短編

ふぇち
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「俺?匂いフェチ」

その声に、日誌を書いていた手を止めた。
学習委員というめんどくさい役割を請け負った、高校2年目の春。

そういった役割とは無縁のグループが、放課後の教室の後ろを占有していた。
ぽつんと前端に座る俺、熊谷朔(クマガイサク)とは全く無関係の人種が8人。
なのにさっきの発言者の声だけは、クリアに届いてしまった。

水口雄右(ミズグチユウスケ)。
校則違反の赤い髪。それがよく似合う精悍な顔つきは、若い女教師の注意の声さえ甘くさせる。
取り巻く仲間も華やかな人間ばかりだけど、彼だけは俺には特別だった。

『俺は…あい、かな』

あの言葉。
何気ない場所で、何気なく言っただろう言葉。
あの日から俺にとって、赤い髪はなぜか自然に目につく特別な色。


ふぇち


「匂い〜?なんかやらし〜」
「言えてる」
「えー?胸とか尻とか言ってる奴等に言われたくないわ」

彼らの会話は続いている。

「なぁ俺の匂いとかどう?」
「う…くっさい」
「…地味に傷つくな。この香水たけぇのに」
「じゃあさユウ、俺は?」
「…変な匂い」
「ひど…俺なんもつけてないのに」

どうやら、周りの人の匂いを順に嗅いでいるみたいだ。
ちらりと振り返ると、水口は匂いを嗅いでは、あからさまに顔をしかめている。
そうしてると、大人びた彼も子供みたいだ。
思わず笑みがこぼたれ時。

ぱちり、目があった。

水口の瞳が俺を凝視したまま、止まる。

…まさか。

嫌な予感に、振り向いたままの姿勢で硬直した。
ずんずんと、長身の男は近づいて来る。

「え…ちょ…」

すぐ近くに立ち、大きめな口元をヘの字にして水口は俺を見据えた。
固まったままの俺の真ん前まで屈み、くん…と犬みたいな仕草をする。
それから、また俺を凝視した。

「俺この匂いすげぇスキ」

勢いよくぎゅう、と首に顔を押し付けられた。
俺は、ぬいぐるみさながら。
…つまり、後ろから抱き締められてる状態。


……なっ…


ぺちん

教室に間抜けな音が響いた。
どうやら、俺の手の平から出ていたみたいだ。
はっとして水口を見上げる。
いつもなら、どこか斜に構えてる目が、まん丸になったまま俺を見ていた。




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