anniversary(小説)

□編集長の計画性
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『編集長の計画性』





 桐嶋にチョコを渡して欲しい。

 今週に入ってから何度同じ頼み事をされたか。
 いい加減嫌になってくる。

「横澤!頼んだよ。ちゃんと他のチョコと差つけて渡してね!」
「無茶云わんで下さい」

 差し出されたのは中身が明らかな贈り物。気合いの入ったラッピングを抱えて営業部に戻るわけにもいかず、横澤はジャプン編集部に寄っていく事にした。
 女は怖い。

「桐嶋さん。これ総務の西尾さんから」
「さんきゅ」

 編集長のデスクにいた桐嶋に珍しいと思いながらラッピングを差し出した。
 だが頼まれた通り手渡ししたはいいが、桐嶋はそれをそのまま壁際に設置した段ボール箱へ入れてしまう。気合いの入ったラッピングはまるで流れ作業のように見向きもされなかった。

「西尾さんって桐嶋さんと同期でしたっけ」
「そうだけど?」

 やはりそうだ。
 あの押しの強さは桐嶋に近いものがある。
 だが同期だというなら、この気合い十分なラッピングに対してもう少し思うところはないのだろうか。

「あ、今年も大漁ですね!俺らの非常食」

 満面の笑顔で近づいてきたのは、やはり気合い十分なラッピングを抱えた加藤だ。

「横澤さんも配達ですか?」
「ああ」

 桐嶋の横に設置された段ボール箱に入っているチョコの大部分は、横澤が押し付けられて持ってきたものだ。営業で外に出ている以外はかなりの確率で女子社員に捕まっていた。
 一度、自分にチョコを持ってこないのであればと受け取ってしまったのが悪かったらしい。

「大変ですね。編集長と仲良いってバレてるから思いっきり狙われてますよ」
「良い迷惑だ」

 別の意味でも迷惑だった。
 横澤が桐嶋と付き合っているなんて誰も思わないのだろうが、桐嶋の恋人に向かってチョコの配達を頼むという図はかなりシュールだ。いや、もし知っていたとしてもそれが戦略なのかもしれない。
 横澤にはその辺りの戦略はサッパリわからないが……。

 しかも預かったはいいが実際に桐嶋に渡して良いのかも悩んでしまった。恋人が他の女子からのチョコを運んできたら、桐嶋はどう思うだろう。
 問答無用で突き付けられたラッピングを抱え女子と押し問答を続けていると、見かねた桐嶋がまるで会議の資料を貰うようにラッピングを受け取ってくれた。
 それが最初の数回で、今はもう横澤も流れ作業のように配達をしている。件数が多すぎて感傷に浸るのが馬鹿らしくなったのだ。
 段ボール箱を覗きこみ、その数を改めて見ると胃が重くなってくる。
 恋人に他人のチョコを届けるのだって結構キツイのだと、桐嶋はわかっているのだろうか。しかもこんな数がはっきりとわかる形で置いてあるなんて。

 後で胃薬飲もう。

「編集長。これ俺の同期の女子連合からです」
「おう。つーか、その連合誰がいるんだよ。メンバー報告してくれ」
「お返しならいつもので十分でしょ。『桐嶋編集長のホワイトツアー』で」
「ツアー?」

 思わず聞き返してしまった。なんだそのマヌケなツアー名は。

「知りません?編集長にチョコあげた社員がホワイトデーの時期に飲み放題食べ放題のツアーに参加出来るんです」
「どんだけ金掛かるんだよ!」
「でも全員にお返しするの面倒だって。編集長の場合毎年そんな感じですよ?」
「個人への誠意がまったくねぇな」
「しかも貰ったチョコは編集部の夜食になるって公言してますから、本気の女子からしたら最悪ですよね」

 それでもモテモテな編集長は凄いと加藤は思っているのだろう。何だかんだで奴は桐嶋信者だから。

「でも編集長」
「ん?」
「今年は欲しいチョコあるって云ってましたよね」

 ……っ!

 用事は済んだからと戻ろうとしていた身体が、急速に固まってしまった。
 桐嶋の返事が怖くて聞けない。
 だが身体は動かない。目と耳が桐嶋の言動を追ってしまう。

「貰えたんですか?」
「いや、まだだ」
「えー、バレンタインデー明日ですよ?緊張するから早く欲しいですね」
「ばーか。チョコをどう渡そうか悩んでる姿も可愛いんだよ」
「余裕じゃないですか」
「さりげなく催促もしてるけどな。欲しいって態度してないと勝手に引いちまうし。ああ、そいつの為には俺だってちゃんとホワイトデーの計画たててるんだぜ」
「いいな〜。絶対凄いの考えてるでしょ編集長は!その人も早くチョコあげちゃえばいいのに」
「まぁ貰えなくても、こっちから仕掛けて当日の夜には美味しく食べさせてもらうしな」
「うわ、大人!」
「チョコをだぞ?」
「え、チョコだけですか?」
「ハハハハ」
「編集長ってば〜」

 笑い合う、この上司と部下が恐ろしかった。

 ヤバい。
 男が男にチョコを用意するという概念すら持っていなかった。
 悩んですらいないのに、そんな姿を観察されていたと思うだけで死にそうだ。





「横澤。お前バレンタイン時期に女と長時間喋るな」
「誰の所為だよ……」

 二月に入ってすぐの桐嶋との会話だ。
 女子社員に捕まって、人通りのほとんどない会議室で押し問答していたところを誰かに見られていたらしい。
 完全に状況を理解されていたから、密会などという不名誉な噂は流れなかったが、桐嶋には許せなかったらしい。

「公衆の面前で頼む奴なんていないだろ?どうしても人がいないとこで捕まっちまうんだよ」
「だったらさっさと受け取って別れてこい。それですぐに俺のところに持ってこいよ」
「何で?」
「お前の顔が見たいからに決まってるだろ」
「アホか」
「恋人としては当然の要求だ。お前は俺にチョコを渡すことだけ考えてればいいんだよ」


 催促ってアレか?
 だとしたらまったく伝わっていなかった。
 女子から受け取ったチョコを届けにこいという意味だと思っていた。

「……」

 ホワイトデーの計画も気になるが、今はすぐにでもこの場を去りたい。ジャプン編集部は桐嶋信者の集まりだから、ここに居ては完全に不利だ。

 確か、日和のおやつ用にチョコを買ってあったはず。
 幸いそれは板チョコだった。それをどうにか加工し桐嶋に渡して当日は逃げ切ろう。
 チョコ意外食われてたまるか……っ。

 だが、どうせバレンタインデーでなくても抱かれるときは抱かれるのだ。だったらチョコを用意しないで一晩桐嶋と抱き合っていたほうが楽かもしれない……。
 チョコも身体もなんて面倒過ぎる。





おわり

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