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□小噺紙片
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「君は頑なに首を縦に振らないけれど、どうしてだい? はっきり言おうか、時間の無駄だ」


 この人は、何を言っているのだろうか?

 僕と同じ声変わりもしていない年のくせに、何でこうも上から目線で命令してくるのだろう。


「キミはここから逃げ出したいのだろう? ならば何を迷う必要があるのかね」


 あぁ、そうだ。
 人買いに攫われてた僕は、明日には競売に回されてしまうんだ。

 そうなる前に帰りたい、帰りたい。
 あぁ、でもよく考えてみれば、僕には帰る場所が無いんだ。

 月明かりですらない暗い檻の中。
 さっきから頭の中でこの曲が止まらないんだ。


“買って嬉しい花市もんめ”

“負けて悔しい花市もんめ”


 売られてしまう。
 僕自身が商品となって誰かも知らない人の物になる。
 きっとそうなってしまうんだろうと、何処か他人事のようにぼんやりと考えていた。


「ボクが逃がしてやろうと言っているのだよ。キミは、人の話を聞いていないのかね?」

「……いや、聞いているよ。でも、今の僕には理想論はいらないから」


“買って嬉しい花市もんめ”

“負けて悔しい花市もんめ”


 高くても器量の良い商品を買う大人。
 器量の悪い商品はいくらか負けて売り付ける大人。

 明日には僕も商品となって、少しでも高く売り飛ばされるんだ。

 だからね、こうして首輪と足枷を付けられた上に、体をマヒさせて逃げられないように、余計な傷を作らないように管理されていたんだよ。

 それなのに、今更、逃げないかなんて。
 檻の外にいる、姿も見えない君が何を言っているんだと、鼻で笑ってしまいたくなるよ。


「ふむ、その状態であるにも関わらず冷静に物事を考えられるとは、全く持って素晴らしいよ。ところで、話せるということは痺れも取れたと言うことなのかな?」

「……少しは」

「よろしい、では理想論を現実へと変えてみせよう」


 かちゃり、と檻の扉が開く音がした。

 薄暗い檻の中、僅かな光が射して少し眩しい。
 檻の中に誰かが入ってくる音、ため息をついた音。


「さて、キミはどれかね?」


“あの子が欲しい”

“あの子じゃ分からん”


 君にも分からないんだね。
 無理もないか、同じように並べられたまだ子どもと言える人影が床にあるんだもの。


「これ、だよ」

「あぁ、これかね。全く分かりにくいものだ」


 その中の一つ、応えた僕と言う商品の傍で膝をつく。

 君という影に覆われて、何も見えない。音だけが、君がここにいると言う存在証明だった。

 しばらくして、かちゃりと足枷が外れた。
 重みが消えて軽くなったはずの足には感覚が無いから、自由になったのかどうかですら分からない。


「キミには分からないだろうが、これでキミの足を縛るものは無くなったよ。その首輪くらいなら後ででも外せるだろう?」

「……あ」

「さて、キミはこれでも理想論と言うのかね? まぁ、キミの同意なしにここから連れ出すのは、些か骨が折れるからね。まだ完全に理想論ではないと言いきれないけれども」


 この人は一体何を考えているんだろう。

 ぼんやりとした頭で、顔があるだろう場所を見上げた。
 何でこんなにも、僕を連れ出そうとしているんだろうか。

 彼にとって、僕にそれだけのことをする価値があると思われているのなら、買い被りすぎだと気付かせてあげたい。
 もしそうだとしたら、あまりにもリスクが高すぎる。


「……れ、も」

「ん?」

「………俺、も………逃がし……て…」

「おやおや、薬が弱かったのかな? 気付けたキミには申し訳ないけど、ボクはキミを解放するつもりはないよ」


 それはあんまりだ。
 偽善者振れとは言わないけれど、あまりにも言葉が無慈悲すぎる。


「せいぜい、見た目を補えるだけの気遣いや媚を見せて、売れ残らないように気を付けたまえ。ボクにはそれしかキミに言うべき言葉が見つからないよ」

「……んな……っ!!」

「さて、もう一度言うが、ボクはキミしか連れていきたいとは思えないんだ。キミはどうしたい?」


“相談しよう”

“そうしよう”


 でも僕には相談なんかしていないじゃないか。
 用意されている答えは肯定だけ。否定なんかさせてくれない。

 もしも僕がここで否と答えたら、それこそ大金をどぶに捨てるような行為をしているのだろう。

 さっきみたいなことがあったから、僕には尚更この申し出を断ることなんてできない。
 断ることを、僕と言う人格が拒んだ。


「……まだ、痺れたままなんだけど」

「案ずるに及ばないさ。優秀な運び屋がいる。ボクが聞きたい応えは、そんな言葉じゃないんだが?」

「……連れて行って、ください」

「よろしい。キミを連れ出そう」


 売られた方が、まだましだったんじゃないかと思ったりもした。
 この偉そうな話し方をする得体の知れない人について行くことが、正しいのかどうかですら分からない。

 動かない体の代わりに、頭が妙に冷静に考えてしまう。
 何も考えないで流されていた方が、楽なのにね。


「さて、話もまとまった。こんなところからは一刻も早くおさらばしたいものだ」

「ナマモノ運ぶのは苦手なんだけどなぁ……。荒っぽいのは我慢してちょーだいね」

「!?」


 どこからか突然現れた誰かに、僕は体を持ち上げられた。
 確かに、僕を気遣っているとはお世辞にも言えないけど、運んで貰う身で贅沢は言えない。

 さっき助けての声を上げた誰かが、啜り泣く音が微かに聞こえる。
 ごめんなさい、僕にもどうすることはできないけれど、ただ君が生き延びてくれることを何処かで祈っていようと思う。

 まぁ、僕だってこの先無事でいられるという確証はないんだけど……。


「さて、行くとしよう。ボクがここにいる義務はない。頼むよ、運び屋。なるだけ丁寧にを心掛けたまえ」

「善処はしますけどね」


“買って嬉しい花市もんめ”

“負けて悔しい花市もんめ”

“あの子が欲しい”

“あの子じゃ分からん”

“相談しよう”

“そうしよう”


 さよなら、残された君たち。
 僕は一足先に彼に買われていきます。

 君たちも、僕も、この先生き残れることを祈るしかないのだから、せいぜい足掻くことを止めないで。

 誰も、僕らのことに関わりたくはないのだから。


「……バイバイ」


 さよなら、いい人に買われてください。

 それから、
 僕の意識は、ない―…。







はないちもんめ
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