04/01の日記

03:53
「エイプリルフール」の方の日記から読まないと訳わかめよ
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私は母親を誰よりも尊敬してます。そんな母親を一度だけ本気で泣かせたのがこの頃でした。



腕に刃を入れる行為が当り前になった頃、傷を母親に見られました。やばいと思って部屋に慌てて戻ったものの、それは今更。何があったのか言いなさいと凄い剣幕で入ってきました。


こんな最低なことをした自分を知られたくない!


そう思ったのですが…母親が泣きながら、

『何があったか知らないけど、あんたの身体を傷つけるくらいならお母さんの身体傷つけなさいっあんたが痛い思いするんだったらそっちの方がマシだよ!』


こう訴えてきたので、辛かったこと、誰にも言えなかったことを全て話しました。母親は黙ってずっと聞いてくれました。

私はこの時から、心から母を尊敬し、絶対にもう悲しませないと誓いました。もちろん自分から身体を傷つけたりもしないと。
実は朔ちゃん、ピアス開けてないんすよ!!大袈裟だけど、部活で六年間怪我し放題で心配かけまくったんで←これは自分から怪我しようと思ってしたわけではないのであしからず。



話は戻って、結局N君への後ろめたい気持ちが消えず、Wにも別れを告げました。本当に2人には申し訳ない気持ちでいっぱいです。

受験が無事終わり、避けられていた友だちとも次第に前のように話せるようになり、気持ち的に落ち着いたのか少しずつ怪我も回復に向っていきました。

後から知ったことだったのですが、友だち2人は私がN君と気まずくなったことを相談しなかったことに腹を立てていたそうです。でもその後にN君が、
『朔を許してあげて』
としつこく言ってきたのが嫌だったそうで、いつの間にか朔からN君に怒りの矛先が移っていたそうです。

どこまでもN君を裏切り続けてきた私……彼には心の底から、幸せになってもらいたいと思っています。




裏話として、この昔話に登場した転校した友だち=深雪ちゃん、助けてくれたクラスのK=よく日記に書かれるお馬さんなんです。友情しゅちゅえんでした、言えませんでした、噛みました(笑)




さてさて、今日はエイプリルフールです。今回お届けした昔話、どっからどこまでが


“本当”か“嘘”か?

全部“本当”かもしれないし全部“嘘”かもしれません!!


あ、ウチのかーちゃんがおでぶでどうしようもないことと、Wが朔と別れるちょっと前にメル友50人くらい作ってうかれて高校ではピーで有名になったのは本当だよー




思いついたままに打ったから文章めちゃくちゃなのは許してください、これが夜中の朔の精一杯です(笑)

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02:43
エイプリルフール
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昔話をします。


中学3年の時、いつも4人で行動していた私たち。その内の一番仲が良かった1人が転校しました。3人って微妙に不安定、でもなんとか仲良くやっていました。

秋、球技大会の練習中に親指の靭帯を切りました。受験の悩みも重なった私を励まそうとしてくれたのがYちゃん。Yは、クラスの男子のWとKと共に、Wの家で遊ぼうと誘ってきてくれました。
その気持ちが嬉しかったので、当時N君と付き合っていた私は悩んだ末、N君にYと遊ぶとしか告げなかった。
それが何日かした後にN君の耳に入り、私は問い詰められました…いや、彼は全然怒っていなかった。
でも私は後ろめたさから少しずつ避けるようになってしまったんです。


球技大会当日もがんばろうねと言ってきてくれた彼を…。それを見ていた仲良しグループYちゃんたちが疑問に思って私に聞いてきました。そこで私はたった一言、『ちょっと喧嘩しちゃったんだ』とだけ…詳しくは言えなかった。


それがいけなかったのか、次の日からYちゃんたちに避けられ始めました。イジメとかではなく、一切関わらないようにされてました。自分で言うのもなんですが、私たち3人はクラスで結構目立つ存在だった為、それが2‐1に分かれてしまうと必然的に私が女子の中でポツンとなってしまってたんです。所謂どこにも属さない人たちに時々混ざったりもしたものの…孤独でした。

そんな時、治療中の病院の先生にこんなことを言われました。
『なんか辛いこととかある?』
話を聞いてみると、あるOLが軽い捻挫をして治療していたが、会社でのストレスで治りが遅くなってしまった、ということでした。その女性は結局一年後に完治したそうです。

私は小5の転校がきっかけで自律神経失調症となったこと、今精神的に不安定なことを話しました。

そこでつけられた病名は

“反射性交感神経性ジストロフィー”

正直訳がわかりませんでした。恋・友情・受験・怪我でただでさえ頭の中がぐちゃぐちゃになってたのに、また心の病気?みたいな。

それを助けてくれたのがWとKの2人でした。クラスの中で1人でいる私が気になったようです。3人で夜中に学校の校庭で寝転んだりして語ったりもしました。中でもWは親身になって話を聞いてくれ、段々と私にとってすごく安心できる存在となっていきました。


でも私はあの日以来N君と話はしていない。このまま自然消滅?それはこっちの勝手な都合でした。

もう、浮気としか呼べない所まできていました。……それどころか本気でした。



しばらくして、N君から連絡がきました。『ちゃんと2人で話したい』と。不安だったものの、Wにきちんと断った上でその場へ行きました。N君は戻れるなら戻りたい、どうしてこうなってしまったのかと言ってましたが、私が泣きながら全て包み隠さず話すと、ただ遠くを見ながら一言、
『わかった』と言って去って行きました。


1人でいるのが苦しくてWに電話をすると、迎えにきてくれました。迎えに来る途中にN君からも電話があって『迎えに行ってやってくれ』と頼まれたそうです。


あんなに想われてたのに、あんなに想ってたはずなのに傷つけた。そんな自分が許せなかった私は、その日からカッターで自分の腕を切るようになりました。

…そんなことで許されるはずなんてないのに。

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