イナズマイレブンシリーズ
□それはきっと最初から。
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俺は考えあぐねていた。
上司に無理矢理連れられた【そういう】店から何とか断りを入れ抜け出してきたはいいが、行きは完全に上司に引きずられていたので道がわからない。
タクシーでも捕まえられればよかったんだが少し狭いこの道は車の出入りが禁止されているらしくそれらしい車は見つからない。
「お兄さん可愛い顔してるわね…遊んでいかない?」
「いえ、俺は…」
「安くするわよ」
「え、いや、あの」
「あら?もしかして初めて?いいわねそういうの。今なら特別にサービスしてあげる」
「い、いえ…」
なんとか道を思い出そうとする暇もなく、香水の匂いを振りまく女たちに袖を引かれ腕を取られてどうしようかとまた考えあぐねては別の店の売り子に袖を引かれるというよくわからない状況になっていた。
こういう環境は苦手だ。
どちらかと言えば、静かな部屋に一人でいることが好きだ。
周りと一緒に騒ぐよりも、それを見て楽しみたい側の俺は、こういう風に人間と触れ合うことに若干の嫌悪感を覚える。
こういう場合なら尚更だ。
こうなったら強硬手段に出るしかないと腕を振り払い細い路地に駆け込む。
薄暗い路地には人影もなく、売り子たちは新たな客の呼び込みに意識を飛ばしたらしい。
少々乱暴かとも思ったが、どうせまともに俺のことを覚えている奴なんて一人もいないだろう。
携帯のGPSナビゲーション機能は多少の電波の乱れがあるものの使えるようだ。
人通りの少ない道を選んで表通りに出ればいいか、とようやく見えた糸口に少しの安堵を含んだ息を吐く。
「…ん?」
背後から、声が聞こえた。
陶器のようなものが壊れるような音と、怒鳴り声、そして女の悲鳴が狭い路地に響くが夜の街の音にかき消されてすぐに聞こえなくなる。
しかし断続的に聞こえるその音だけでも異常を示すのには十分すぎる。
「何を…んぐっ!?」
「しー。あれ、多分ここら辺でいろいろ危ないことやってる奴だから目ぇ付けられたら殺されるぜ」
「ん!?んんーっ!」
「静かにしろって」
音のする方に駆けだそうとした俺の身体が、背後から伸びた腕に制される。
左腕を掴む腕と口をふさぐ腕の力は特に強くはないが、如何せん後ろから力を加えられているせいで、重心を真ん中に保とうと足が勝手に後ろに下がっていく。
怒鳴り声も悲鳴も聞こえなくなるほどに元の路地から離れてしまった頃、俺を引きずるように導いていた腕が離れた。
それでも口を塞いでいる手は離れない。
「ここ、声響くから静かにしろよ」
「………」
小さな声に頷くと、ようやく俺の口を制していた手は離れていった。
振り向いても光がほとんど入らないビル間の路地では少し離れた場所にいる相手の顔が分かりにくい。
さっきの忠告といい悪い奴じゃなさそうではあるがこんなところにいる人間が全員まともだとも思えない。
「………先程はすまなかった。少し急いでいるので俺はここで」
「ここ、電波届かないよ」
「は?」
「俺のお願い聞いてくれるって約束してくれたら、普通の道まで連れていってあげるけど」
「………」
「別に変なことじゃねーって」
「…何だ」
「いや、ちょっと腹減っててさ」
「はぁ?」
予想以上に間抜けな声が出たと思う。
いや、今のは完全に予想外だった。
つまりは、飯をたかるために偶々目の前にいた俺をこんな場所に連れこんだということらしい。
「あー、あと救急箱的な何かがあれば欲しいかも」
「何に使うんだ?」
「救急箱の使い方なんて一つしかないだろ」
「まぁそうだが…怪我でもしているのか?」
「…いーじゃん別に。で、俺のお願い聞いてくれるの?くれないの?」
電波が届かなかろうと、ビル谷がそんなに続いているはずもないので十分に一人でも表通りに出られる。
断る、と言おうとした俺の口が何の音も発しないまま閉じてしまったのは、少し近づいてきたあいつの足にぼろ布が巻かれていたせいかもしれない。
もしかすると、薄明りの中で見えた顔が予想以上に整っていたせいかもしれない。
いや、俺が何を言う前に、そいつが突然倒れ込んできたからだろうか。
「…おい?」
反射的に倒れてきた体を受けとめたものの突然のことに頭が何一つ情報を処理できていない。
鈍く回転する頭が先程のこいつの言葉を思い出し、何を思ったか右手に持っていた携帯を開いた。
電波の入りを表す棒は三本健在だ。
再び機能を停止した思考回路とは真逆に反射機能は高性能になったようで、やけに冷たい体温と今にも聞こえなくなってしまいそうな呼吸音に気づいた瞬間、俺は反射的にそいつを背負って駆け出していた。
「鬼道くん鬼道くん。あと一時間ぐらいで腹減るんだけど」
「………」
「煮込みハンバーグな」
「俺はまだ何も言っていないが」
何の意味もない補足だが、不動はどうやら2と5のつく日が何日あると思っているのかわかっているのかと疑問に思わざるを得ない例のCMを見て夕飯のメニューを思いついたらしい。
テレビから聞こえてくる、本日三度目になるCMが何よりの証拠だろう。
ソファに寝転がってぐだぐだと雑誌を眺めている不動が、俺に断られると一切思っていないことも少し問題だと思う。
少々甘やかし過ぎたかとも考えたことはあるが、あまり酷い我儘を言われることはほとんどないので甘受してしまう俺がいるのもまた事実だ。
「あ」
「トマトは入れないぞ」
「知ってる。昨日捨てた」
「買ってきたその日に無駄にするのはやめてくれ」
普段は冷蔵庫の中身なんて見向きもしないくせに何故か嫌いなものには敏感らしい。
もう二度とトマトは買わないようにしないとなと心に決めて本を閉じると、いつのまにか不動がすぐ近くまで歩み寄ってきていた。
「俺の話聞いてる?」
「聞いてるさ」
「背中痛い」
「背中?」
「昨日思いっきり引っかかれた」
体を反転させた不動の背中には肩甲骨の当たりのシャツに小さな染みができている。
いくら行為中とは言えどもおよそ半日経った今でも出血するほどの怪我をするとは思えない。
どうせ不動の右手の爪には赤い液が付着しているんだろう。
「手当てしてよ」
「その前に手を洗ってこい」
「はいはい」
手当てのついでに長くなってきた爪を切るべきかと考え、救急道具の入った箱と一緒に爪切りも用意する。
戻ってきた不動は至極楽しそうに自分で抉った傷を見せてくるんだろう。
最初の出会い方が変わっていたら不動の性癖も少しは変わっていたのだろうか。
俺を裏の世界に否応なしに引きずり込んだ不動は、信じられないほど一途に俺を闇に陥れようとする。
出会ってしまった時点で俺の運は尽きてしまっていたんだろうか。
『俺さ、あそこの近くにある店でホストやってんの』
『…それで?』
『だからさきどーくん。俺の専属ボーイになってよ』
『はぁ?』
確かに俺の運は尽きてしまっていたのかもしれない。
不動に出会えたことが幸運だと思うか不運だと思うかは出会った奴にしかわからないだろう。
「きどーくん、お腹すいた」
「まだ十分もたっていないぞ」
「いいだろ。おにぎり作ってよ」
「なんでまた」
「一番最初の、すげー甘いのでもいいよ」
「………そのことは言うなと何度も言っただろう」
「良いじゃん別に」
不味くなかったけど、と口端を吊り上げたまま笑った不動が椅子に座っている俺の背中にのしかかってくる。
いつぞやの専属ボーイ宣言も同じような格好で言われたような気がする。
「早く背中を見せろ」
「鬼道くんのえっち」
「お前にだけは言われたくない」
ケラケラと楽しそうに笑った悪魔が、首に回した腕に力を込めた。
「苦しいぞ」
「やっぱり手当ていいや」
「夕飯が作れないんだが」
「後で」
「はぁ…」
俺の溜息にさえ悪魔が楽しそうに口元を歪めているのが簡単に想像できる。
こんな我儘さえ愛しいと思う俺は、いつから悪魔に憑りつかれてしまったんだろうか。
【それはきっと最初から。 終】
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