理屈じゃない

□知らないふりはもうできない
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誰も居ない教室はしんとして、あの日中の騒々しい雰囲気の欠片も見つからず、まるで酷似した別の空間のようだと思う。
なかなか埋まらない日誌を見詰め、真田は人知れず眉を寄せた。今日の日直は真田だったのだ。
黒板は消した。ロッカーも揃えた。窓は、まだ閉めていない。
全開の窓からは少し冷えた風が入ってきてはカーテンを揺らした。
今日は帰りのホームルームが長引いたうえ掃除も監視つきで丁寧にやらされたので(と言っても真田はいつも手など抜いたりしないのだが、クラスメイトはそうでもない)時間をとり、そして今に至る。
日は大分傾き、空は大半がオレンジ色に染まっていた。
唯一救いと言えるのは今日、部活がないことだろうか。
真田は小さく息を吐き、止めていた手をまた動かし始めた。



「―まだ、居ったん」


突然の呼びかけに、驚く。だが表情には出さずに、声の主を見遣った。知った顔だった。

「真面目やのぉ」

その意外性を含ませない声音に、仁王が真田が帰っていないことを知っていたのだと悟る。もしかしたら移動教室か何かで休み時間に真田が黒板を消しているのを見たのかも知れない。だが、真田は仁王が移動教室で真田の教室の前を通らないことを知っていた。

「お前こそ―帰らないのか」

そうだ、仁王のクラスはもう少なくとも1時間は前に解散になったはずだ。仁王のクラスメイトが騒ぎながら廊下を駆けて行ったのを快く思わなかったので覚えている。仁王はあぁ、と曖昧な返事をした。そして訪れる沈黙。やはり喧騒よりも静寂の方が好きだな、と真田は思った。

「雨」

静寂を破ったのは仁王だった。その言葉に真田は窓の外を見る。雨は、降っていない。

「傘、持っとらんかったからの」

沈み行く夕日はとても美しく真田の眼に映った。雨など降っていただろうか―…真田は考えを巡らせて、すぐに止めた。もしかしたら家に帰りたくない口実なのかも知れない。色を抜きすぎて傷んだ銀色を見ながら思う。視線を移せば、仁王と眼が合った。仁王は食い入るように見ていた視線を和らげ笑ってみせた。

「何やの?」
「こちらの科白だ」

感じるのだ。ふと気付けば熱い視線を。刺すような、射止めるような、…気を抜けば絡みとられてしまいそうな、そんな視線。それが仁王のものだと解るのにそう時間はかからなかった。

「何なのだ」

低く問えば、仁王は笑った。少しの憐れみと、愛情の隠った瞳。背筋が、震えた。

「知っているくせに…何時まで誤魔化すんかの」

仁王の手が、真田の頬をなぞる。真田は息を詰めた。ただ酷く緊張した。



「好いとうよ」








知らないふりは
もうできない




無意識に仁王の想いを避けていた真田と
意識的に真田の知らんぷりを無視していた仁王。








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