▼杞憂なことだ(日岳)



この人を見ていると、不安になる時がある。
俺が知らないうちに何処か遠くへ行ってしまうのではないかと、言い様のない不安の渦に呑まれそうになる。

普段から飛び回っているからとか、そんな単純な事じゃない。
学年が違うからだとか、そういった事でもない。

「向日さん」
「んが?」

名前を呼べば振り向く。
赤い髪が風に靡いてさらさらと揺れ、純粋に綺麗だと思った。
そんな俺の方を向いた向日さんは、口いっぱいに唐揚げを詰め込んでいる。その表情は食い気が全面的に押し出され、色気のカケラもない。さっきまでの俺の純粋な感想を返してもらえませんかね。

「…もっとゆっくり食えないんですか」
「っ…んぐ!う、うるせえ!いいだろ、うまいんだしよ!腹へってんだよ!」

やっぱり食い気の方が強い。
コンビニで買った唐揚げ片手に隣を歩く向日さんは、相変わらず手の中にある唐揚げに夢中だ。その隣にいる俺は呆れて小言を呟く。そのたびにああでもないこうでもないと繰り返し、一人で騒ぎ出す。

端から見れば極めて普通の事だろう。
実際、俺にとってはこんな些細な事でも十分に安心出来てしまうのが現状だ。

俺が抱える下らない不安要素が、まさかこんなにも色気のない表情に救われるなんて…下剋上どころじゃない。こんなの、下剋上にすらなってないんだ。

そんな事を考えていたら、いつの間にか家の近くまで来てしまっていた。隣を歩く向日さんは相も変わらずぶつくさと言っている。
さっぱりしているように見えても、この人は意外と根に持つところがある。

「ちっ、ひよっ子がいちいちうるせえんだよ」
「…そのひよっ子の家に今から押し掛けようとしてるアンタは何なんですか。向日さんの家、大分離れてますけど」
「う"…」

そして最近の向日さんはやたら家に押し掛ける。
先読みされて図星なのか、瞬時に気まずい表情を浮かべる。何か勘違いでもしているのか、その瞳に僅かな不安が滲み出した。
こういう時の対処は、実は物凄く苦手だ。
俺は忍足さんみたいに口が上手くない。それに加え跡部部長みたいな説得力もない、もちろん強引さだってない。
それならもう、俺の言葉で拭うしかないじゃないか。

「別にいいですよ。来たければ来ればいいんじゃないですか?」
「え…」
「家。どうせやることもないし」
「ひよし……ってかオイ、なに笑ってんだよ!」

俺のわかりにくい言葉も向日さんにはしっかり伝わったようで、あまりにもその様子が新鮮で思わず笑ってしまった。
心から安心したような表情を目の前で見せないで欲しい。この場でどうにかしたくなるんだ。アンタは知らないだろうけど。

「てめ、日吉!誤解するような言い方やめろよな!ビックリするんだよ!」
「別に嫌なんて言ってないじゃないですか」
「だーっ!お前のそういうトコが嫌いだぜ!!」
「ハイハイ、すいませんね」



例えば、俺がどんな言葉で縛ろうとしてもこの人は簡単にすり抜けて行く時がある。この先見失いそうになる時も出てくるかも知れない、思わぬ障害が出てくるかも知れない。
それでも、俺とこの人の関係は変わらない気がする。

向日さんの行動やしぐさ、一つ一つが俺を安心させるから。漠然としているが、これからも大丈夫だ。



辺りは陽が落ちかけ、オレンジ色に染まってゆく頃。
頬の赤みが増していくのを横目にしながら、俺は重なった影を連れ自宅への道をただ目指した。








「…向日さん、俺も一緒に居たいと思いましたよ」
「!!!」




アンタがいれば、どんな不安要素も杞憂なことだ。












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日吉にとっての岳人は不安もなにもかも払拭出来るような存在だったらいいな、と思って書いたもの。
精神年齢は岳人の方が上かな、と妄想してみました。






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