11/10の日記

19:59
今までされた事。これで僕等は多重人格になった(代筆レイ)
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保険医の先生はそりゃ青褪めてましたよ
「滑り台から上級生にやられた」とは確か語った記憶はあります
帰宅してから母親に確か基本人格が泣きながら話をするも「お前が根暗だから悪い」「靴下血だらけにしてどうすんの」そんな罵声

ただ、「辛かったね」「痛かったでしょ」そんな言葉と頭を撫でてくれる、そんな小さな幸せだけを欲しがった基本人格の心は砕け、イマジナリーブレンド(以下IF)として存在していたレイは完全に交代人格として塞ぎ気味になった基本人格の代わりに主人格として生きていく事になります
ま、その一件を含め、小学一年で自分の名前を漢字で書こうが褒めてもくれず、IFのレイしか友達を得られなかった基本人格は愛情(特に母親からの)が薄く、人間関係を築くやり方が理解出来なくて、幼稚園時代の友達の大半はレイの友達でした
多分基本人格は生活には支障がない精神疾患がある可能性もある訳です、今考えれば

僕等を、基本人格さえも認めず、薄々ですが、父親が娘である基本人格に何かしているのを感じていたのかもしれない母親は明らかに妹との扱いが違う様に僕は感じていました

で、8歳になる前に僕は分離した訳です
如何に「家族を完全犯罪で黙らせるか」そんな殺意から産まれた危険人格な訳ですよ
ですから子供は見てるだけならまだしも、預けられるのは嫌ですし、バカップル、幸せな家族を見ると嫌気が差します←

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10:46
今までされた事。これで僕等は多重人格になった(代筆レイ)
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診断こそは受けては居ませんが、幼児期には僕の前身であるレイ(男。25歳だが当時の年齢は四歳)は存在していました

妊娠したからと父型の両親に挨拶をしたならば祖父は喜び、祖母は「本当にウチの息子の仔か解らねぇから金やるから堕ろしてきな」と言われ、母体にいる辺りから「生まれたらいけないんだ」と臍帯を首に回して生きも絶え絶えで生まれたのは微かに記憶しています
でしかも、家庭環境、は劣悪で、真夜中に一見幸せに見える過家庭を逆恨みした母型方の伯母の電話や飲み込みは日常茶飯事
親がパチンコ依存症で毎週土日は開店から必ずの六時まで(一度アクシデントで八時過ぎまで)子供に飲み物や弁当さえ渡さないネグレクト気味で基本人格は父親に可愛がられていたからレイは明るいし人懐っこいからゴマすりに行ってまだ保育園児の妹に分け与えていたみたいです
その辺りはレイが詳しいのですが、輝(きら)である僕がよく覚えているのは親にされた肉体的精神的な虐めに先生や上級生、同級生、近所からの陰口を生き甲斐にして産まれた矢先から「自殺を考え出した明るいレイと内気な基本人格を活かすために如何に完全犯罪で家族を○すかしか考えていなかった」てな危険人格ぶりでしたからね←

まぁ、構わないでしょうよ、小学一年の時に、レイと基本人格はどうしてもトマトだけは無理(理由は後で述べます)で、それを理由に夕方、五時まで監禁され(トイレにさえ立たせない)遅くなり帰宅したくなかった二人は校舎隣のコンクリと岩で出来た長さは20メートル高さは15メートル弱の滑り台で「死にたい」と考えていたらしいです
急に引っ張られるランドセル「こんな場所に一年がいるぜ」の複数の笑い声
それを見てまだレイと分離していなかった僕は「あぁ、親がAって上級生にレイ達を頼んだから集団登校の時にAが虐めてる僕らと同級生のk関連かAに勝てない奴等が僕で復讐に来たか」「母も担任に家庭訪問で「ウチの娘根暗だから虐めて構わないからw」先生も同級生だからお願いしますね」てお願いしているのを聞いています

さて、ランドセル引っ張られた話に戻しましょう
右側に上級生。後ろには煽り担当で三人が腰掛けました
「一年なんにおめーウゼェんだよ」
「おめー何でこんな時間にいるんだよ」
「俺達が遊ぶ時間だろ」
理解不能な発言をされ、手すりであるコンクリの高さ10センチの壁にうつ伏せで膝から外胡桃を押し付けられてランドセル掴まれたまま13メートルは左膝を足首まで大根おろしにされました
その当たりから分岐しまして、僕が出てきた訳です

泣かずに僕は黙ってヤジを無視して保健室に向かい「怪我をしたんですが」と
先生も青寒てましたよ、膝から足首まで流水で泣きもせずに淡々と語る僕に←

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