって呪文みたいに何度も何度も言い聞かせて、『いつもの志摩廉造』やと認識させるために飄々とした態度を保って、笑って、拗ねて、笑って、ヘマして、笑って、笑って、笑って――そうやって俺は、自分の心を殺し続けた。














『青い夜』以降廃れてしもうた明陀を再建するために祓魔師になってサタンを倒すと昔から豪語しとった坊。そのために正十字学園に進学することを決意した坊に、俺は迷うことなく同行することを決めた。坊みたいに頭はよぉないけど、坊の側から離れとぉなかったから。お父にそうせいって言われる前に、俺は自分からお父に自分の気持ちを伝えに行った。お父はただ一言、「しっかりやりや」とだけ言うた。それから俺は、柔兄や金兄が「お前じゃ無理や」とせせら笑うんも無視して、勉強に明け暮れた。







子猫さんも俺と同じく正十字学園を志望したけど、子猫さんの偏差値は十分やった。問題はやっぱり俺。正十字学園の偏差値が元々高かったんもあるけど、本命の祓魔術の知識も今まで祓魔師について真剣に考えたことなかったからゼロ状態。一から取り組んだ内容は分からへんモンばっかの別世界で、パニックになった俺はよう坊に泣き付いた。坊も俺の出来の悪さを痛感しとったのか、根気よく教えてくれた。それが純粋に嬉しかって、一人でやってたら全く意味分からへんかった内容がすんなり頭に入った。きっと坊に教わっとぉから余計に身についとったんやろう。我ながらホンマ単純やなぁと失笑した。











合格通知が届いた時は、夢なんやないかと本気で疑った。けど何回見直しても書いてる内容は変わらんで、それが現実なんやと分かったんは、結果を聞きに来た坊が祝福の言葉と共に抱きしめてくれはったからやった。











坊の力強い腕の温かさが、夢なんかやないんやと、知らしめてくれた。










相変わらずの板挟み状態は健在で、なるべく近付きすぎんように努めとったから、坊の体温を感じたんは久々で。坊に下心が無いんは分かっとったけど、残念ながら俺は下心満載やった。




坊の体温が、息遣いが近くて。心臓の音すらも聞こえてきそうで…俺の心臓もバクバクと早鐘のように脈打って、坊に聞こえてまうかと冷や冷やしとった。






――やけど…。








「これで、また三人一緒に居れるんやな」





坊のその言葉が、俺の心を冷たく射抜いた。





――せや。坊は俺が特別な存在やから、喜んでるわけやない。坊と、俺と、子猫さんと。この三人で高校生活を――祓魔師の修行を積めるっちゅー事実に、喜んでるだけなんや。俺だけが特別なんやない。







きっとこん人は、子猫さんにも祝福の抱擁を与えることやろう。俺にしたみたいに、同様に。なんの躊躇いも無く、惜しげも無く、子猫さんをぎゅうぎゅうに抱き締めることやろう。その光景を想像してもうて、胸の奥がズキズキと痛んだ。







――あぁ、虚しいわ…。







喜びで沸騰しそうやった思考が急激に冷めていくんが分かった。それと同時に、ずっと押し殺してきた感情がフツフツと湧き上がってきたんを、俺は静かに確信した。長いこと隠してきた、坊への情愛。ずっとずっと奥底に秘めとったせいか、その感情はひどくどす黒くて、最初はただ純粋な恋情であったんが信じられへんぐらいの、強い強い支配欲に変わっとった。







冷めてく思考の中で、俺は今までこの感情を隠しとったんが、ひどくアホらしゅう感じとった。現状維持のために張っとった虚勢は、こうも些細な一言で呆気なく瓦解した。張るだけ無駄なモンやったんやと、実感した。







――欲しい…坊が、どうしょうもなく、欲しいわ…。







俺が異様に静かなんを訝しんでか、「志摩?」と坊の体がゆっくり離れた。まるでそれを待ち望んでたかのように自然に動いた体は、迷うことなく直截、坊の唇を奪っとった。このたった一度のキスが今までの関係をなし崩しにする決定打になることなんか、思考の片隅で理解しとった筈やのに…止まらんかった。止まることなんか、出来んかった。








坊がひどく驚いとるんが雰囲気で伝わってきた。俺を押し退けようとする手を絡め取り、空いた手で後頭部を押さえてキスを深くした。ずっとずっと、触れたいと願っとった坊の唇はそないに柔らこぉなかったけど、どことなく甘い味がした。絡めた舌が奏でる濡れた音がやけに耳に響いて、心地良かった。抵抗が弱々しくなったんを良いことに好きに坊の唇を貪れることに快感を見出してたし、興奮して下半身に熱が集まるんも分かった。







――どうせ手に入らへんのやったら…。




――このまま、離れてまうぐらいやったら…。






俺の手の平が坊の内側に忍び込んだんは、そんな悪魔の囁きが頭を過ぎった直後やった。




















「まさかこんなことになるなんてなぁ…」
「なに一人でぶつくさ言うとんねん」
「なんもありまへんよ〜」





やからもうちょいこうさして下さい。




そう言ってさっきより力を込めて坊を抱き寄せた。お互い一糸纏わぬままでの抱擁は、体温が直に伝わるから好きや。抱き締める相手が坊やったら、尚更のこと。




坊の体はまだ熱が引ききってないんかやや熱かった。俺も人のこと言われへんやろうけど、坊よりはマシやろ。…いや、根拠は無いんやけども。







まぁ坊はさっきまで凄い乱れとったし、その余韻なんやろう。なかなか引かんのも仕方ないわなぁ。そこまで乱したんは俺やけど。






まだ微かに残る精の匂いと汗の匂いを嗅ぎながらさっきまでの坊の痴態を思い出しとると、坊が「志摩」とやや掠れた声で俺を呼んだ。




「今絶対いらんこと考えとったやろ」
「いらんことちゃいますぅ〜。さっきまでの坊の乱れっぷりを…」
「なっ…! そ、それがいらんことや言うんじゃ!」





繰り出された拳骨は思ったよりも痛かった。ゴッ、と骨と骨が接触するめっちゃえぇ音がした。痛みに悶えてる間に俺の腕から抜け出した坊はプイっと背中を向けてしまった。痛む頭を押さえながら「坊〜」と我ながら情けない声で坊に縋る俺。きっと傍目からしたら俺は滑稽に映ったことやろう。しかも坊はそんな俺をガン無視して全然振り向いてくれへん。寂しい。





けど、俺は見た。坊の耳が赤くなっとんの。






あ、坊恥ずかしかったんか。ようやく俺は悟った。





「ぼ〜ん〜?」
「………」
「坊―、返事してくださいー。寂しいですやん」
「うっさい。早よ寝ろ」
「竜士」
「っ…!」





不意打ちの名前呼びは、効果覿面やったらしい。こんな関係に落ち着いてからもそうそう名前を呼ぶことなんかないから、坊の動揺を誘うには、心を揺さぶるには、一番の方法や。





「な、竜士。こっち、向いて」
「し……廉、造…」






耳元でもっかい名前を囁けば、坊は観念してくれはった。ゆっくりと振り向いてくれた坊の顔はうっすらと赤くて、窓から差し込む月明かりに映えていて可愛らしかった。顔が赤いんも、それが月明かりのせいで隠せてないんも坊は分かっとる筈やのに、もう顔を背けたり、その赤みを隠そうとはせぇへんかった。




チュ、と唇に小さなキスを送る。唇が触れ合うだけの、お遊びみたいなキス。坊はそれを甘受して、あまつさえそれを求めてくれはる。後頭部に回された腕が、何よりの証拠。俺が調子に乗って深いキスを仕掛けても、腕の力は決して弛まんかった。











――強姦みたいに坊の身体を無理矢理暴いたあの日。俺は、もう全てお終いやと思た。こんな最低で卑劣な行為を坊にしでかして、幻滅されへんわけが無いて、興奮が冷め切った頭で確信しとった。





当然や。俺はそれだけのことをしでかした。今まで坊から得てきた信頼も、坊にずっと抱いてきた想いも、俺が自分で溝に捨てたんや。








なんて浅はかな欲望。一時の衝動に駆られて、全てを台無しにするなんて…ほんまもんのアホや、俺は。




「坊…」





シーツに包まって小さくなっとる坊を、深い深い傷を与えてもうた坊を、抱き締める資格なんか俺には無くて。




俺は自責の念に囚われた思考で、なんて謝ればえぇんか必死に考えて、けどどんだけ考えても、いざ言葉を発そうと思ても出てくるんは「坊…」というか細い呟きだけ。弱い弱い俺。卑怯な俺。




「坊…俺…」
「お前は、」





俺の言葉を、坊が遮った。いつもの力強さなんかまるで感じられへん、掠れた微弱な声やった。




「俺のこと、そないに嫌っとったんか?」
「え…?」
「俺をこないな風に抱いて…こうやって俺を貶めたいて、ずっと思っとったんか?」
「ちゃ、ちゃいます! ちゃいますよ坊! 俺は、そないなことはっ…」
「やったら、なんでやっ!」





坊がシーツを蹴り上げ、俺の肩を掴んだ。その時に(俺が)酷使した身体が痛んだのか、坊の顔が歪んだ。





「坊っ、大丈夫でっか!?」
「やかましい! えぇから、早よ答えろ志摩! 一体お前は、俺のことどう思っとるんや! っ俺のことを、一体、どないしたいんや…!!」




泣いて鳴いて掠れた声は未だ健全やのに、もうそこに弱々しさは無かった。あくまでも強靭で、真っ直ぐやった。






悲痛に顔を歪めとるんに、その目はどこまでも真摯で、俺を貫き焦がしていく。己の傷痍を省みず、ただ切実に答えを求めてはる坊。身体が痛い筈やのに、ホンマはもう俺の顔も見たない筈やのに、不明確な事態の答えを求め、泣き出したい衝動も押し殺してることやろう。






無理もないって思う。いきなり理由も意味も分からんままに犯されたんは坊の方なんや。苦しかったやろう、辛かったやろう。傷付けたんは俺や。坊の心を無視して卑劣な行為に走った、俺が原因なんや。







やけど…ホンマは、もっと俺を怒ってほしかった。罵倒してほしかった。突き放してほしかった。中途半端に優しくせんでほしかった。――この想いを言わせようとせんとって、ほしかった。





「なぁ、志摩…」
「…言うたって、坊が困るだけどす」





情けないぐらい、自分の声が震えとった。泣きたいわけやないのに、寧ろ泣きたいんは坊の方やろうに…なんで俺が惨めやと感じて、泣きそうになっとるんや。お門違いも甚だしいわ、アホ。




グッと奥歯を噛んで、込み上げてきた涙を押し込めて、言葉を継いでいく。





「こんな想い、坊の重責にしかなりまへん。やから、ずっと言うつもりなんか無かったし、悟られへんように努めるつもりやったんどす。けど、今日は…抑えが、利かんかって…坊のこと、傷付けてもうた…」
「…志摩。俺は、言い訳が聞きたいわけやないねん」





肩を掴んどった手の平が、俺の髪をゆっくり撫でた。そこからは怒気も哀苦も、伝わってこんかった。






ただ分かるんは、坊の優しい温もりだけ。愛してやまない、坊の温かさだけが、伝わってきて。








不覚にも、またそれで泣きそうになって。けど、泣くわけにはいかんって自分に言い聞かせて、必死に涙を堪えた。





「お前の気持ちが…正直な気持ちが、俺は聞きたいねん。俺をどう見とったんか、どう思ってんのか、それを言うてくれたらえぇねん」
「坊…俺は…」
「それを受け入れるかどうかは、俺が決めることや。お前がごちゃごちゃ考えることちゃうわ」






――きっと坊は、この時点で全て見透かしとったんやと思う。俺がなんという答えを吐き出すのか。どんな結末に行き着くのか。




――それを承知の上で、どういった答えを俺に提示するんか。







全部全部念頭に置いて、俺の心を揺さぶって、想いを打ち明けさせようと誘導しとったんやろう。それは生半可な覚悟で出来るモンやない。自分を強姦した相手を受け入れようなんか、そうそう出来ることやない。






坊は、俺が思っとったよりもずっと寛大で、優しいお人やった。





「坊はいつから、分かっとったんですか?」





長く堪能しとった唇を離して、荒れた息を整えとる坊に問いかけた。坊は「はぁ?」と赤い顔のままクエスチョンマークを浮かべとったけど、すぐに質問の意図を理解してくれはったようやった。





「お前にヤラれとる最中やったわ。あないに好き好き言われとったら嫌でも分かるっちゅーもんや」
「えっ!? 俺そないなこと口走ってまったん!!?」
「なんやねん、覚えてないんか」
「いや〜あの〜…正直あん時は無我夢中で…自分が何言うたんかとか、全然覚えとらんのです」





鮮明に残っとるんは、自分が仕出かしたことの重大さと、坊の乱れた姿、零した涙、悲痛な嬌声。ただそれだけや。その時の自分が一体どんな言葉を吐き出しとったかなんか、一切合切考えたこともなかった。…ちゃう、考えようとせんかっただけや。自分の醜い部分を、思い起こすんが、嫌やっただけや。






気まずくて目を逸らす俺を尻目に、坊の言葉は途切れない。





「けど、熱と痛みに浮かされた思考で聞いた言葉や。もしかしたら嘘かもしらんし、聞き間違いやったやもしらん。そもそも…あんな状況やったんや。確信なんぞ持てる筈も無かった」






坊が静かに目を伏せる。もしかしたら、あん時のことを思い出しとるんかもしらんかった。






「やから、全部問い詰めたるつもりで、あないな言い方したんや。あぁいう風にでも言わんかったら、お前が逃げてまいそうやったから」
「坊…」
「お前は、しっかり答えてくれたな」








――坊が、好きなんどす。この世で一番、愛しとるんどす。






坊に提示した答えは、ずっとずっと胸中で燻り続けとった想慕そのままやった。坊が掛けてくれた言葉の一つ一つが嬉しゅうて、結局俺は泣いてもうてた。けど、言葉が涙に掻き消されてまう前に、ハッキリと告げた。坊を好いとると。愛しとると。






「…軽蔑、せんかったですね、坊は」
「軽蔑なんかせんわ。確かに最初はショックやった。ずっと隣におったんに、こないにお前に嫌われとったんか…て思ったわ」
「………」
「けど、途中からそうなんやないって漠然と分かった。そんで、自覚した。お前への気持ちを、な…」
「竜士…」
「それまでは、考えたことも無かったわ。俺はノンケのつもりやったし…。けど、こんまま離れたら、もうお前は帰ってこぉへんって思った。何も知らされんままに、お前が離れていくんは嫌やった」
「けど……俺は、竜士に最低なこと、したんやで…?」
「教えたる。俺はあん時、そないに嫌やなかったで」






微笑みをたたえて紡がれた言葉に目を見開いた。やって、有り得へん。俺と坊の初体験は、決して『幸福』とは銘打たれへんモンやったから。少なくともアレは、俺の中で一番苦い思い出になって重く圧し掛かってるんに。


俺の動揺を見てか、坊が小さく笑ろた。





「強姦の割りに、丁寧やったからな、お前の手ぇは。初めてやったさかいどうしても身体はガタついてもぅたけどな。けど、痛みもめっちゃって訳でも無かったんやで」
「嘘やん…俺、もっと手酷く抱いてもぉたんかと…」
「なんやなんや、健忘症か?」
「失礼なっ!」





憤慨する俺を見て、坊がまた可笑しそうに笑ろた。それに釣られて俺も吹き出した。そのまま二人共、暫く笑いが止まらんかった。






あの日からもうすぐ半年。今までお互い触れへんようにしとった過去を振り返ってみたら、思わん収穫やった。坊に痛々しい傷を残してもぉたんは変えようのない事実やけど、それも最小限に止めることが出来とったようで。俺はそれにめっちゃ安心した。







それに…坊はあないな状況で、俺を見限るどころか、受け入れようと決意してくれはってた。これ以上に幸福なことなんか、絶対にあらへんわ。






「俺たちは間違った始まり方やった。そこはもうしゃーない。二人で上手いこと消化していこうや」
「そうしましょか。って、犯人の俺が言えたこっちゃ無いですけど」
「ハハ、まぁ確かになぁ。けど、俺は今は幸せやから…そこんとこしっかり自覚しぃや、廉造」
「ハハ、やっぱ竜士には適いまへんわ。…愛しとりますえ、竜士」
「あぁ…俺も、愛しとる」






愛の言葉を囁き合って、また重なる唇。このキスを仕掛けたんは俺か坊か、一体どっちが早かったやろう。確かめる術なんか元より無い疑問は、互いの舌が織り成す水音が掻き消したせいで呆気なく霧散し、どちらの記憶にも刻まれんかった。








ただ、今断言出来るんはただ一つ。それは――俺らの愛は、順調に正しい道を進んどる、ということ。







互いが紡ぐ「愛しとる」が、なによりの証拠やった。

















――――
貴方の言葉ひとつで
ナイトメア/レゾンデートル

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