2005年
8月、「ホリプロタレントスカウトキャラバンメモリアルオーディション2005」に応募(応募総数52,547人)決選大会出場者15名に残るが入賞できずに終わる。(グランプリは緑友理恵)。
この大会の審査委員長は、AKB48プロデューサーとなる秋元康だったが、彼は高橋を落選させたことを全く覚えていなかったらしい。
ホリプロタレントキャラバンを含め、高橋みなみが受けたオーディションはAKB48に入るまでに「7本ぐらい落ちてる」ため、AKB48のオーディションを受ける前に、「これがダメだったら諦めよう」母親と約束していた。
しかし10月30日、並行して応募していた『AKB48 オープニングメンバーオーディション』に合格(応募総数7,924名、最終合格者24名)。ここからAKB48の高橋みなみが始まった!!
のちにAKB48劇場支配人となる戸賀崎智信によれば、書類審査通過理由は「身長と誕生日が48だったから」とごろ合わせがきっかけ。11月3日から始まったダンスのレッスンでは、指導者の夏まゆみによく居残り練習をさせられていたほど苦手なものだった。
AKB48をやっていて一番辛かったこととして、このダンスレッスンのことを語っている。
同年12月7日、公開リハーサルとメディア向けお披露目を終え、翌8日オープニングメンバー候補生のうち20名として、AKB48劇場グランドオープンの舞台に立つ。
こうしてAKB48の高橋みなみが誕生した!

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