12/28の日記

02:50
久しぶりの更新で。
---------------
ずいぶん久しぶりの更新になりました。
麗です。

私の大好きな人、誕生日おめでとう^^
いつまでも素敵なあなたでいてください。



今日は、ここでしか書けないことを書かせてもらおうかなって。
ただの独り言になっちゃうので、その辺は許してください。

10日前、12月18日午前0時28分。
大好きだったおばあちゃんが亡くなりました。
81歳。
年齢だけ聞けば、十分長生きをしたように思えるけど、人間って不思議。
全然そんなことない。
もっともっと生きたかっただろうし、きっともっともっと生きられたはず…。

おばあちゃんは私が高校に入学した4年前の秋ごろに子宮頸がんだと診断されました。
それから放射線と抗がん剤治療を経て、翌年には元気になっていました。
でもそれから1年も経たない春先に、がんが再発・転移していることがわかりました。
麗はそのときまだアメリカにいました。
がんは10年が1つの単位だと考えられていて、10年再発をせずに元気でいられたら、がんは「治った」とされます。
反対に、10年以内の「再発」は命にかかわってくることも知っていました。
5年生存率が格段に下がることも。
だから、肺に転移が見つかったと聞いたとき、涙が止まりませんでした。
どうして?
そう思わずにはいられなかった。


おばちゃんはいわゆる政略結婚で、この家に嫁いできました。
代々大工をしていた曾祖父や祖父は職人気質な人たちで、苦労は絶えなかったはず。
大勢いるお弟子さんたちを含めた家族みんなの食事の用意をし、昼間は農業、合間には働きに出て家庭を支えていました。
文字通り縁の下の力持ち。
2人の子供はどちらも男の子だったから、おばあちゃんの味方はきっといなかった。
それでも文句ひとつ言わずに、ずーっと働いていました。

私が生まれてからもおばあちゃんの記憶は働いている姿ばかり。
今日みたいな冬の寒い日も、朝早くから(4時とか)夜遅くまで(2時とか)、当時まだ建っていた納屋でレタスの梱包作業をしてました。
1年中何かの野菜を作っていて、いつもいつも働いてた。
だけど、夕食の時間になったら、家の中からいい匂いがしてました。
両親が共働きだったこともあって、おばあちゃんが夕食を作ることもしょっちゅうありました。
どれもこれもおいしくって。
カレー、ハンバーグ、うどん、炊き込みご飯、ちらしずし…。
どれも特別豪華なわけじゃないけど、でも最高においしかった。


…実は、おばあちゃんが亡くなってから、まだ1度もおばあちゃんのことを思い出そうとしたり、思い出に浸ろうとしたりしてません。
ふとした瞬間に思い出すことはあっても、そこからいろんな記憶の引き出しをあける勇気がなくて。
でもこうやって書いていると、次から次へ、あふれてくるね。


どれもこれも小さいころの記憶だということが悔しい。
中学・高校に上がってからは、何かと反抗的で、いつも家族を邪険にしてる自分がいるから。
いつも悲しい顔をさせてばかり。
アメリカへ発つ前に家族みんなで撮った記念写真も、私たち一家を表してるかのように、みんなバラバラで、切なかった。


…ここまで書いたら、こんな時間になっちゃった。
また今度続き書こう。

前へ

コメントを書く
日記を書き直す
この日記を削除

[戻る]



©フォレストページ