anniversary(小説)

□甘いものにはご用心!
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『甘いものにはご用心!』





「馬鹿野郎!」

 営業部に横澤の怒号が響いた。
「企画書提出すんのに企画の部分の記入漏れだ?……ふざけんな!」

 横澤は怒りのあまり、デスクに拳を打ち付けた。
 デスクに置かれていた企画書が、横澤の拳に耐えかねて飛び上がる。
 それもこれも、すべて編集部の新人のミスが原因だった。
 現在進行中の企画。その企画書にまったく記載されていない内容の企画が進行している、と連絡があったのは今朝の事だ。
 横澤が担当を呼び出せば、ミスをミスと認めず、書かなくてもわかるだろうときたものだ。
 これで横澤がキレなかったら、むしろそっちの方がおかしいだろう。

「その企画がお前一人でやってるものならそれでも良いだろーがな!残念ながら企画には大勢の人間が関わってくるんだ。丸川以外の業者だってそうだ。それを企画書に書いてませんが……っていちいち説明しに行くのか?ふざけんのもいい加減にしろ!」

 あまりの編集者の態度に、横澤は一息に吠えまくった。
 まだまだ日中の暑さが厳しい外回りから戻ったばかりだった所為で、余計にイラついていた。一つ怒鳴る毎に喉がヒリヒリしている。

 気付けば新人は泣きながら営業部を飛び出していき、残ったのはまだ怒り狂っている暴れ熊と再提出が必要な企画書だけとなった。

「くそっ」

 横澤は苛立ち紛れにデスクをもう一度叩く。
 そんな様子を見て、横澤から書類のサインを貰わなければならない部下も、これから始まる会議に一緒に同席しなければならない部下も、腰が引けて誰も近付けるものではなかった。
 おそらくこの後も一日中、横澤の機嫌は回復しないだろう。
 横澤は起こってしまったアレコレを翌日にまで持ち込まないタイプだから、今日一日を乗りきれば……と部下は腹をくくっていた。
 だが事態は好転していく。

「おい、どうした?廊下まで怒鳴り声聞こえたぞ」

 ピリッとした営業部の空気を打ち破るようにして入ってきたのは、ジャプンの編集長である桐嶋だった。
 彼は横澤のデスクまで行くと、不機嫌もあらわな横澤の顔を覗き込むようにして顔を寄せていった。

「ちょっ…何……ですか!」

 近すぎる互いの顔に、横澤が椅子を退いて逃げをうつ。

「せっかくの可愛い顔が台無しだぞ?」
「……ッ」
「あ、悪い。男前…だったか?」

 すぐに訂正したが、桐嶋のにやけ顔は完全に人をおちょくっているとしか思えない。

「何か用ですか!」

 横澤は半眼で睨み上げた。

「ああ。これな、お裾分け」

 桐嶋は手に提げていた袋を持ち上げた。横澤に見えるようで見えない角度で袋の口を開くものだから、桐嶋に身体を寄せるようにして覗き込まなければならなかった。

「あー、団子?」
「ああ」

 団子が、その場の営業部の人数分以上入っていた。一人2本は食べられるだろう。
 見れば、和菓子では中々の名店の袋だった。桐嶋が買いに行ったのだろうか。

「横澤。甘いもんでも食べて怒り静めろよ?」

 ポンポンと頭を叩かれた後、くしゃと髪を掻き混ぜられる。
 子供扱いされているようで腹が立つが、悔しいことに桐嶋に触れられてからずいぶんと気分が落ち着いてきた。さっきまでの腹の中が煮え繰り返るような感情のたかぶりは、いつのまにかどこかへ消えてしまったようだ。

「逸見、これ頼むわ」
「はい!有り難うございます!」

 桐嶋は和菓子屋の袋を逸見に差し出し、みんなに配るように指示した。

「横澤。当日は家でひよと月見団子作ってくれよな」
「え?」
「ひよ、楽しみにしてたから」
「いや、そうじゃなくて!」

 黙ってくれと頼んだところで、桐嶋の口を塞ぐものはない。
 そしてすでに遅かった。
 何気なくつぶやかれた桐嶋の台詞で、営業部は大騒ぎになってしまった。

「横澤さん!月曜日お裾分け持ってきてくださいよ!」
「馬鹿が。次の日だと固くなるだろ」
「なら当日取りに伺います!」
「来るな!」

 さっきまで恐れられていた暴れ熊は、完全に午後から話題の中心になるだろう。
 逸見の催促攻撃を受けながら、横澤は桐嶋を睨み続けた。
 どうしてそういう事を職場で話すのか。家でも、帰る途中でも良いじゃないか。

「あんた、わざとか?」
「横澤が俺の特別だって、他の奴らに云いたいときもあるんだよ。つーか怒鳴り声聞いてたら抑えられなくなった」
「…耳鼻科行け」

 暴れ熊の怒鳴り声を聞き独占欲を駆り立てられるなんて、本気で桐嶋に病院を勧めたくなってしまった。
 いっその事、全身くまなくみてもらえる人間ドックでも良いかもしれない。眼科とか眼科とか眼科とか……。
 何が悲しくて恋人が自分を選んだことを不審がらなければならないのか。
 自分の分が回ってきた団子に手を伸ばしながら、横澤をため息をついた。


「あれ…」


 そういえば、何か怒っていたような……。ついさっきまではそれしか頭になかったというのに。
 桐嶋と団子の登場に、すっかり怒りを忘れてしまった。おそらく営業部の連中もみんな横澤の恐怖を忘れているだろう。

「美味い……」

 みたらし団子の甘辛のタレが脳内に優しく染み渡る。
 悔しいが、完全に桐嶋に丸め込まれてしまった感じだった。
 怒りも苛立ちも、桐嶋にすべて持っていかれてしまったらしい。
 餌でつられたのは腑に落ちないが、こんな怒りの鎮め方があるなら毎回頼みたいくらいだった。

「あ…」

 逸見と話している桐嶋を眺めていると、ふと視線があってしまった。

「ん、なんだ?」
「別に」
「そんな見つめるほど良い男か?」
「云ってろ」

 団子の二本目に手を伸ばし、桐嶋の軽口は無視する。
 だが、その存在感の大きさには、脱帽するばかりだ。
 そこに桐嶋がいるだけで場の雰囲気が一新する。しかも本人はいたって平然としているものだから、余計に安心感を与えるのだろう。

「……」

 そんなとんでもない人なのに……。
 こんな団子食って怒り忘れてる奴が恋人で、あんた本当に良いのか?

 そんな疑問が浮かぶほど、桐嶋のスゴさは別格だった。

「さて、俺はそろそろ戻るかな」
「ああ。ご馳走さまでした」

 実際桐嶋が何をしに来たのか疑問は残るが、団子をいただいてしまった営業部の連中は揃って桐嶋を見送るために立ち上がる。

「桐嶋。美味かったぞ。また差し入れ頼むな」

 部長も笑いながら桐嶋を見送るが、去り際に桐嶋が口にした台詞で、営業部は全員喉に団子を詰まらせかけたのだった。

「あ、団子やるかわりに来月のフェアの件、よろしく頼むぜ」


「…………ッ!」



 賄賂だったのか!!!


 営業部の部長の手にも、串だけになった団子が握られている。
 食べてしまったものはもとには戻せない。即ち受け取り拒否は実行できなくなってしまった。
 これはもう、社会人としてのルールでジャプンのフェアを快諾するしかなかった。
 フェアの企画にはなかなかオッケーを出さない部長が、断る術を見つけられないでいる。
 桐嶋のほうが誰よりも上手だった。


 桐嶋、恐ろしい男だ。


 だが、編集長としての恐ろしいほどの手腕は知れ渡る事になったが、恋人からの評価はたった一日で地に落ちたらしい。





おわり

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