イナズマイレブンシリーズ
□非日常が日常に変わっていく日。
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ソファに数時間倒れ込んだ体はいくらか軽くなったような気がする。
癒された体は心を癒してくれるはずもなく鈍痛を抱えたまま心の駆動を制限する。
最近、お互いに働きすぎていたのかもしれない。
そんな今更としか言えないことを考えながら無音の部屋に数十秒振りに息を吐く音を生み出す。
最初はこんな仕事に関わること自体に嫌悪していた。
そんな仕事を誇りも持たずにただ娯楽のために続けている不動にもいい感想を持たなかった。
『…どうしてお前はホストなんかをやっているんだ?』
不動を拾ったあの日、俺は多分全ての嫌悪感を顔いっぱいに出したままそんなことを尋ねたはずだ。
息の音しか聞き取れない部屋に、新しく扉の開閉させる音が生み出される。
「不動」
「きどーくん、腹減った」
「ああ。もう昼も過ぎている。飯にするか」
休息前に用意していたチャーハンを温めようとソファに横たえていた体を起こすと、想像より遠い場所で不動が欠伸を零していた。
泣きはらしたように目元が赤くなっている。
俺の理性は咄嗟にそんな頭の回らない自分を演じて、反射で化膿するようにじくじくと痛む心をなかったことにした。
鈍い音を放ち調理を始めた機械を背にして適当なタオルを冷水で湿らせる。
「きどーくん、何それ?」
「当てておけ」
「どこに?」
「目」
「ふーん」
「すぐに行くからあっちにいろ」
「やだ」
右目だけを白い布で覆いながら不動は未だ稼働している機械の中を見つめ始めた。
手を伸ばせば届く距離、という言葉を文書でよく見かけるが、それは手を伸ばせる勇気があってこその表現だろう。
今の俺には一生不動に触れられる気がしてこない。
それを止めているのは、理性か本能か。
「きどーくん」
「ん?」
「もうできたけど」
ここで食うの?と首を傾げる不動の手には遅い昼食が盛られた皿がある。
ようやく時間感覚を取り戻した俺は簡単に非の返事を返して用意していたスプーンを手に取った。
たった数メートルの移動中も腹減った腹減ったと呟く不動は当てていたタオルを右目から退けようとはしない。
自分の目元には気づいていないんだろうか。
不動は極端に鈍いところがあるから何とも思っていないのかもしれない。
「あー」
「ん」
ソファに陣取った座った不動は当然の様に器を俺に寄こし口を開ける。
俺も当たり前の様にスプーンに乗せたチャーハンをその中に押し込んでいく。
何度かその作業を繰り返して、俺の手の内にあった二つの戦利品が不動の手に奪い取られる。
戦利品となったスプーンに先程の俺の様にチャーハンを乗せ差し出してきた不動の顔は、いつになく笑顔だ。
「ん」
「…」
「んー」
「………あ」
「ん」
仕方なく開けた口に少々乱暴に食物が詰め込まれる。
大してうまくもないものを咀嚼し終えると何の悪夢か再び同じようなことが繰り返された。
食べるべきか否か少し迷う。
昨夜はいつもより業務が少なかったせいかあまり空腹を感じない。
いつもなら無理矢理胃に押し込んでしまうが、今日は仕事を休むことが決まっているのでその気にもなれない。
「………」
「ん」
「俺はもういい」
「じゃあ俺もいらねー」
しばらく考えた後で首を横に振ると予想していたのか不動はあっさりと器をテーブルの上に置いた。
時計の針は3を指し示している。
不動もそれに気づいたのか冷たさを失ったタオルを俺の手に押し付け立ち上がろうとする。
そういえばまだ不動に知らせてはいなかったか。
「まだ疲れはとれていないんだろう。今日は休みをもらった。ゆっくりしていろ」
「…休み?」
「ああ」
「……ほんとに?」
「ああ」
「ふーん」
何事にも手は抜かない不動のことだから、多少の暴言や暴力が飛んできても仕方がないと覚悟していた。
だが、予想に反して不動は興味なさ気な返事をしてリモコンに手を伸ばすと、スポーツ番組に目を止めて俺の膝を枕代わりにした。
素直に純真にモノクロのボールを蹴りあっている俺達と同じだろう年の選手が目に入る。
よく見知った顔だった。
『新人円堂守!ゴールを守り切りました!イナズマイレブンの勝利です!!』
そんな言葉がテレビから聞こえてきて意識が現実に引き戻される。
俺がまだ、こっちの世界に踏み込む前に知り合った人間は今でも純粋に自分の信じるものを守り通している。
今となっては、なりたくてもなれないような存在だ。
いや、そんなつもりは毛頭ないが。
「………こいつ見たことある気がする」
「一か月前に来たばかりだろう」
「あー…なんだっけ。『サッカーやろうぜ』?」
「そうだ」
「ふーん」
サッカーねぇ、と吐息と一緒に声を漏らした不動の頭部は未だに俺の太ももに置かれたままになっている。
あの時は豪炎寺もいたのだが、不動はまだ思い出せてもいないだろう。
暇だからと俺の背中にへばりついたまま離れようとしなかった不動にとっては円堂や豪炎寺なんていてもいないようなものだったんだろうか。
「なぁ不動」
「何?」
「もし、お前に出会っていなかったら、俺は今あのフィールドにいたかもしれない」
「…やってたの?」
「ああ」
「やめたの?」
「ああ」
「いつ?」
「お前に会ってから」
「………俺のこと」
疑問符ばかりを吐き出そうとする口を掌でふさぐと、俺の視線は液晶にしか向いていないのに不満の色を映した瞳に睨まれているような錯覚に陥ってしまう。
意思の疎通が潤滑すぎる故の障害か。
『俺のこと、嫌い?』
どうせまた同じ質問を繰り返そうとしていたんだろう。
最近の不動は何かに殺されるかもしれないと怯えているかのように生き急いでいた。
家でも、店でも、外でも。
何かから逃げるように、全力で生きようとしていた。
仕事に精を出し、俺が離れていくかもしれないという杞憂に捕らわれ想像もできないような不安に襲われているのだろう。
そんな不動に気づきながら何の声もかけてやれない俺は何を言う資格もないかもしれない。
そして、一日の最後に同じ質問を繰り返しては、俺が出す非の答えを聞いて満足げに笑みを零して寝入る。
これが最近の不動だった。
疲れが溜まっているのか以前のような元気はなくなったが、なぜか感情表現がうまくなったような気がする。
数時間前の慟哭を思い出す。
以前の不動ならあんな泣き方をしたことはなかった。
まぁいいことではあるんだろう。
未だ俺の前で涙を見せたことはないけれど。
「不動」
「むぐ」
「左目が真っ赤だぞ」
「うむぅ」
何を言っているかわからない。
思わず噴き出してしまうと再び不機嫌そうな眼光が飛んできたので笑いを堪えることに専念する。
あまりにも不満そうなので一度口を開放してみる。
離れかけた手を掴まれた。
「………」
「うー」
がじがじと俺(主に左手の薬指)をカニバリズム行為に使用し始めた不動の頭をもう片方の手のひらで撫でてみる。
しばらく撫でていると、「仕方ないなー」と目で語りながら口を開いてくれた。
容赦なく掛けられる圧力に負けてうっすらと赤いものが滲んでいる薬指には血の指輪がはめられていた。
「きどーくん、好きだよ」
「…ああ、俺もだ」
俺の口に無理矢理不動の体の一部が押し込まれて、同じように血の装飾を作らされるのは目に見えている。
何一つ解決はしていない。
いや、今まで解決できた問題ないような気もする。
「っていうかきどーくんが勝手に仕事キャンセルしたせいで夜暇になっちゃったじゃん!どーすんの?やっぱりそーいうこと?」
「そ、そういうことはしない」
「えー」
何かと子供の様な挙動を取ることが多い不動の笑顔が、最初に会った時の円堂と笑顔と重なった。
違和感は感じなかった。
【非日常が日常に変わっていく日。 終】
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