anniversary(小説)

□ひな祭りの戦い
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『ひな祭りの戦い』





「あ、いたいた。横澤!」
「へ?」

 書店からのメールに返信していた手を止めて、顔を上げる。
 営業部のフロアの入り口に立つ桐嶋が、ちょいちょいと手を動かし、横澤も招いている。
 首を傾げて、様子を窺ってみるが、いつもならズカズカと横澤のデスクまでやってくる桐嶋が、今日に限ってそこから一歩も動かない。

「ったく、何だよ」

 返信途中のメールを保存し、パソコンをスリープ状態にしてから席を立つ。
 おいでおいでと手を動かす桐嶋は、何だか不気味なほどに笑顔だった。
 何か変なこと考えてなければいいのだが……。

 フロアの入り口まで行き、桐嶋の前に立つ。

「おい、何か用か?」

 近づいていっても一歩も動かず、笑顔で手招く桐嶋がだんだん不気味に思えてきた。

「横澤、今日が何の日かわかるか?」
「え、今日は……ひな祭り?」
「そうそう」

 笑顔で問われたから身構えてしまったが、桐嶋は横澤の答えに頷いている。けれど、わざわざそれを確認しに来たとも思えず、横澤は警戒しつつ桐嶋の様子を窺った。
 ひな祭りなんてほのぼのとしたお祝いと思って侮ってはいけない。
 先月の話しになるが、節分の日にはとんでもない目にあわされたのだ。
 桐嶋がアレを銜えて欲しい…と……。
 思い出したくもない。
 だから、今回もとんでもない事を仕掛けてきそうで、気が気ではなかった。

「ひな祭りが何かあるのか?」
「ひな祭りってさ、女の子のお祝いだよな?」
「そーだろ、一般的には」

 桐嶋の意図がまったく読めない。
 今晩の夕飯はひな祭りらしい物にしようと、昨日のうちに日和と話をしたからその催促ではなさそうだ。
 雛あられは日和が用意したと云っていたし、桜モチもだいぶ前に桐嶋と一緒に予約しに行ったから、帰りにそれを取りに行って完了だ。
 後は何かあるだろうか。
 桐嶋が笑顔でプレッシャーを掛けてくる何かが……。

「夕飯はちゃんとひな祭りっぽいのを作る……けど」

 思い当たるのはそのくらいしかなくて、違うのか?といった感じで語気も小さく問いかけた。

「ああ。夕飯はひよからも聞いた。ひな祭りっぽいのって甘そうだよな」
「あんたが食えそうなおかずも作るからいいだろ。こういう日はそれらしい物を食べるのが大事なんだ」
「おい、怒んなくてもちゃんと食うよ……って、そうじゃねーんだって」
「だから何だよ」

 用件は何だったのか。
 今晩遅くなるとかだったら困るぞ。
 夕飯の材料を買って帰る約束をして、桐嶋にも荷物を持ってもらおうと思っていたのだ。
 買い物も料理も出来ないのだから、せめて荷物くらいは持って欲しい。

「桐嶋さん、目が泳いでるぞ」
「ん……実はさ、ひな人形なんだが」

 まだ出していないとかだったらどうしよう、と身構える。
 仕舞い忘れるよりはいいだろうが、湿気の事もあるししばらくは飾っておいた方が良いとおもうのだが。
 しばらく桐嶋の家に行かなかったからひな人形のことなど意識もしていなかった。

「桐嶋さんちって、ひな人形どこに仕舞ってあるんだ?」
「どこにも仕舞ってない」
「へ?」

 桐嶋の、上のほうを彷徨う視線に嫌な予感しかしなかった。

「あんたひな人形なくしたのかよ!」
「違う。もともとないんだ」

 思わずフロアに響くような声をあげてしまったが、その場ですぐに桐嶋が訂正を入れてきた。ただし、その実状はもっと悪い気がする。

「ない……って、何でないんだよ?ひよの買わなかったのか?」

 信じられなかった。
 あの親バカな桐嶋が、ひな人形を買っていないなんて。
 日和が産まれるまえから準備していてもおかしくないのに。

「買おうと思ってた年に、ひよの母親の病気がわかってな。その年に逝っちまったんで、すっかり機会を逃してた」
「あ……」

 日和が物心つく前と云っていたから、男手だけではひな人形どころではなかったのだろう。
 横澤は言葉を失い俯いた。

「あ、誤解するな。別にひな人形の想い出が…とかって話じゃねーから」
「……?」

 桐嶋に頭をくしゃっとされる。

「何度か買いに行く機会はあったんだけど、ひよが飾る場所がないからってオッケーしてくれねぇんだよ」
「ひよが?」

 何でだろう。
 桐嶋の家は狭くない。
 もちろん何段飾りだの、豪華なものは難しいだろうが、ある程度のものは置けるだろう。

「桐嶋さん、何買う気だったんだ?」
「七段飾りだけど」
「………」

 日和が正解だ。

「それにひよな、人形の顔が怖いらしい」
「夜だったら怖いかもな」
「そうか?でも、親としては買ってやりたいんだよ。ひよも買っちまえば飾るだろうし、それこそ、今お前が云ってたように、こういう日はそれらしくだろ」
「うーん……」

 本人が要らないと云っている物を買うのもどうかと思うし、桐嶋の親としての気持ちもわかる。
 どうしたものか……。



 すると、背後からポンっと肩を叩かれた。

「あ、部長」

 振り返れば、営業部の部長が立っている。
 しかも何か云いたそうな様子から、仕事に戻れと云われるのかと焦ってしまう。
 確かにこんな仕事中にする会話ではなかったかもしれない。
 この辺一帯にいる連中はこの会話をどう思って聞いているのだろう。

「部長、もう戻りますから」

 桐嶋も部長に会釈すると、話を切り上げる体勢を取った。

「邪魔したな、昼休みにまた来る」
「ああ」

 こうして背を向けたのだが、部長からの待ったの声に、桐嶋と二人して振り返った。

「待ちなさい」
「はい?」

 後ろ手に腕を組んだ部長が、片手をひょいと上げて横澤を手招く。
 今日はよく手招かれる日だ。

「何か?」
「横澤、お前今から仕事抜けて桐嶋と行って来い」
「何処へ?」

 小声で囁かれ、思わず眉間に皺を寄せてしまった。
 仕事を抜けて何処へ行けというのか。

「わからん奴だな。ひな人形買いに行くんだろうが!」
「へ?」
「いいか?桐嶋がこうして相談しに来たってことは……何が何でも買って帰るぞ」
「そ……っすか?」
「しかも、七段飾りに店員に勧められるがままに色々オプションをつけて買ってくるに決まってる」
「…まさか」
「お前!良いのか?疲れて家に帰ったら仕舞いきれないひな人形の類がゴロゴロだぞ?五月人形も売場に並んでるだろうし、まとめて注文してたらどうーするんだ!」

 どうするって……どうすんだよ?

 熱く熱く語っている部長には悪いが、横澤の家は桐嶋家ではない。
 何だか桐嶋の家に帰るものだと思いこまれている気がする。

「あー、過去にそんなことあったんすか?」
「知るか。桐嶋の事情など詳しくないしな」
「じゃあ、何で?」
「あの、桐嶋だぞ?お前が入社する前から知ってるが……誰かに相談するなんて有り得ないんだ!だから奴がひな人形を買うまで見張っておけ」
「……仕事中にですか?」
「お前が来月あたりにひな人形のノイローゼになるよりましだろう!良いからさっさと行け!」

 こうして、部長に営業部を叩き出されてしまった。

「何でこんな目に……」

 書店にメールも返していないし、午後からの会議の資料も目を通しておきたかったし、何より、仕事を抜けてひな人形を買いに行くというのが居たたまれない。

「あんた、ウチの部長に何かしたのかよ」
「あー、俺もびびった。あんな風に思われてたんだな」

 といっても、特に傷ついている様子はなく、ただ楽しんでいるような口振りだった。
 コートのポケットに手を突っ込み、げんなりと俯いた。

「そう気にする事もないだろ?別に恨まれるような事はしてないし、お前が居心地悪くなるような事する人でもないだろうし」
「俺の心配はそれじゃねぇ」

 何だか営業部でも、ジャプン編集部でも、横澤が桐嶋の家に居ることが当然のように話が出てきているような気がする。
 疑問に思われても困るが、何だかいつでもどこでもヒヤヒヤさせられっぱなしだった。

「ちなみに、確かに俺は相談するより結果を示すって感じでやってきたわけだけど、お前に関しては別だから」
「何がだよ」
「お前には相談するよ。俺の人生のパートナーだからな」
「あっ…っちょ」
 スルッと伸びてきた手に腰を抱かれ、一瞬で唇を奪われてしまった。
「……ッバカ……こんな大通りで!」
「誰も見てねーよ」
「そういう問題じゃねぇ!」
 道の端に身を寄せ、逃げるように壁に向けた身体を、後ろから桐嶋に抱きしめられた。
「何か、今すごく良い気分なんだよな」
「は?」
「ちょっと寄り道していくってのはどうかな?」

 どこへだよ……。

 聞きたくもないから、横澤は桐嶋の身体を何とか押しやろうと必死に肘を回した。

「この前の節分の日のアレ……よかったぜ?メチャクチャ興奮した」
「そーかよ!」

 もう忘れてくれ!

「な、デパートでひな人形見に行く前に……な?」

 桐嶋の手が太股を撫でてくる。

「い…いっぺんしんでこい!」

 桐嶋に熊パンチを送り出し、走ってデパートの中へ逃げ込んだ。
 やっぱり、飛んでもない目にあってしまった。
 桐嶋の人生のパートナーって、こんな事までしなければならないのだろうか。
 普段は横澤なんかより経験も何もかも上回る頼りがいのある男なのに、どうしてたまにこういう行為を仕掛けてくるのだろうか。
 横澤だって、桐嶋を気持ちよくさせたいって気持ちはあるのだ。
 普通にそういう事の最中に云われるなら、桐嶋のアレを口で気持ちよくする事だってやってやる。横澤にもそれくらい出来る。
 けど、こんな何かの記念日の度にそれを持ち出さなくても良いではないか。
 桐嶋のアレを銜えるのを前提としたセックスなんて、そんなのご免だ。
 絶対、今日は桐嶋の寝室には近づかないようにしようと、横澤は心に誓った。





「横澤、トイレ行こうぜ」
「いいから、さっさとひな人形を選べ!」
「ほら、今誰も入ってねぇし」

 なぜ、ひな人形売場で背後から羽交い締めにされなければならないのか。
 さっきから繰り返される攻防。
 桐嶋にシャツの上から胸やら腹やらを撫で回されては、それを叩き落とす。
 懲りずに腰やら尻にのばされる手をたたき落とす。

「横澤、俺の銜えてくれないと……この場でキスするぞ?」
「トイレに誰か入ってきたらどーすんだ!」
「お前の口は塞がってるんだから問題ないだろ?」
「……っひゃっぺんしね!」

 断ったら、本当にその場でキスされてしまった。
 こんな、見渡しの悪い売場なんて桐嶋のやりたい放題じゃないか。
 周囲を囲む雛壇に、横澤は泣きそうだった。



 催事場で繰り広げられる攻防はどっちか勝利者となったのかは、ここでは語ることは出来ない。




おわり

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