『今日の午後十時に、■■ビルの屋上に来てください。ずっと待ってます。  黄瀬涼太』




僕は受信したメールと、目の前のビルを見比べる。掲げられてる看板はひどく錆び付いていたけれど、[■■ビル]という文字だけはなんとか読み取れた。ここが、黄瀬君が指定してきたビルであることは間違い無さそうだ。場所を間違っていたらどうしようかと少し焦っていたので、無事に辿り着けてホッとした。





とっくに運営されていないらしいこのビルを、どうして黄瀬君は待ち合わせ場所として指定したのだろうか。そもそも、こんな時間に僕を呼び出すこと自体が不自然だ。人目の無い場所でありたかったと言うのなら分からなくもないけれど、こんな町外れにある廃ビルに、こんな時間に呼び出す必要は無い。明るい時間帯でも、人目の無い場所はある。







理由は全く分からないけれど、応じないわけにもいかない。だから僕は、訝しみながらもここに居る。







鍵の掛かっていなかった入口から中に入った。幸いまだ電気は通っているらしく、所々照明が付いていて仄かに明るかった。僕はそのまま奥に進み、エレベーターのボタンを押した。エレベーターは最上階で止まっていた。もしかしたら、既に黄瀬君は屋上で待っているのかもしれない。余裕を持って出て来たつもりだったけど、もしかしたら随分と待たせてしまっていたのかもしれない。僕は少々申し訳ない気持ちになりながら、エレベーターに乗り込んで最上階へ向かった。




軋んだ音を立てながら、エレベーターは僕をビルの最上階へ連れて行ってくれた。最上階は一階よりも生きている照明が少なく、暗くて不気味だった。僕は足早に階段に向かい、屋上へ続く扉を開けた。錆び付いていたのだろう、ギギギギッ…と耳障りな音を立てて、扉は開いた。途端に吹き込んできた強風に煽られ、僕は思わず目を瞑る。





「来てくれたんスね、黒子っち」





閉じた視界の先、耳に届いたのは聞き慣れた黄瀬君の声。やはり先に来ていたらしい。僕はゆっくり目を開けて――そして、絶句した。






ビルの屋上はさして広くはなく、何も無い殺風景な場所だった――ビルの屋上とは総じてこういった場所なのかもしれないが、初めて訪れた僕には判然としない――無機質なアスファルトの地面と、転落防止用の金網の柵以外何も無い。










そこに、黄瀬君はいた。――柵の外側で、僕を見て、笑顔を称えていた。





「黄瀬くっ…」




驚いて、僕は駆け出した。…けれど。




「来ないで、黒子っち」




何故か、そんな僕を黄瀬君は制止する。言われた通り立ち止まった僕だけれど、気は急くばかり。早くあんな危険な場所から黄瀬君を連れ戻さなければ…その思いで一杯だった。





僕と黄瀬君の距離は、柵に隔てられた分も含めて目測五メートル程。近付くことを止められた僕は、そこから声を張るしかない。




「黄瀬君、危ないですよ」
「そうかもしんないッスね」




僕の忠告は呆気なく流され、黄瀬君はそこから微塵も動こうとしない。近寄ることは許されず、仮に近付けたとしても、金網の柵が僕らを隔て、触れることは叶わないだろう。





何かの拍子に黄瀬君が足を滑らせてしまったらと思うと…僕は気が気でない。一刻も早く、黄瀬君をこちら側に戻らせないといけない。





「黄瀬君、早くこっちに」
「ねぇ黒子っち」






僕の言葉を遮り、黄瀬君は僕の名を呼ぶ。聞き慣れた愛称。自分が認めた人にしか付けないのだと言っていたそれ。






「俺、黒子っちが大好き。好き好き大好き。なんなら愛してるって言い替えてもいッスよ。ずっと言ってきたよね。俺、ずっとずっと黒子っちに言ってきたよね?」
「黄瀬、く…」





確かに。




黄瀬君は昔から、僕に「好き」や「大好き」や「愛してる」を、会う度にモデルで鍛えた綺麗な笑顔で言っていた。でも僕は、それを本気で捉えたことは無かった。黄瀬君のタチの悪い冗談なのだと思っていた。










――黄瀬君が僕を好きになる筈無い。









僕は本気でそう思っていた。だから、いつも黄瀬君の言葉を受け流した。突っぱねた。切り捨てた。受け入れなかった。





どうして今、この状況で、そんなことを言うのだろうか。それは、この状況に関係しているのだろうか。





「黒子っちはヒドいッスよね。俺の告白、全然聞いてくれないんスもん。俺は本気だったのに。いつも本気だったのに。でも、黒子っちは全然分かってくれない。俺の気持ちを全然分かってくれない。もうずっとずっと言ってるのに。中二の時からずっとずっと言ってるのに」





スッ…と、黄瀬君が柵から僅かに離れた。黄瀬君の背後に地面なんて無い。後少し柵から離れるだけで、黄瀬君の体は宙に投げ出される。






そしてそのまま――落下する。






「黄瀬君っ」
「来ないでって言ったでしょ、黒子っち」






また黄瀬君の制止の声が掛かったけど、もう僕は止まらなかった。柵を隔て、僕らの距離は数センチ程にまで縮まった。僕は金網を掴み、黄瀬君に詰め寄る。こんな無機質なモノ一つで黄瀬君を止めるに至らないことに、僕は歯痒くてならない。




こうなったら僕もこの柵を越えるべきだろうか――そう思ったけど。





「それ以上来ないで、黒子っち」





僕が近付こうとすれば、黄瀬君がまた一歩柵から離れた。そんな光景を見てしまったら、僕の動きは完全に停止せざるを得ない。金網に掛けようとしていた足は、やむなく地面に逆戻り。





黄瀬君は笑っている。不安に押し潰されそうになっている僕を見て、笑っている。





「どうやったら分かってもらえるのかなって、考えたんスけど…これが一番かなって思って」






言って、黄瀬君は両腕を広げた。吹き荒ぶ風に煽られ、ブレザーがはためく。バタバタと音を立てて、風に踊るグレー。






漠然と、黄瀬君が何をするつもりなのか分かってきた。冷たい汗が、僕の背中を伝っていく。心臓が早鐘のように打ち、金網を握る指に力が籠もる。





「黄瀬君…まさか…」
「俺ね、黒子っちが本当に好きなんス。黒子っちの為なら、この命さえ投げ出してしまえるぐらいに」
「そんな…黄瀬君っ…」
「こうすれば、信じてくれる? 黒子っち」





また一歩、黄瀬君が後ずさる。もう、縁ギリギリだ。後一歩でも後ずされば、もうそこに地面は無い。黄瀬君は地に落ちるしかない。







人間は鳥じゃない。ましてや天使や悪魔でもない。飛べやしないのだ、人間は。空中にその身体が投げ出されてしまえば、人間はとても儚く無力な存在となる。それは黄瀬君だって――例外じゃない。





「やめてください黄瀬君! 僕はそんなこと、望んでません!」
「俺が望んでるんスよ。…黒子っち」






そして…黄瀬君は最後に――最期にまた、あの綺麗な笑みを浮かべて。







「死ぬほど愛してる」






そう言って、背中から宙に身を投げ出して――黄瀬君は、落ちていった。





「黄瀬君っ!!!」





僕の絶叫は、夜の闇に溶けて虚しく消えていった。僕の悲鳴にも似た絶叫で、落下する黄瀬君を助けることなんて…出来る筈もなくて。






数秒後…グシャ、だかドシャ、だか…そんな音が、僕の鼓膜を揺さぶった。それがなんの音かなど…考える必要なんか無い。





「っ…!!!」





僕は弾かれたように柵を離れ、全速力で屋上を出て階段を駆け下りた。エレベーターは最上階で止まったままだろうけど、それに乗ろうという考えは最早僕の中には無かった。






三段飛ばしで階段を駆けた。足がもつれて何度か転んだけど、痛みなんて感じなかった。体を強かに打ち付けている筈なのに、足を擦りむいてる筈なのに、手首を捻っている筈なのに、パニック状態に陥っている僕の脳は、痛みを痛みとして認識しなかった。






息も絶え絶えに地上に辿り着いた僕は、無惨な姿になって地面に横たわる黄瀬君を見つけた。手足が歪に曲がり、頭から夥しい血を流していながら…黄瀬君は、やはり笑顔だった。




「きせ、くん…」




フラフラと僕は黄瀬君に近寄る。僕以外に人は見当たらない。人が一人飛び降りたというのに、誰も騒いじゃいない。飛び降りたのは人気モデルの黄瀬涼太なのに…人っ子一人、動物さえも見当たらない廃ビルの下、僕は黄瀬君の死体と対峙する。人気モデルの死を悼むのは、僕だけだった。






血で汚れるのも構わず、僕は黄瀬君の横に膝をついた。目は閉じられていたけれど、口元は弛んでいた。生前、何度も僕に向けてくれた笑顔をそのままに、黄瀬君は息絶えていた。ソッと頬に触れても、以前のような暖かさは感じられない。勿論、いつものように名前を呼んでくれることも無い。人目もはばからず飛び付いてくることも、それを僕がいなすことも…もう、永遠に無いのだ。





「っどうしてなんですか…黄瀬君…」





ボロボロと涙を零して、僕は泣いた。こんなことが贖罪になるはずも無いと分かっていながら、僕は涙を止められなかった。









こんなことになるなら、ちゃんと黄瀬君の言葉を聞けば良かった。本気なわけが無いと決め付けず、真摯に受け止めるべきだった。そうすれば、黄瀬君がこんな風に死ぬことは無かったのに。全部全部――僕のせいだ。





「ごめんなさい、黄瀬君」





「――愛せなくて、ごめんなさい」



















「という夢を見たんです」
「あ…悪夢もいいとこッスね…」
「全くです」





ズズッ…とバニラシェイクを啜って、僕は小さな溜め息をつく。本当に、どうしてあんな夢を見たのだろう。そしてあまつさえ、その夢を細部まで事細かに覚えているのは何故なのだろう。今目を閉じても、ありありと思い出せる黄瀬君の死に様。決して心地良いものではない。





でも、所詮は夢の中の話。僕は黄瀬君の想いを受け入れているし、ちゃんと黄瀬君が好きだ。黄瀬君が僕を好きでいるのは相変わらず。だからと言って、夢の中のように命を投げ出してまで想いを表すような愚行になんて及ばない。あれはあくまでも、夢の中の話でしかないのだ。





「でも、なんでそんな夢見たんスかね〜」
「分かりません。とにかく、不愉快なのは確かです。好きな人の自殺現場なんて、出来るなら一生見たくないです」






夢が現実になること――僕は今、それを一番恐れている。





「ねぇ黄瀬君」
「ん? なんスか?」






シェイクをテーブルに置いて、僕は黄瀬君を真っ直ぐに見つめる。黄瀬君も、僕を真っ直ぐ見つめてくれている。視線を逸らさないまま、僕は問い掛ける。







「僕が死んでくださいって頼んだら…黄瀬君は、死を選びますか?」
「…そうッスねー」





頬杖をついて、黄瀬君は笑う。






「それが黒子っちのためになるんだったら、全然死ねるッスよ。でも、出来るなら死なない方向でいきたいッスね」
「死なない方向…?」
「だって、死んじゃったらもう黒子っちに会えなくなっちゃうから」






だから、死にたくないよ。黄瀬君はそう言って、僕の手をキュッと握ってきた。暖かい指。夢の中で感じた冷たさなんかじゃなくて、それは確かな生きている証。






握り返した手の平は、僕よりも大きくて男らしい。何度も僕を見付けて、捕まえてくれた指。手放したくない――僕は漠然と、そう思った。






「黒子っちが一緒に心中してくれるって言うんなら、喜び勇んで死ぬッス」
「縁起でもないこと言わないでください」
「最初に言ったのは黒子っちじゃん」
「そうですけど…」
「…大丈夫ッスよ」





そう言って、黄瀬君はまた笑う。モデルで鍛えた笑顔でありながら…それは確かに、恋人である僕にしか見せない、甘い微笑みだった。





「俺は、黒子っちを置いて死んだりしないッスから」






そう言って顔を寄せてきた黄瀬君に、僕は全力の平手打ちをお見舞いしたのだった。







夢幻の話
(黄瀬君、マジバでキスしようとしないでください)
(だからってビンタは酷いッスよ〜…)




「黒子っちラブ! 黒子っちのためなら俺死ねるよ!」な黄瀬君が頭を過ぎったからちょっと書いてみた。夢落ちで良かったね黄瀬君!←


もう黄黒なのか黒黄なのか分からんよ…(´・ω・`)






栞葉 朱那

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