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□白き姫君
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「ここ、どこかしら……?」


 マリアはふと辺りを見渡した。
 立ち並ぶ杉の木は、細い光しか地表には届けてはくれず、辺りは尚も薄暗いままだった。
 太陽ですら見えないこの場所では、どれくらい時が経ったのかですら分からない。


「お城から逃げてきたのだけれど、本当にお城から離れているのかしら? 私、戻っていないわよね?」


 マリアは城の外に出ることが少なかった。
 そんな彼女が一人で、それも共も馬車もない状態で国外へと続く森の中を彷徨うなど、正気の沙汰ではないことである。

 それでも逃げなくてはならなかった。

 望んでもいない美しい容貌から、その命を終わらせられようとしているのだ。
 継母である王妃に……それも魔女によって。


「あぁ、足が痛いわ。それにお腹だって空いた。こんなことならバスケットにサンドウィッチでも入れて持ってくるんだったわ」


 あら、でも。そんなことをしたら、家出と言うよりはピクニックになっちゃうかしら?
 等と、彼女は小さく鳴るお腹を押さえながらとぼとぼと、歩き続ける。


「大好きなお菓子だってない。あぁ、お城の外はどうしてこんなにも不便なのかしら?」


 お城には、マリアのためにといつも甘いお菓子が用意されている。

 サクサクのビスケットに、ジャムをたっぷりと塗りつけたスコーン。
 とろりと琥珀色に輝く蜂蜜をかけた切り株ケーキ。
 甘いのに苦いガトーショコラ、色とりどりに輝く不思議な飴玉、まぁるくてちょこっとだけ大人な気持ちになれるチョコレートボンボン。

 どれもこれも、マリアの為に腕を揮って料理人が作ってくれたもの。
 それを食べることが幸せで、大好きだったのに、継母が嫁いできてからは、あまり食べていない。


「あぁ、またあの美味しいお菓子が食べたいわ」


 マリアはふぅと、小さくため息をついた。


「少しだけじゃなくて、お腹一杯に。あの甘い甘いチョコレートに酔いしれて、サクサクのパイに齧りつきたい……。暖炉の炎で溶かしたマシュマロも美味しかったわ、お父様と食べたタルトも、ばあやと一緒に食べたカントリークッキーも、おじさまがこっそりと分けてくれたドライフルーツだって!」


 うっとりと瞳を閉じて、その一つ一つの味を思い出すかのようにゆっくりと呟く。

 口の中でとろけてしまいそうな、あの甘いお菓子の数々。
 それを思い浮かべるだけでマリアの頬は自然と緩み、それからぐぅと再び小さくお腹を鳴らした。


「でも、ここにはそれがないのよね。そんなこと分かっているわ。分かってはいるけれど、お腹は勝手に鳴ってしまうのよ」


 ねぇ、お腹の中に住んでいる虫さん。

 そう自分のお腹に向って同意を求め、ぽんと一つ叩いた。
 コルセットに締め付けられているそこは、綺麗な括れが出来ており、女性であれば誰もが羨ましいと思うほどに細い。


「美しさは姫に必要なものだって分かっているけれど、そんなもののせいでお義母さまに狙われるのは、勘弁してほしいわ」


 華奢な靴で長い距離を走り続けたせいで足は痛いし、お腹は空くし、暗いし、道が分からないしで、心細さからマリアは長い睫を伏せた。

 じっと地面を見つめて、悲しみが過ぎ去るのを必死で待っていると、ふと、マリアの目にピンク色の何かが映りこんだ。


「あら?」


 爪の先ほどもない、小さな小さな何か。
 それに気付くと、マリアはそっとそれをつまみあげた。


「金平糖だわ。どうしてこんなところにあるのかしら?」


 突起物を四方八方に突き出しているピンク色のそれは、砂糖を固めて作り出したと聞く、外国のお菓子だったはずだ。

 それがどうしてこんなところに?
 マリアは不思議に思いながらもそれに顔を近付けて、それから残念そうに肩を落とした。


「残念だわ。これ、偽物なのね」


 甘い香りが全くしないのだ。
 手のひらで溶けることもない。

 お腹を空かせたマリアは、仕方なしにそれを元の場所に戻そうとして……


「あら?」


 ふと、その存在に気がついた。


「まぁ、なんて素敵なお家なのかしら!」


 固い飴細工の柵にビスケットの門。
 建物まで続く道には金平糖の砂。
 玄関の扉はチョコレートで、その壁はウェハースを積み重ねられて作られている。
 屋根に使われている瓦は市松模様のクッキー。

 どうしてこんな森の中に、そんなものがあるのだろうか?

 そんな疑問はマリアの中には生まれてこなかった。


「お菓子の家ね! とっても素敵!」


 近寄り、それらのどれもが偽物だと分かったとしても、マリアは肩を落とさなかった。

 それどころか、瞳をキラキラと輝かせて金平糖が敷き詰められている前庭を突っ切り、チョコレートの扉の前へと立つ。


「きっと、ここには美味しいお菓子があるのよね! なんて素敵なお家なのかしら!」


 そしてマリアは躊躇することもなく、扉を開いた。
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