anniversary(小説)

□お前の為に予約したんだけど…
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『お前の為に予約したんだけど…』





「横澤、恵方巻予約したから今夜はウチ来いよ」
「え、予約?」

 会議を終えて営業部のある三階に戻ると、廊下で壁に背を預ける桐嶋の姿を見つけた。
 ファイルを片手に、仕事をしながら横澤を待ち伏せしていたらしい。
 桐嶋は恵方巻を予約した時の物だろう引換券をひらりと見せてくる。

「中身も色々あって迷ったが、一番オーソドックスなのにしたぞ」

 引換券のチェックが付けられている欄を見ると、確かに食べやすそうな具材が書かれている。

「これだけで結構腹いっぱいになるはずだから、後は簡単なおかず作ってくれ」
「わか……た」

 横澤は顔を伏せる。
 一瞬、腹の中で嫌なものが生まれかけたのを感じた、
 深く息を吐いて嫌な感情を押さえようとするが、どうにも上手く消えてくれない。


 引換券と一緒に見せられたチラシには、たくさんの種類の恵方巻と、それを頬張る家族の写真が載っていた。

 そうだ。
 桐嶋さんには家族がいるんだもんな。

 節分に合わせたコーナーで恵方巻の宣伝をよく目にしてきたが、一人暮らしの自分には関係ないものとしてまったく意識もしていなかった。
 去年も一昨年も、思い返せば節分で何かした覚えが自分にはない。
 両親は共働きで夜遅くならないと家には帰ってこなかったし、兄弟もいない横澤が一人で豆まきをするはずも無い。
 そう思ったら、きちんと予約までして恵方巻を準備する桐嶋が、急に遠くに感じられたのだ。
 普段は結婚している雰囲気などまったく感じさせないのに、やはり家庭を持っているのだと再認識させられた。

 家族がいないと行事なんてどうでも良くなっちまうんだよな……。
 一人は楽だし。

 けれど桐嶋には昔から家族がいて、桐嶋家では毎年節分には恵方巻が当然のように用意されていたのだろう。
 日和が生まれる前から、桐嶋は奥さんと二人で恵方巻を用意してたのだろうか。

 駄目だ。

 横澤は頭をブンブンと振った。
 桐嶋の過去を聞いたら絶対普通じゃいられないと思っていたが、聞かなくても想像だけでこんなに苦しい思いをするなんて思ってなかった。
 たかが恵方巻でどうしてこんな気分になるのだろう。

「あのさ」
「何?」

 桐嶋の抑揚のない声に顔を上げると、少し困った表情にぶつかった。

「太巻き嫌いだったか?」
「は?」

 桐嶋の発言は、突然恵方巻が太巻に変わっていた。
 横澤が見ていたチラシは、桐嶋の長い指先に取り上げられる。

「寿司は普通に食ってたから考えもしなかったが、まさか太巻きだけ苦手とか?」
「…いや、特に苦手とかは」
「だったら、何でそんな顔してんだ?」

 顎を捕まれた。
 僅かに上を向くように固定され、そのままキスでもしそうな距離に桐嶋の顔がくる。

「桐嶋さんっ」
「騒いだら、誰かが廊下覗きに来るかもな」
「……ッ」
「静かに、な」
「……離せよ」

 桐嶋の脅しに屈したとは思われたくないが、随分と声が小さくなってしまった。

「ひよが楽しみにしてたよ。お前と一緒に豆まきするってな」
「…ひよ」

 その名前には弱い。

「豆は用意してあるから、今夜はひよと豆まきしてやってくれ」
「……わかった」

 まだ苦しいものは消えないが、日和が自分との予定を楽しみにしてくれるのは嬉しかった。
 横澤は日和の喜ぶ顔が好きなのだ。

「帰りは営業部に迎えに来るから、一緒に帰るぞ。寿司屋寄ってコレ受け取ってかないとな」

 桐嶋は微笑むと、顎の輪郭を撫でてから横澤を解放した。
 その代わりに、違うものが横澤を捕らえていく、
 ヒラヒラと振られた引換券には、ファミリーセットと仰々しい文字で書かれていた。
 引換券も随分分厚くて立派な事から、桐嶋が注文したのは恵方巻一つの値段も気になるような高級寿司屋なのだろう。
 呆れる一方で、横澤はどうしても引換券の『ファミリー』の文字が頭から離れなかった。





おわる

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