銀魂

□雨の切れ間に掛かる橋
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しとしとと、雨が降っている。
見上げれば空は何処までもどんよりと暗雲が垂れ込めていて、唯でさえ憂鬱な気分に拍車を掛けるようだ。
雨期でも無いのに、天候は此処の所いつでも曇天か雨、雷雨のどれかである。
最後に太陽を拝んだのは何時だったか。
街行く人々も、生気の無い顔をして急ぎ足で過ぎ去って行く。
更に今日は何時もより一段と冷え込み、皆一様に上に一枚羽織っているように見える。
ぼんやりと小汚い小さな旅籠の二階の窓から外を見下ろしながら、そんなどうでも良い事を頭の中で延々と思考していた。

この男、要は暇なのである。

傍らの火鉢に置いていた煙管を取り咥え、ゆっくりと煙を含んで雨が降り頻る軒先へとゆったりと吐き出した。
紫煙は暫し未練がましくも空中に留まろうとしていたが、やがて雨に吸い込まれていった。
「つまらねェな・・・。」
ぼそり、と一言呟く。
この雨では外を出歩くのは億劫なのだろう。
先程から一人外を眺めながら、紫煙を燻らせているだけだ。
男が居る部屋の中は、如何したのだろうか、酷く散らかっていた。
乱れた布団と脱ぎ捨てられた掻巻が畳を半ば隠し、残った畳の部分には空いた瓶やら刀やらが乱雑に置かれている。
当の本人も、寝癖なのか髪は乱れ、薄手の着物は大きく肌蹴ている。
そんなだらけた格好で、彼是一時間程、窓の木枠に腰掛けてボーっとしていた。
「そんな所に居たら、幕府の狗に見つかるぞ。」
その声にゆっくりと後ろを振り返る。
そんな動作には普段の鋭利な刃物のような気迫など、微塵も見受けられない。
気怠げに髪を掻き揚げるのまで緩慢な動作で、普段の姿を知る者が見れば明らかにおかしいと口を揃えるであろう様子であった。
「幕府の狗は・・・優秀な猟犬じゃねェからなァ・・・」
まるで酔っているかの様にゆったりと言葉を紡ぐ。
その言葉も、何処と無く何時ものキレが無いように思えた。
「駄犬であっても、獲物を見つける時は案外やるものだ。
そうやって油断していると、気付かぬうちに喉笛に喰らい付かれるぞ。」
長い黒髪から雨水を滴らせながら、窓枠に寄り掛かり溜息を吐く男へ歩み寄った。
ぽたり、ぽたりと畳に染みが出来ていく。
「おい、ヅラ。てめェ髪拭きやがれ。部屋が湿気る。」
面倒そうに呟いた男は、部屋の隅を指差した。
そちらに目を遣れば、そこには畳まれた手拭が数枚、重ねられていた。
「・・・使え。」
たった一言そう述べるとまた視線を外に戻してしまう。
とりあえずその手拭を一枚手に取り、頭を拭きながら窓へと歩み寄る。
「何か、面白い物でもあったのか、高杉?」
長い髪を纏めて手拭で包み込んで絞りながら、高杉と同じように外を覗き込む。
そこには、相変わらずの雨に打たれる、いくつもの傘があるだけだった。
「・・・何だ、傘しか見えないではないか。」
つまらなそうに呟きながら、窓枠に腰掛ける。
俯いてガシガシと頭を拭きながら、まだ外を眺めている高杉に視線を向けた。
そこでふと、桂の動きが止まった。
「・・・高杉、如何かしたか?」
「あァ?」
突然の桂の言葉に、怪訝そうな顔をしている。
高杉は意味が分からない、と小さく首を傾げた。
「手が、震えているが・・・寒いのか?」
煙管を持った手を指差され、高杉もその手に目を遣った。
高杉の、無骨だが何処か繊細ですらりとした指先が小刻みに震えていた。
傍目に見ても明らかに揺れていると分かる程、激しく震えている。
「別に、寒かァ無ェよ」
別段気にする風でもなく、高杉はそのまま煙管を口元に運んだ。
煙管が口に咥えられた時には、その震えはかなり治まっていた。
「高杉、お前・・・何処か具合でも悪いのではないか?」
幾分不安げな色を目に浮かべ、桂は高杉の目をじっと見つめた。
その目に自身の血色の悪い顔が映り、小さく苦笑した。
「悪かァねェよ。至って健康そのものだ。」
ふぅ、と紫煙を吐き出して、笑いながら然も何でもない様に言った。
それでも納得できないのか桂は念を押してくる。
「本当に・・・何処も悪くないのだな?」
心配で堪らない、と言う雰囲気をひしひしと感じて、高杉はより一層苦笑を深めた。
「てめェは母親か?体調が悪けりゃ自分で何とかする歳だろうが。」
「しかし・・・」
まだ心配そうに眉根を寄せている桂に、高杉は溜息を一つ吐いて煙管を火鉢に置き、
そっと濡れた頭に手をやって、有無を言わさず抱き寄せた。
「なっ・・・」
桂が動揺するよりも早く、高杉の胸に凭れ掛からざるを得ない体勢になっていた。
片手で桂の湿気た髪を包み込むようにして、優しく撫でる。
高杉の細身ながら筋肉質な胸に額を預け、不安定な体勢のまま溜息を吐いた。
「高杉、この体勢はかなり辛いんだが。」
ぼそりと文句を言うが、煩ェと一言返された。
仕方なくそのまま温かい胸の鼓動に耳を澄ます。
トクン、トクンと脈打つ音が、この男が確かに生きている事を実感させる。
ほっとしている自分に一寸驚くが、「友人」なのだから仕方あるまいと納得した。
普段から放つ冷たい気配とは裏腹に、この男の体は温かい。
恐らく多くの者・・・「仲間」と言っている連中ですら、この温もりは知らないだろう。
「なぁ、高杉・・・」
「何だ。」
桂を抱き寄せたまま、また煙管を口元に運びつつ生返事を返す。
「お前、少しは自分の体を大切にした方が良いと、そうは思わんか?」
何処か怯えた様な桂の声に、高杉は小さく左右に首を振った。
「俺ァ・・・俺が生きたい様に生きる。大切にするだの何だのってのは、全く気にならねェなァ・・・。」
のんびりと答え、煙管から煙を吸い込み紫煙を外に吐き出す。
桂はゆるゆると手を上げ高杉の腰に回してしがみ付いた。
「どうした?」
ゆっくりと長い髪に指を絡めながら、高杉は桂の頭頂部を見下ろす。
桂よりも身長の低い高杉では、普段はまず見ることの無い姿に、僅かに優越感を覚える。
「・・・・・・・。」
言葉を探しているのであろうか。
黙りこくっている桂の髪を手持ち無沙汰に弄ぶ。
湿気ていながらもさらさらとした手触りの髪は、指通りが良く心地好い。
意味も無く髪を弄っていると、桂が何か呟いたように聞こえて視線を落とした。
「・・・何だ?」
髪を弄うのを止めて頭を撫でながら問うと、腰に回された腕に力が入った。
「いつか、お前は命を顧みず戦地に赴いて、散って行くのか、と・・・考えていた。
・・・そうしたら、今此処に居るお前を、離してはいけない気がした。」
ぽつ、ぽつ、と、言の葉が零れ落ちる。
それは宛ら、椀に満たされた水が、耐え切れずに流れ落ちるかの様だ。
静かな独白は尚も続く。
高杉は優しい手付きで頭を撫で続けながら黙って言葉を待っていた。
「道は違えど志すは同じ者として、見す見すお前を失う事など出来ん。
しかし、お前が自ら望んで死地へ赴くと言うのならば、止める事など出来ぬも承知。
では如何したら良いのかと考えたら、答えが見つからない。」
零れ落ちる言葉は、宛ら雨が細い川を描き、段々と勢いを増して行くかのように。
高杉は只、それを無言で受け止めるだけだ。
それが今の高杉に出来る最善の事だと分かっているのであろう。
今不用意に口を開けば、この危い均衡は脆くも崩れ去り、桂の言の葉も尽きるだろう。
そうなれば、今だけではない、遠い未来にまで悔いを残す事になる。
高杉は多くは語らないが、全てを黙って受け入れる事で揺れる均衡を保っていた。
「真選組の連中は目の敵にしているが・・・
我々は互いに、意見が衝突する事はあれど決して「敵」とは見ない。
それは同志であり同師であり、友人であるからだ。」
桂は一寸の間押し黙り、額の位置を少しだけずらして再度口を開いた。
「だが・・・どうしても、お前だけは「友人」と云う括りだけの想いでは無いと思ってしまう。
「同志」でも「同師」でも、「友人」ですら足りんと、そう思ってしまうのだ。
・・・可笑しな話だと、鼻で笑うか、高杉。」
不安そうに言いながら、顔を上げようとする桂の頭を、撫でていた右手で押さえる。
「高杉・・・?」
戸惑ったような声が、胸元から上がる。

今の桂は酷く不安定だ。

それこそ、薬に頼る事で自己を保っている高杉よりも、遥かに。

いつもならば飄々と・・・時には浮雲の様に、またある時には風に戦ぐ柳の様に、
荒波をも軽々と乗り越えて行く様な柔軟な強さを持っていると言うのに。
それが今では襲い来る波を正面から受けてしまっている。
それは苦しい程の「想い」を知ってしまったからこそ。
「可笑しくなんかねェ。誰がどんな事を想おうと、笑う権利なんざ持ってねェよ。」
ずっと黙っていた所為か緊張の為か、掠れた声でそっと囁く。
その声は囁きでありながら、確固たる強さと意外な程の力を持って桂の耳に届いた。
桂の細い指が、高杉の薄手の着物を握り締める。
「銀時の事は良く笑う癖に。」
小さな笑い声と同時に、張り詰めた緊張感が解けてゆく。
一分の緩みも無い糸が緩められるように、桂の気配も柔らかいものに変わっていった。
「雪解け」とでも譬えるのが最も適当だろうか。
緊張の為か力の入っていた腕から、余分な力がするりと抜け落ちた。
「あいつの事は、笑ってるんじゃねェ。馬鹿にしてるんだ。」
また煙管に口を付けながら、ククッ、と低い笑い声を立てる。
それに釣られる様にして、桂もはは、と笑い声を洩らした。
「雨が止んだな・・・。おい桂、空見てみろ。」
暫し押し殺したような笑い声を立てていた高杉が、徐にそう言って桂の頭を叩いた。
「ん・・・?」
桂は体を起こして、高杉と同じように窓の外を見る。
「・・・虹か・・・」
呟く桂にニヤリと笑いかけながら、高杉は紫煙を吐き出した。
「憂鬱な雨も上がって、おまけに虹も出た。幸先良さそうじゃねェか。」
吐き出された紫煙は、雨に打たれることも無くゆらりと空に昇って行き、
ようやく顔を出した太陽の光に吸い込まれていった。
雨の匂いを含んだ風が高杉の柔らかい髪と桂の長い髪を揺らし、駆け抜ける。
「高杉。」
唐突に名を呼ばれ、高杉は視線だけを桂に向けた。
桂は先程までの不安げな素振りは何処へやら。
生き生きとした目で空を見上げていた。
「俺は決めたぞ、高杉。」
力強く宣言する桂に、高杉は「あァ?」と怪訝そうな声を上げた。
「いつか、お前が戦場に出向く時・・・俺はお前を止めたりはせん。助太刀も、するつもりは無い。」
「いきなり何だ?」
桂が何を言い出したのか意図を掴めず、高杉は桂に向き合って眉間に皺を寄せた。
「雨とは実に嫌な物だな、高杉。気が滅入ってまともな事すら言えなくなる。
しかしこの空を見ろ。青い空が見えるだけで、こんなにも考え方が変わるのだ。
ここまで見事な青空と、虹まで架かったとなれば辛気臭い事など言ってられん。
前向きに受け入れようじゃないかと、そんな気持ちになってくる。」
晴れ晴れとした笑顔で日差しを受けながら、明るい声で言う。
日差しを受けた黒髪が、きらきらと輝いていて神秘的な美しさだ。
高杉は呆れた様に溜息を吐きながら肩を竦めた。
「全く、先と言ってる事が違ェじゃねェか。」
桂はその言葉に尤もだ、と苦笑しながら、「すまん、気が変わった。」と呟いた。
あれだけしつこく空に居座っていた雨雲も何時の間にか散り散りになっていた。
太陽には勝てずに追いやられて行く雲が、自身の不安を表しているようだ、とぼんやりと思う。
結局の所、不安に駆られていたのは長く続いていた雨の所為だったのかも知れない。
恐らく、斯様な不安に駆られたのはこの二人だけでは有るまい。
世の人々も、皆憂鬱な雨に打たれて怯えていたのだろうか。

「高杉、いつかこの世界が変わる時が来ても、お前だけは変わらずにいてくれるか。」
キラキラと輝く日差しに照らされた桂が、そんな事を言い出した。
視線が柔らかい温度を帯びて、ひどく心地良い。
「・・・何とも言えねェなァ・・・。それより、てめェこそ変わるんじゃねェぞ、ヅラ。」
桂の額を指で弾いて、くつくつと喉を鳴らして笑った。
虹は薄れる事無く、二人を見下ろしていた。


「なあ、高杉。」
「なんだ。」
「銀時達を呼んで、花見でもするか。」
「馬鹿か、てめェは。花なんざ雨で散ってるよ。」
「ああ、だから、来年の話だ。」
「あァ?」
「来年も変わらず、友で居ようと言っているのだ。鈍感だな、貴様は。」
言いながら桂はさっさと部屋を後にしていた。
唖然としていた高杉だったが、やがて笑みを浮かべると、道を歩く桂に声を掛けた。
「ヅラァ・・・来年の春先、此処で待っていてやる。良い酒持って来いよ。」
僅かに顔を上げた桂は、何も言わず片手を上げてそのまま何処かへ歩いて行った。

ふと気が付けば、二本の対になった虹が空を横切っていた。


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