anniversary(小説)
□嫌いっていうな!
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「じゃ、夕方には帰れると思う」
「思うってなんだよ」
「伊集院先生が素直に原稿を仕上げてくれてたら、帰れるってこと」
「………あー」
伊集院先生の噂を聞く限り、原稿を奪い取るのは難しいだろう。
夕方どころか、夕飯に間に合うかも怪しい。
「夕飯いるか?」
「当然。原稿を奪い取るのが編集の仕事だからな」
そう云って笑った桐嶋の顔は、真打ち登場……というよりはラスボス的な悪役に近かった。
どうやら、どの編集が行っても奪い取れなかったから、編集長自ら出陣する事になったらしい。
「健闘を祈る」
「ああ。原稿奪い取ったらすぐ帰るから」
何だかやる気充分のようだが、頼むから家を出る前にその悪人面をなんとかしてから行ってくれ。
玄関のドアに手をかけた桐嶋が、ふと顔を上げた。
「あ、もう四月だな」
「ああ。月曜からめんどくさいな」
春は人事の移動やら色々面倒が多いのだ。
特に営業は担当者が変わった取引相手に挨拶に回らなければならないし、折角築き上げた関係もせっせと作り直さなければならず、この数ヶ月はかなり忙しくなる。
本当に面倒だと思う。
そんな事を考えて溜息を吐いていると、桐嶋が真面目な顔をして横澤を見ていた。
「横澤」
「何?」
「お前の事、嫌い」
「……は?」
「じゃ、な」
そして満面の笑みで、顔にやったぜと書いたような桐嶋は、手を振りながら出掛けて行った。
横澤はそのまま玄関に立ちつくし、暫くするとその場に崩れ落ちた。
何故……。
理由も判らず、横澤は日和が呼びに来るまでずっと玄関で蹲っていた。
昼過ぎまでずっと、客間で一人過ごしていた。
もともと綺麗にしていたとはいえ、それなりに増えてきた私物を無意識に片づけていた。
まさか、こんなにすぐに嫌われると思わなかった。
付き合うようになって、まだ一ヶ月も経っていない。
まぁ、それだけ傷跡は小さくて済んだのかもしれないが。
横澤は何枚か持ち込んでいた部屋着を畳みながら、ゆっくりと天井を仰いだ。
付き合った期間は短くても、自身の傷はすでに快復不能にまでなっていた。
こんなに桐嶋の事を好きになっていたなんて、自分自身が驚きだ。
溜息が止められない。
けれど、手は止めるわけにはいかなかった。
さっさと私物を片づけて、ソラ太を連れて家を出なければ。
今朝までは何も変わらない一日が始まると思っていたのに、まさかこんな風に最後の日はやってくるのだと知った。
高野のときは、何だかんだ云いつつ覚悟は出来ていたのだと思う。
本当は小野寺が現れた時に、もう駄目なのだと判っていた。
けれど、今回は何の心の準備もないままに切り捨てられてしまった。
「俺は桐嶋さんに何かしたのか…」
嫌われる事をしたならば謝りたい。
だが、今朝は桐嶋の好きな大根サラダを作って、桐嶋もそれに喜びの声も上げていた。
「そういうのが重かったのかもな……」
褒めて欲しいと、無意識にそんな態度が出ていたのかもしれない。
ただ桐嶋に喜んで欲しかっただけだったのだ……。
そんな後悔に鈍る身体を必死に動かし、横澤は出ていく準備を整えていた。
ピリリリリ
足元に投げ出していた携帯が電話の着信に震えた。
誰かと思い拾い上げると、ディスプレイには桐嶋の文字が……。
「……何で電話?」
横澤は電話に出ずに、携帯を畳んだ服の間に押し入れた。
暫くすると着信も止み、ホッと息をついた所、今度は桐嶋家の電話が鳴り響いてきた。
このタイミングならば相手は桐嶋だろう。
もしかしたら急用だったのかもしれない。
けれど、脚は固まったまま立ち上がる事をしない。
桐嶋の電話に出たら、相手の用件などお構いなしに何でだと問いつめてしまいそうだったから。
仕事で出ている桐嶋に、そんな事が出来るはずがなかった。
呼び出音が切れて、日和の声が聞こえてくる。
電話に出てくれた事にホッとしていると、日和の足音が客間に近づいてくる。
勢い良く扉は開き、日和が顔を出した、
「お兄ちゃん。パパから電話だよー」
「え……」
指名っすか?
横澤はのっそりと立ち上がり、ふらふらと電話のあるリビングに向かっていく。
途中で日和に大丈夫かと背中をさすられたが、そんなに自分の態度は変だろうか。
なんとか受話器を掴んで声を絞り出す。