短編3
□溺れる、堕ちる
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何気なく開いていた扉が眼前にあって、それが誰の部屋かはわかっていたものだから、私は遠慮もなしにドアノブに手をかける。すると、主はギロリと鋭い眼差しでこちらを睨んだ。
「ああ、ごめん。少し開いていたからさ」
「…」
彼は、スクアーロはチッと舌打ちをしただけで特に何も言いはしなかった。いつも私が勝手に部屋の中に入る癖を知っていたからだ、きっと。
「…なに、してるのさ」
私がスクアーロの背中に話しかければ、彼はまたこちらを睨む。その眼は、赤い。
「見てわかんねぇのかよ。荷造りだぁ」
「へぇ。長期の任務でも入ったか」
「…」
スクアーロは私の質問に答えない。実際、聞いた意味はないと思う。この部屋に入った瞬間に察した。彼はおそらく、ここへはもう帰ってくるつもりはないのだろう。
「…ここを出ていくんだ?」
「そうだぁ」
「…そんなに、辛い?そんなに憎い?」
「…」
スクアーロはまたしても黙り込む。しかしそれを肯定ととった私は、脱力したようにベッドに座った。
「…そっか、出ていくのか」
「…あいつの居ないヴァリアーなんざ…意味がねぇ」
理由は知っている。殺されたからだ。スクアーロの最愛の女性を。私からもわかるほどに、ふたりは相愛していた。その彼女もまた隊員だったけど、つい先日、任務に失敗して、そしてボスの怒りを買って、終わりを迎えたわけだ。私から言わせれば、愚かしいだけだ。その彼女が、ではなく、たったそれだけのことでヴァリアーを出ていくスクアーロが。任務に失敗する。ボスに処分される。そんな話、日常茶飯事だったはずなのに。呆気なく死んでいった隊員達を嘲笑っていたのはスクアーロなのに。
「愛してたんだね、彼女を。ここを去りたくなるほどに」
私が努めて優しくそう言えば、純粋な彼の背中からは鼻をすする音が聞こえる。
「…ボスに報告するかぁ?オレが出ていくことを」
「いーや。言わないさ。黙っててあげるよ」
「…」
スクアーロは驚いたように私を振り返る。滅多に見ることのない間抜け面だ。それを横目で見て、私はベッドから立ち上がって後ろを向いた。
「…堕ちたね、スクアーロ」
堕ちた。本当に、彼は堕ちてしまったと思う。剣帝を倒したあの傲慢な鮫が聞いて呆れるほどに。ヴァリアー次席が聞いて呆れるほどに。今の彼に剣士としての誇りはないのだろうか。ボスについていくと誓った言葉を裏切る罪悪感は、皆無なのだろうか。
「…何とでも言え」
「あっそ」
私がいくら罵ったところで、いくら諌めたところで、スクアーロはもう決めたことだと、その意志は固いようだ。
「…ねぇスクアーロ」
「何だ」
「君は…これからどうするの?どこへ行くの?」
「…わからねぇ。だが、これだけは言える。もうここには居られない」
「…」
いよいよ荷造りの終わったスクアーロは、私の立つ扉まで歩いてくる。その表情は暗く、かつての面影はどこにも、ない。
「じゃあなぁ」
「…」
スクアーロは扉を開けて去っていく。多分、これで最後になる。もう会うことはなくなる。あるとしたら、きっとそれは最悪な形での再会になる。
「スクアーロ…」
ただ私は、その虚しい背中を見ていることしか出来ずにいて、扉を開けてより真っ先に言いたかった言葉を、とうとう口にすることはなかった。
伝えたかったのは、彼を罵る言葉じゃなくて。聞かせたかったのは、彼を諌める言葉じゃなくて。ただ、君が好きだと。そう言いたかっただけなのに。
溺れる、堕ちる
(堕ちた鮫を愛するもまた、)
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悲恋にするつもりはなかったんです。堕ちたスクを嘲笑う主人公のホラーが書きたかったんです(ん?ホラー?
H20/3/12(水)ツブテ