夢小説

□紫原
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入学してから初めての席替えで。俺はあの子の後ろ、あの子は俺の前になった。とくに話すことも無かったし、同級生にも興味なかったから俺たちが言葉を交わすことも無かった。
でも、あの日。俺がシャーペンをなくした日。いくら勉強嫌いといってもしないわけにはいかなくて。困ってる時にあの子がいつも俺に向けてる背中を今度は先生に向けて。これ、貸してあげる。それだけを言って俺の大きな手にシャーペンを乗っけた。

たったそれだけのことなのに、俺はあの子の事が気になるように―――好きになってしまった。
別に特別かわいいわけじゃない。目が大きくて、顔が少し小さいだけ。かわいくないわけじゃないけど、かわいいわけでもない。ただ、あの子の笑った顔が凄く綺麗で。見た瞬間に胸がきゅ、ってなった。

結局その日、俺はあの子のシャーペンを使った。けど、俺は未だにあの子―――苗字さんにシャーペンを返せていない。

第一、名前を知ったのだってついこの前だ。


「好きなのに、それはないでしょ」


ぱり。塩味のきいたポテトチップスを一枚口に入れて噛んだ。
別に俺だって好き好んで返せてないんじゃない。苗字さんはあの日からやけに俺に話しかけてくれた。
嬉しい。素直にそう感じた。でも。
それ以前に、恥ずかしかった。苗字さんが俺ににこにこ笑いながら話しかけてくるから。その笑顔が、かわいくて、恥ずかしくて。うまく話せなかった。
胸が苦しくて、胸が破裂しそうなくらい大きな音を立てて。その音が聞こえてしまうんじゃないか…って、思うほどで。

やっとの思いで口から出た言葉は、あまりに冷たかった。

「あのさ、話しかけないで」

違う。こんな言葉が言いたいんじゃない。言いたくなかった。こんなことしか言えなくて。いっぱいいっぱいで。
苗字さんは“傷ついた”って顔をしてた。その顔にしまったって思った。当然なのに、衝撃的過ぎて、俺は表情ひとつ変えず、苗字さんを置いてその場から消えた。

 
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