お題

信じない
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「東京に行く?」

俺はぼんやりと、新人のバイトの子を見つめた。
昨日に比べ、店はまだマシな忙しさだった。

「…誰が」
「だから…阿部店長さんですよ。あっちの店に行くって昨日正式に決まったみたいですよ。…残念だなぁ」

バイトの女の子は、心底残念そうに言った。
そういえば、彼女も純也にアピールしてたっけ。

「ふぅん」

俺はそう短く、ひと言だけ返した。

そんな話は聞いてない。

正式に…て事は、前から出てたって事か。

俺は聞いてない。

そんな事を考えながらも、身についた身体はてきぱきと動いた。



「山下(ヤマシタ)、昨日忙しかったか?」
「…まあまあですかね」

翌日もバイトが入ってた俺は、ビールをつぎながら答えた。
純也は店長の顔で、名字で俺を呼びながらさりげなく側に来る。
こんな風に店長とバイトの顔を演じてるから、俺達の関係は誰も知らない。

「明日…休みだろ。俺も休み」

2杯めのビールをくみながら、俺は純也を見なかった。

「そうですか」
「あ、冷たいな」

無意識に冷たい口調になってたらしい。
やっぱり、昨日の話がどこかでひっかかってる。

「俺は忙しいんで」

ビールを両手に、俺は顔も見ずに通り過ぎた。
それを客に渡して戻ると、純也はバイトの子となにやら話していた。
楽しそうだ。

無性に腹が立って来た。

俺は…あんたの何?東京に行くまでのセックスの相手?
4年間…それだけだった?
問い詰めたい言葉はたくさん浮かぶのに、俺がその日したことは、無視し続ける事。
あとは帰って、録画してもらった動物番組を見た。
発散するように、泣きまくった。
考えないようにしながらも、結局考えてる。
今まで何度も浮気されたし、散々振り回されて来た。
けれど今回は、深刻な問題なんだろう。
ちゃんと聞いて話すべきだ。
俺と純也の今後について。
客観的に考えれば、東京行きを知らせて来ないあたり、あいつの答えは明解だ。
それでも、心のどこかでまだ思ってるんだ。
俺は特別だって。
馬鹿みたいに思ってる。



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