小説

□深海にて、埋葬。
1ページ/1ページ



深海魚のようだ、と思った。
草木も眠る丑三つ時を過ぎた
真夜中の暗闇。
夜が明ける前の黒。
絶えず降り注ぐ雨。
漣のように心地良い、雨音。
そんな中、ただひたすら動かず、眠らず、呼吸し続ける、僕。

この時間を過ぎたら、もう眠れなくなる事位、解りきっていた筈なのに。
数時間後の自分にごめん、と謝罪して目を閉じる。

今度こそ、真っ暗になってしまった視界。
目を閉じて見える黒は、どうしようもなく不快だった。
早く眠ってしまいたい。
体は疲れている。
頭を締め付けたような鈍痛も微かにある。
胃が痛む。痛いような気持ち悪いような、どうにも形容しがたい感覚。
睡眠を欲する肉体と睡眠を拒絶する精神。

全部、彼女のせいだと思った。

まず感覚から消えて行った。
触れた掌の温度。
擦れ違う度に揺れる香。
ソプラノとアルトを行き来する声。
そして繰り返し思い出すうちに擦り切れて既に朧げになってしまった彼女の輪郭。

あの時たしかに触れていた、聞いていた、見ていた、感じていた、なのに。

こうも簡単に人の記憶は埋もれ薄れ霧散してしまう。

暗闇から逃げようと目を開けても、たいして変わらない黒が逃がさないと嘲笑うように座り込んでいた。

人は二回死ぬと言う。
体から魂が消える時と、記憶から消える時と、二回。

不意に息を止めてみた。
やけに心臓の音が頭に響く。
肺が苦しいと悲鳴をあげた。
いっそこの深海のような場所に順応して
エラ呼吸になってしまえば良いのに。

−…雪男。

名前を呼ばれたのは覚えてる。
だが思い出した声が彼女のものかどうかは定かではない。確かめようもない。

あまりの苦しさにぐにゃぐにゃと透明に歪み滲んだ視界の中、僕は一度死んだ彼女をもう一度殺した。


***

[戻る]
[TOPへ]

[しおり]






カスタマイズ