anniversary(小説)

□年越しの瞬間、そばにいろ
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『年越しの瞬間、そばにいろ』



※12月31日設定ですが、丸川営業中です。





 年末年始は自分の家に帰ることに決めた。
 日和とたわいもない話をしながら料理を作ったり、食事をしたり。そういう空気になれてしまったからか、自分の家に帰ると淋しさを感じてしまうのだが、やはり親子水入らずの時間も必要なのではないかと思う。





「こら、横澤」
「何ですか?」
 会議が終わって、資料をまとめていると、同じ会議に出席していた桐嶋に呼ばれた。
 資料を無造作にまるめた桐嶋は、それで肩を叩きながら近づいてくる。
「話がある。ちょっと顔貸せ」
 桐嶋は顎を上げで、隣の会議室を示す。
 誰が行くか。
 絶対二人きりになんてなるものかと、用意していた断りの文句を告げる。
「この後は営業部内での会議が入ってるんで、すみません」
 まだ残っている社員がいるから、普段のように遠慮なく喋ることは控えた。一応先輩だし、部署が違うとはいえ、桐嶋は役職も社内での評価も完全にトップクラスのエリートなのだ。接点がなければ会話する事も難しい。こういう関係になる前は、会議以外で会話した覚えもほとんどなかったくらいだ。
「ふーん、会議ね……」
 桐嶋が白けた口調で繰り返す。
 言いたいことはわかっている。だから朝から逃げ回っているのだから。
「そういう事で、失礼します」
 そそくさと資料をファイルにしまい、桐嶋の脇を通り過ぎる。
 よし、後は帰りぎわに捕まらないよう営業部を出られれば……。
「横澤ぁ」
「はい?」
 桐嶋から数歩離れたところで、呼び止められる。安堵したところを見計らったようなそのタイミング。余計に肝が冷える。
「俺を舐めるなよ?」
「え!」
 振り返った時には、目の前に桐嶋の顔。
 キスされるかと思って、とっさに目をつぶってしまった。
 それが桐嶋の狙いだったらしい。
「あ、横澤さん!」
「よっしゃ!」
 一瞬で、まるで背負い投げのように桐嶋の肩に担がれてしまった。
 逸見の戸惑った声が聞こえたときには、視界が桐嶋の背中で埋まっていた。
「ぃ……っ嘘だろ!」
 信じられなくて、桐嶋の肩に手を掛けて顔を上げるが、視界に入ったのは逸見の青ざめた顔。
 きっと、逸見も自分と同じ事を思っているだろう。
 だって、信じられるわけがない。見た目ほっそりして見える桐嶋が、暴れ熊と評されるデカイ図体をひょいっと抱えているのだ。
「は…離せ!」
「落ちるぞ?」
「降ろせー!」
「せっかく捕まえたのに、やすやすと逃がすわけねぇだろ」
 桐嶋の上で本気で暴れてしまったら、流石に桐嶋が怪我してしまう。そう思ったら、抵抗は背中を叩くくらいしか出来なくなった。
 だが、桐嶋はふらつく事なく、自分を抱えたまま、逸見の立つ背後を振り返る。
「本当の会議開始時間は?」
「え…」
「教えてくれよ。それまでにはコイツ帰すから」
 会議の開始がこの後すぐでない事までばれている。
 逸見は戸惑いながら、桐嶋と自分を交互に見て……。
「あ、部長に遅れるって伝えますね。それじゃ!」
「逸見ーっ!」
 ダッシュで駆け抜けていく部下に罪はないが、今自分は絶体絶命の危機にさらされている。
「お前、良い部下もったな。お前が嘘言ったってバレないように嘘重ねて行きやがった」
「……」
 どうせ嘘を吐くなら、すぐに始まると言っても良かっただろう!
「まぁ良い。隣の会議室に移動するぞ」
「……」
 この会議室の広さは一番使われやすいのだ。次の時間、もしかしたら他の会議が入っているかもしれない。
 桐嶋は危なげない足取りで会議室を出て、隣に移動した。
 本気で暴れて逃げたほうが良かったかもしれない。……怪我すらしそうになくて、自分の判断が誤ったと後悔する。





「さて、大人しくするなら降ろしてやるが……どうする?」
「……降ろせ」
 悔しいが、もう逃げられそうにない。
 仕方がなく桐嶋に従い、何分かぶりに自分の足で立つ事が出来た。
「じゃあ、素直になってくれたところで説明してもらおうか?」
 会議室の机に腰掛けた桐嶋に、下から睨まれる。
「だから、昨日電話で話したとおりで…」
「横澤ぁ?だから俺が納得できる言い訳をしろ」
 薄い唇が笑みを作り、何だか異様に迫力がある。
「だから……年末年始は行けないって」
「その理由だよ」
「だから……そこまで邪魔するのも……変だろ?」
「変?」
「あんたの両親だっているし、正月なら挨拶行ったりするだろうが」
 桐嶋の母親と顔を会わせたことは何度かあったが、桐嶋の実家に揃って新年の挨拶に行くわけにはいかない。桐嶋の家で留守番してるのもおかしな話だ。しかも、桐嶋の家に年末年始にまで居座る自分をなんて思うだろう。
 だから、遠慮したいのだ。
 そう桐嶋に伝えたのだが、真面目に話しているにも関わらず、桐嶋は俯いてガシガシと頭を掻いている。
 そのまま、あまりにも反応がない事に、少しばかり苛立ってくる。
「あんた聞いてるか?」
「聞いてる」
「だから、そういう事で……正月明けになるが、挨拶には行くから」
「……ふざけんなよ?」
 俯いたままの桐嶋から、低い声がもれる。
 思わずびくっと体を揺らしてしまった。
「お前……くだんねぇ事に頭使ってないで、我が家の今夜の年越し蕎麦の心配をしろ!」
「ひっ」
 桐嶋に怒鳴られた。
 いつも飄々としている桐嶋に、横澤は初めて怒鳴られた。
 年の功だろうか、それに性格もあるだろう。これまで何をしても、桐嶋に諭された事はあっても怒鳴られた事はない。
 あまりの事にびっくりして、目を見開いたまま固まっていると、桐嶋はため息一つで怒りを抑えたようだ。
「昨日、俺とひよがどんだけ悩んだと思ってる?」
「え、ひよ?」
「後で電話しておけよ。ちゃんと今日も行くって」
「だから、俺は」
 行かない。
 そう、言おうとして固まった。
 桐嶋に抱き締められた。
 後頭部と背中を引き寄せられ、温かい腕のなかに包まれる。
「ちょっと、桐嶋さん?」
 きつく、きつく抱き締められ、次第に息苦しくなった。息を吸えば桐嶋の匂いを意識してしまい、体が熱くなる。
 桐嶋はまるで、匂い付けでもするかのように、自分の体をぐいぐいと擦り寄せる。
 日和がいるから、頻繁なセックスは叶わない。一ヶ月、まったく何もない事なんてザラだった。
 だが、桐嶋に触れたくないわけではない。もう少し近くにいたい気持ちがないわけではなかった。
 だから、今の状態は不味い。
「桐嶋さん…やめっ」
 このままでは桐嶋に飢えた体が、止まらなくなってしまう。
「年末年始だから……こういう節目の時だから……お前と一緒に過ごしたいんだよ」
「……っ」
 顎を掬われ、桐嶋の薄い唇が迫ってきた。
「本当は毎日だってお前を抱きたいんだぜ」
「桐嶋さ……んっ」
 開いた唇の間をぬって、ディープキスで犯された。
 くちゅくちゅと、いやらしい音を立てて舌が絡まる。
 抱きたいと言ったその言葉を体現するかのような激しいキスだった。本当に桐嶋に全身を愛撫されているようだ。
「っ……はぁ……あっ」
 唇は離れても、舌は離してもらえない。銀糸が引いて、それが途切れる前に再び唇ごと奪われた。
 頭がくらくらしてきた。
 桐嶋のキスについていけない。いつも翻弄されるばかりだった。





「あー……凄ぇ可愛い」
「はぁ…はぁ……ッ何言ってる」
 キスから解放され、暫らくは桐嶋にすがりつくようにしないと立っていられない。
「ここでお預け出来るんだ、俺は良い旦那だろ?」
「こうなったのもあんたの所為だがな」
「誉めるなよ」
「誉めてねぇ!」
 ようやく桐嶋から離れ、呼吸を整えることが出来た。
 キスだけでばっちり反応してしまった自分が情けなくて、それでもって恥ずかしい。軽く羞恥で死ねそうだ。
「横澤」
「何だ?」
 熱くなった頬を抑えて、平静を取り戻そうと意識を集中させる。
「来年はもっとキス慣らしてやるからな」
「……っ…除夜の鐘で煩悩を祓ってもらってこい!」
 この後も仕事があるのに、まだまだ平静に戻れそうにない。





終わり

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