anniversary(小説)
□嫁の里帰りは心配で…
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『嫁の里帰りは心配で…』
「ああ。……ああ、そうだよ。四日は仕事だって。だいたいどこの会社もそうだろ?……だから……ああもう良いって」
新聞やら年賀状やらを回収して部屋に戻ると、横澤が不機嫌そうに携帯を手にしてリビングを歩き回っていた。
珍しいこともあるものだ。
横澤はたいてい不機嫌そうに見えるが、実際の電話対応はきっちりしている。こんな風に逃げ腰な受け答えはしない奴のはずだが……。
「ひよ」
「あ、おかえりなさい」
電話中ということもあって、日和はテレビを消音にして、ソファーで膝を抱えて座っていた。
小声で日和に問いかける。
「あれ、どうした?」
年賀状の束を振って横澤を示せば、日和は珍しく苦笑いを浮かべてきた。
「あのね、お兄ちゃんのお母さん」
「へぇ」
もう一度横澤に視線を向ければ、今度は苛立ち紛れに頭を掻いている。
まるで苦悩の熊さんだ。
母親相手に苦労している暴れ熊が可愛くて、笑みが込み上げてくる。
「そういえば、横澤も実家に帰らせないとなんねぇな」
思い返せば、横澤は年末年始をずっと桐嶋のマンションで過ごしている。食事の支度から新年の準備まで、実に手際よくやってくれた。
だからすっかり忘れていたのだ、横澤の性格を……。
他人に関してはどこまでもマメでも、自分に関しては案外ズボラだったりする。そんな横澤のことだ、催促が来なければ実家に帰ることもしないだろう。
ま、この年になって実家に帰ると面倒な話ばかりで嫌になるのはわかるけどな。
自分のような事情でもなければ、大人になってからの実家は敬遠しがちになってしまう。
「ひよ。横澤が実家にいってる間は外食でもするか?」
「うん」
いつもは大喜びで話に乗ってくる日和も、横澤の不在の不満の方が大きいらしい。
そんな、まさしく自分の娘の頭を撫でてやる。
さて、横澤を何と云って帰らせるかが問題だ。下手に里帰りを薦めでもしたら、どんな勘違いをされるかわからない。ありもしない想像だけでショックを受けるやつなのだから。
どう話を持っていくか悩んでいると、電話中の横澤の声が大きくなった。
「だから知るか!」
日和とともに横澤を窺うが、ちょうどこちらに背を向けて立っているから様子が掴めない。
「ああ、ああ……だからそんなんいちいち聞いて回るほど暇じゃねぇんだよ!……はぁ?んなもんとれる訳ねぇだろ!」
横澤は苛々してきているようだ。何の話をしているか判らないが、少し落ち着かせた方がいいだろう。
背を向ける横澤の肩でも頭でも叩いてやろうと、一歩踏み出したそのとき……。
「だからジャプン編集長の私生活なんて知らねぇって云ってんだ!」
「はぁ?」
「え!」
横澤の半切れの怒鳴り声に、日和ともども目を見開いてしまった。
「あ…れ?パパのお仕事ってジャプンの編集長だよね」
「そのはずなんだが……」
「お兄ちゃんもパパのお仕事知ってるよね?」
「知らなきゃヤバいな、別の意味で」
「うーん。どうしたんだろうね……」
「まったくな」
自分が立っているのがまさにジャプン編集長の私生活のど真ん中だと、判っていないのだろうか。
母親との電話で必死にジャプン編集長との関わりを遠ざけている横澤を、とりあえずは大人しく見守ることにした。
「わかったよ!帰るから、その話は終わりだ!……じゃ、休みのうちに一度顔見せに行く」
ようやく携帯を耳から話した横澤を見て、先程から日和に催促されていた質問をぶつけてみる。
「あのさ、俺がどうしたって?」
「うるさい!」
電話を終えた横澤は開口一番で桐嶋を怒鳴りつけてきた。
意味がわからない。
両親に自分達の関係を隠したいならわかるが、そんな話題でもなかったはず。
それよりも疑問に思ったのは、何故に突然自分が話題に上ってしまったのだろうか、という事だった。
「あんた、この間テレビ番組で顔だしただろ」
「ああ。アニメ化してる作品の特集組んでくれることになって、編集の奴と原作者、それと編集長で対談してくれって話でな」
異常に怒っているらしい横澤に、思わず必要以上に説明してしまう。
だがこの話、営業部も知っているはずだ。コミック担当の横澤だったら必ず企画書に目を通しているはずだった。
知らなかったわけではないはずなのに、これほどまでに横澤を怒らせる何かがあったのだろうか。
話を促すように首を傾ければ、横澤の顔が悔しげに歪んだ。
「くそ……母親が昨日の放送見てたんだよ」
「ああ」
それはそれは、貴重なお時間をどうも有り難うございます。
普段ならそう感謝するところなのだが、この横澤のテンションではあまり良い話では無さそうだ。
やっべー、俺マズったか?
一応放送前にチェックはしたが、それでも起きてしまうミスはある。
横澤の話によっては編集長としての責任問題にもなり得るだろう。
少しばかりの緊張がはしった。
「で、何だって?」
「だから、その対談であんたのこと見た母親が、あんたの写真撮ってこいとか、私生活で知ってることあるかとか聞いてきやがって……」
下を向いてしまった横澤は恥ずかしそうにボソッと呟いた。
「イケメン好きなんだよ、うちの母親…」
「…………」
笑いが込み上げてきた衝動を、抑えきれる方法があるなら教えてほしい。
もう遅いが……。
「ぶっ……ッくく……ぶはははっ」
「おい!」
「あはははは!なんだよ、俺マダムキラーじゃねぇか!」
腹を抱えるどころではなく、床に転がって笑いまくった。
正直、メディアに顔を出すのは好まない。過去に何度も似たようなことが起こっているからだ。
作品の宣伝番組に出演した結果、問い合わせの半数が編集長、つまり【桐嶋禅】の素性に関してのものだったときには頭を抱えたくなった。
会社の前で芸能人よろしく出待ちが出来たこともある。
そのせいもあって、実はその手の対応には嫌気がさしているのだが……。
まぁ、嫌悪感を持たれるよりはずっと良い。
何といっても、相手は横澤の母親なのだから。
「なぁ、横澤?」
「何だよ……」
笑われた事に対して怒るかと思っていた横澤は、予想外にも冷静だった。
もしかしたら母親のイケメン好きがバレて恥ずかしがっているのかもしれない。
だとしたら何て純真無垢なのだろうか。
「……ッ」
再び込み上げてきた笑いを必死に抑える。
世の中の女性はほぼ全員といって良いほどイケメン好きだろう。その嗜好に年齢なんて関係ない。しかも年齢を増すごとにエネルギッシュになる傾向すらある。
息子としては堪ったもんじゃないだろうが……。
ちなみに自分の母親の場合、イケメンと騒がれまくっていた息子よりも、誠実さに定評がありトークが不器用な二枚目俳優がお気に入りだったらしい。
だからだろうか、横澤は母親に大変好かれているようだった。
「くく……っ」
「あんた、いつまで笑ってんだよ」
「いや、お前が可愛くて」
「ふざけんな。笑うなら俺じゃなくてうちのミーハーな母親だろうが!」
「いやいや、お前には負けるって」
「くそ、もう好きに云ってろよ」
とうとう横澤がふてくされてしまった。
この件に関しては勝ち目がないとわかったのだろう。
別に母親のイケメン好きをバカになんてしてねーってのに。
横澤にとっては俺に知られたくない話だったようだ。
「こーら、怒るなって。実家に帰るんだろ?車で送ってやるから」
「冗談。あんたの姿母親に見られたら家に引きずり込まれるだろ」
横澤の目が半眼になる。
それが目的かと疑われているのだろうが、さすがに実家に上がり込むには勇気と覚悟が必要で、今日明日にと云われても怖じけづいてしまう。
絶対に逃したくない相手だから、人生でも初めてというくらいに綿密なシュミレーションをたてているのだ。
「途中で下ろしてやるからさ。実家の場所知りたいんだよ」
「何でだよ」
「そりゃ、家出した嫁を迎えに行くこともないとは限らんしな」
「誰が嫁だ!」
「お前だよ。マンションまでは捕獲にいけるが、本気で実家に逃げ込まれたら場所わかんねー……って痛ぇよ」
喋っている途中で両頬をつねられた。もちろん眉間にシワを寄せて怒り心頭の横澤の手によって。
「正月から…馬鹿なこと…云って…ん…じゃーねぇ!」
つねられたまま、むにゅむにゅと引っ張られる。痛くはないから加減されているのだろう。
「ったく。ひよ、パパは無視して昼飯用意しような」
「はーい!」
元気よくキッチンへ駆けていく日和の後に続こうとしている横澤の肩を掴んで引き寄せる。
「なっ」
「俺を黙らせるには方法は一つだぜ?」
ひょいっと顔を覗き込んでやれば、意味がわかったのか顔を赤くした横澤に逃げられた。
ここでキスでもしてくれれば可愛いもんだが、日和もいるし、そこまで期待はしていない。
ただ、横澤が照れて固まってくれれば満足だった。
不服かもしれないが、残念ながら横澤を黙らせる方法は結構あるのだ。
さて、と。
ソファーに乗っているテレビのリモコンを拾い上げ、消音になっていた音量をもとに戻す。
リビングに流れ出すバラエティー番組の音に隠れるように、思わず本音を口に出してしまった。
「送り迎えは無理でも、せめて住所だけでも聞き出さねぇと……。おちおち実家にも帰せねぇよな」
横澤の里帰り……。
何だか寂しいようで、しかも実家に帰るのだから問題ないはずなのにちゃんとやれるか心配で、ついて行きたいけれど気後れしてしまう。
横澤がちゃんと俺のもとへ帰ってくるまで、きっと、不安でたまらないだろう。
こんな感情、生まれて初めてだって云ったら……横澤、お前どうする?
終わり