anniversary(小説)

□チョコ寄越せよ
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『チョコ寄越せよ』





 朝起きたら、枕元に置いていた携帯が着信を知らせていた。

「ぁ、やべ…」

 仕事関係も同じ携帯を使っている事もあって、横澤は携帯の着信には気を使っている。
 寝ている間の着信に気付かなかった事に慌てて携帯を開く。

「…と、桐嶋さん?」

 桐嶋からのメールだった事にホッと息を吐く。
 けれどそれは一瞬で、こんな時間に桐嶋から連絡がくることに不安を感じた。
 ベッドから起き上がり、着信していた無題のメールを確認する。



『手作りじゃなくても構わないぞ』



「ば…か野郎……っ」

 その内容の無さに、強ばっていた身体から力が抜けてしまった。

 朝っぱらから何てメールを寄越しやがる。

 横澤はベッドの上で胡坐をかいて肩を落とす。
 そのメールの着信時間を見れば、さらにため息がこぼれた。

「夜中の二時にチョコレート作る男がどこにいる……」

 どう返事を返したものかと悩んだが、あえて返信はせずにそのまま携帯を手にしてベッドから抜け出した。





 休憩中、コーヒーを飲もうと自販機の前で財布を取りだすと、廊下の隅で覚えのある話し声が聞こえてきた。

「桐嶋さん、これ貰ってください!」
「ん?」
「バレンタインのチョコです!」
 そう云って可愛らしいピンクの包みを差し出しているのは、同じ営業の後輩だった。
 財布が手から滑り落ちそうになるのを防ぐように、横澤はそのままスーツに財布をしまった。
 ここは退散したほうが良い。
 桐嶋は毎年多くのチョコを受け取っていると聞いた。同僚だけでなく作家からも、わざわざ手渡しする為に編集部まで顔を出しにくる者もいるらしい。
 知ってはいたが……見ていて気分の良いものではない。
 精神衛生上、コーヒーは諦めて営業部に戻ろうと背を向ける。


「あー、チョコね。悪いけど……」
「ぇ?」
「恋人からのチョコを待ってるもんで、受け取れないんだ」

 立ち去ろうとした足が止まる。

「恋人…いるんですか?だって奥様は亡くなられてるって……」
「いるよ。チョコくれるかどうかわからないけど、他から貰ったら怒りだす奴がね」
「チョコもくれないのに恋人ですか?」
「俺はそう思ってるよ」
「そんなの……酷い。納得できない」
「じゃあ、俺がチョコ貰えたらそいつと両思いって事で納得してもらえるかな?」





 そのまま二人が居なくなるまで、自販機の影から立ち去ることが出来なくなってしまった。


 え、チョコやるのは……俺の役目か?


 何でこんな事に……。


 営業部の後輩の頭越しに、滅茶苦茶こっちを見て笑っていた桐嶋の顔が忘れられない。
 あの子は本当に桐嶋が良いのだろうか。
 あんな、人からチョコを脅し取ろうとする男なんだが、それでも良いのだろうか。


 まぁ、チョコは用意してあるし……。

 問題はないんだが……。



 余計渡しにくくなっただけのような気がするのは、俺の気のせいか?


 日和に付き合って作ったチョコを、日和のついでに渡すだけだったのに、今のやり取りを見ていたことで何げにバレンタインの告白と同等のものにランクアップしている。


 手作りチョコなんて渡すの止めて、ご要望通り市販の売れ残りでもくれてやろうか。


 考えれば考えるほど、頭は勝手に手作りチョコを渡したときの桐嶋の顔を想像してしまう。

「……くそ」

 俺だってちゃんと恋人だと思ってる。

 だからチョコだって用意した。
 日和がパパと友達用に作るというから、便乗して簡単に渡せると喜んだのがいけなかったのだろうか。
 毎年段ボールで自宅に送るほどのチョコを貰っていた桐嶋が、横澤のチョコ一つの為にすべて律儀に断るなんて思ってなかった。
 そんな面倒な事しないで適当に受け取っておけば良いのに。
 確かに横澤にとっては気分が悪いが、それが一番楽だと思うのに、桐嶋は面倒でも一人一人すべて断ったらしい。

「駄目だ、もう俺の許容範囲をこえてる」

 横澤はぐらつく頭を抑えながら、営業部へと戻った。

 余り悩んだところで結果は変わらない事はわかっている。
 とりあえず、一つだけは決まった。
 今日一日頑張ってチョコを断った桐嶋を誉めてやる為に、夕飯を少し豪華にしてやろう。
 チョコをどうやって渡すかは……帰ってから考えよう。





おわり

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