11/16の日記

23:29
本当の道 自分で造り歩くもの
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子どもたち、君たちは、このところ道を歩いたことがありますか。たぶんほとんどの人が、毎日歩いてるよと答えると思います。たしかに、君たちは、毎日道路は歩いています。でも、本当の道はどうでしょうか。子どもたち、道と道路は、まったく違うものです。

 私は、先日宮城県を講演で回っていました。その時、一日久しぶりに自由になる時間が取れました。私は、その時間を使って、私が子ども時代を過ごした故郷、山形県南陽市漆山に行ってきました。そして、昔住んでいた、小さな家、今は、今の持ち主の倉庫として使われている小さな小屋の前に車を止め、そして、子ども時代過ごした村を、山を歩き回りました。

 子ども時代、あんなに大きく感じた村の小ささに驚きました。思えば私のからだは、当時の2倍になっています。歩幅も。当たり前のことなのですが、あっという間に、村を通過してしまいました。それから、私の少年時代の仲間との秘密の場所に、山を登っていきました。あれから、四十数年の月日がたっています。もう道を見つけることはできないかと、半信半疑で山に向かいました。

 ありました。無数の足跡が、山の奥へと続いていました。まるで当時そのままのように。この道を、子ども時代数限りなく仲間たちと登りました。その道が、今もくっきりと残っていました。それを一歩一歩踏みしめながら、新しい踏み跡、道を造りながら登りました。数え切れない思い出に、たびたび立ち止まりながら。

 楽しかった思い出、友を亡くした哀(かな)しい日、そして、横浜に引っ越す私と仲間たちとの最後の日、多くの思い出が、一歩道を踏みしめるたびに、思い出されてきました。笑ったり、涙ぐんだり、しゃがみ込んだり、跳び上がったり…、きっとそんな私を見ている人がいたら、心配で警察を呼んだでしょう。でも、幸せだった。

 子どもたち、人の造った道路ではなく、自分で造った本当の道を歩いたことがありますか。道は、自ら造るものです。人生のかけがえのない時を使って、自分の足で、一歩一歩踏みしめて造るものです。子どもたち、私は、少年時代、あの道を仲間たちと造り上げました。そして、たくさんの思い出を、その道に預けました。そして、今まで、ずっと一本の私の人生という道を、造り続けてきました。命ある限り、これからも造り続けていきます。振り返れば、一本の道が、私の後ろにずっと続いています。たくさんのすばらしい思い出とともに。

 子どもたち、道路を生きること止めよう。自分の道を造ろう。明日のために。

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