小説

□春雨に散る桜
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春雨によって散りゆく桜を見る度に、胸の奥が痛む。大切な人を祖国へ残し、一人異国へ流れ着いて、どれだけの年月が経ったのだろう。



あの春の日、一人、波止場から私を見送るしかなかった彼は、雨に濡れながらしおらしく微笑んでいた。
『お前を愛していたのは、俺だけの秘密だったのな』
「私も…私もお前の事を…」
そう言いかけた私の唇を、人差し指で押さえ、小さく呟く。
『俺も知っていた…ありがとな』
唇に宛てられた彼の指は春雨のせいか、とても冷たく感じられた。
港に一本だけそびえ立つ桜の花びらは、春の雨と風により、はらはらと散っていた。



出航を報せる汽笛が耳を掠める。
『ジョット!…………』
私の名を呼びながら叫んだ彼の言葉を聞き取れないまま、船は港を離れた。小さくなる彼の姿が瞼に焼き付いて、今も色褪せる事はない。



苦楽を共にし、運命と呼ぶ道を歩んだ者達の中で、たった一人生き残った雨の守護者。私を逃がす為に、命懸けで尽くしてくれた愛しき雨の守護者。



身を切らるような今生の別れ………もしも、来世という奇跡があるのならば、もう一度、私の愛しい雨の守護者と巡り会えるのだろうか?









『なあ、ツナ』
「なぁに?山本」
補修授業を終え、二人きりになった教室で、くしゃくしゃとプリントを鞄に入れながら、俺は山本とたわいもない会話をしていた。
『桜が散るとさ…雨が降ってる時に桜が散るとさ、俺、すげぇ寂しいかも』
教室の窓から見える桜の木々を見た山本は、頬杖をつきながら遠い目をして呟く。
「…俺も、そうゆう感じ、なんとなくわかるよ」
春雨の降る夕方は、どんより薄暗く、寂しさを募らせる。俺がこの教室で一人だったら、いたたまれなくなって、すぐに飛び出していただろう。だけど、今は山本が居る。お互い、情けない補修仲間だけど、親友の山本が居るから俺はやって行ける。
「おーい!もう帰れよ」
見回りをしていた教師が、俺達に帰宅の催促をする。
「は、はいっ!すぐ帰りますっ!行こう、山本」
『ん、そーだな』
椅子から立ち上がり、電気を消して、俺と山本は教室を後にする。



ぎゅっ。
いつからだろうか?俺と山本は、二人きりになると、自然と手を繋ぐ。ただ、黙って手をつなぐだけだけ。俺と山本は親友なだけで、恋人同士なわけじゃない。けれど、この手を繋げる時は繋いでいたい…という気持ちでいっぱいなんだ。



『ツナ、今日はウチに泊まってけよ』
「へ?」
昇降口で靴紐を結びながら、山本は俺を誘う。
『親父が商店街の旅行に行って、今夜、俺一人なんだよ』
「あ、そうなんだ…」
『明日は朝練もねーし、一緒に登校出来るし。な?泊まってけよ』
「うん、そうするよ」
靴紐を結びながら俺を見上げる山本の表情が堪らなく、俺は彼が望む返事をする。



ぎゅっ。
手を繋ぎながら、山本の家へ向かう。
『夕飯、何にしようか?ツナの食いたいもん、俺が作っからさ!』
「本当に?…俺、カレーが食べたいな」
『カレーか?どんな?』
「んー…シーフードカレーがいいな!」
『ハハハッ!ウチは寿司屋だから材料はたっぷりあるぜ!』
「凄く楽しみだよ」



ぎゅっ。
雨が降りしきる中、俺と山本の手は繋がれたまま。歩く足取りは軽やか。今夜は眠る時も、手を繋いでしまうかも…いや、手を繋いでなくちゃいけないんだ。
『あ、また桜の木…』
山本の視線の先には、一本だけの桜の木がある。その桜も春雨と風で、散っていた。ぎゅっ。俺は山本の手を強く握る。
「山本、今夜、こうやって手を繋いで寝ようよ」
『へ?…あ、うん。いいぜ!』
山本も、俺の手を握り返す。



俺達は、雨で散り散りになる桜を背に歩く。こうやって、手を繋いでいれば俺達は大丈夫。



こうしていれば、悲しみや寂しさや苦しみなんて、きっと繰り返さないんだ。



END

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