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□非日常なんてどこにある。
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俺が拾った男はどうやら行き倒れていたらしかった。
道端に倒れている人影を見てギョッとし、救急車を呼ぶか否かと悩んでいる最中で聞こえた空腹を訴える声に肩にかけていた鞄がずり落ちたのはほんの数時間前のことだ。
今では俺のベッドで眠る男を思い浮かべて無意識にため息が零れた。
そのまま放っておくなり警察を呼ぶなりすればよかっただろうに、何故か俺はその行き倒れを背負い家まで連れ帰っていた。
人助けだとか恩を売る為だとか、そんな理由は一つもない。
ただ、結構整った顔をしているあの男が何故空腹で倒れていたのか気になっただけ。
それだけだ。

「はぁ…一体なんだってんだ。」

そういえば、あいつは俺と同じ高校の制服を着ていた。
校内で顔を見た覚えがないことを考えるとどうやら学年が違うらしい。
通学路でも顔を見たことがないので住んでいる場所も違うことが分かる。
どうしてあんなところに倒れていたのかが更に解らなくなってきた。
解答のない問題をいつまでも考えていても仕方がないので、男が目を覚ますのを待って尋ねることに決めた。

「…ん…もうこんな時間か。」

リビングで時間を潰していると、いつの間にか日付は変わってしまっていた。
腹が減ったと言う割には中々起きない男に少し心配になってくる。
本当は死にかけているのかもしれないという妙な危機感さえ感じてきた。
一度様子を見に行くかとソファから腰を上げた瞬間、廊下を素足で歩いてくる軽い音がした。
親の都合の為にマンションで一人暮らししている俺にはあまり聞き慣れない音だが、今だけは酷く安心する音だった。

「起きたのか。」

「……。」

部屋を通り過ぎようとする人影に、磨りガラス越しに声をかける。
足音が止み、遠慮がちに開かれた扉の隙間から怯えたような瞳が見えて酷く狼狽した。
とりあえず飯を食わせなければと思い、ついてこいよと声をかけつつダイニングキッチンに移動すると扉の閉まる音がした。
再び止んだ足音に、リビングで立ち尽くしている男の姿が浮かんでもう一度声をかける。
一瞬の間の後にダイニングに入ってきた男は、物珍しそうに辺りを見回していた。

「……。」

「腹が減っているんだろう?早くそこに座れ。こんな時間だから大したものは作れないが…。」

「……服。」

「あぁ、随分汚れていたからな。そろそろ洗い終わる頃だと思うぞ。」

「……ありがとう。」

「……どういたしまして。」

あまり喋らない奴なのか、会話はそれきり止まってしまった。
特に話すこともないのだがもう少し何か聞いてくると予想していたので気をそがれたような気もする。
無言の中で部屋に満ちるのは食材を炒める音だけだ。
生憎買い物に行くのを忘れていたので野菜炒め程度しか作ることができなかったが、飯は十分炊いてあるしいざとなれば買い置きのインスタントを作ればいいだろうと考えながら味付けを終えた野菜炒めを皿に盛りつけて、素直にテーブルについている男の前に置いた。
一人暮らしの学生の家に予備の茶碗があるはずもないので自分の茶碗に飯を盛って箸や茶と共に配膳する。
迷うように料理を見た後そっと俺の顔を見てくる男とそのまま視線を合わせていると、いただきますと小さく呟いて箸を持ち上げた。
腹が減ったという割には箸の進みが遅いことに首を傾げたが、洗濯機から作業を終えたことを知らせる音が聞こえたことで視線を逸らした。
黙々と食べている男を確認してから、少しぐらい席を外してもいいだろうと判断して部屋を出た。


部屋に戻ってくると、男はキッチンに立って食器を洗っているところだった。
俺が部屋に戻ってきたことに気づき顔をこちらに向けて軽く頭を下げる。
その男の顔色があまり良くなっていないことを不思議に思いながらも近づいていこうと足を踏み出すと陶器の割れる音がした。
男の足元では手を滑らせたのか落ちた白い平皿が砕けていた。
慌てて破片を拾い上げようとする男を制して破片のそばにしゃがみ込んだ。

「俺がやる。お前はそこの椅子にでも座っててくれ。」

「……すまん。」

「いい。病人は大人しくしてろ。」

しゅんと肩を落として大人しく離れていく男の背を見ていると、言いすぎてしまったかと僅かな罪悪感が湧いてきた。
口下手だとよくクラスメイトにからかわれるが、今は本当に自分の性分が憎かった。
後で声をかけるべきかと悩みながら破片を処理していたせいか、指先に僅かな痛みが残る。
滲み出る程度の血を止める気にもならずにそのまま全ての作業を終えてしまう。
新聞紙に包んだ破片を持って立ち上がろうとすると、いつの間にか座っていたはずの男が背後に立っていたことに気づいた。
どうかしたのかと思いながらもそのまま見上げていると、しゃがみ込んだ男が俺の手を取った。
今度こそ疑問を口にしようとした瞬間、握られていた手が持ち上げられ指先に暖かいものが触れた。

「なっ…。」

「………。」

乾きかけた血を舐めとる男に何か意味のある言葉を紡ぐ前に、僅かに見えたその瞳が真っ赤に染まっていることに気づいて出かかった言葉は全て消えていった。
小さな傷口を抉るように犬歯を突き立て、じわじわと滲む血をまた舐めとる。
それを何度も繰り返し、ようやく俺の脳が状況を理解してきた頃、突然男が立ち上がった。
俺が大層間抜けな顔で見上げているだろう前で正気に返ったのか、男はあわあわと視線をあちこちに彷徨わせている。
声をかけたほうがいいんだろうかと考えていると、申し訳なさそうに向けられる瞳が本来の焦げ茶色に戻っていることに気づいた。

「……あ、あのさ…。」

「……。」

「わ…悪い!すぐ、出ていくからっ…。」

「何故だ?」

「…え?」

「どうして出ていく必要がある?」

「……?」

「まだ全快したわけではないんだろう?急ぐ用でもあるのか?」

今度こそ破片を片付けてからもう一度椅子に座れと促すと、渋々と言った様子で腰かける。
向かい側に座ると気まずそうに視線を逸らされた。
まぁあんなことは普通やらないだろうが、的確な意思があってしたことではないのだから仕方ないんじゃないのかと思うが今それを言っても同情からのフォローだと思われてしまいそうなので言わないでおく。
いつまでも【お前】と呼ぶのも悪い気がしていたので最初に名前を尋ねてみると、若干の間が空いた後に、けまとめさぶろう、と小さな声が返ってきた。

「けま?」

「食を満たすと書いて食満と読む。」

「ふーん…。どうして食満はあんなところで倒れてたんだ?」

「………腹が、減って。」

「…お前、どんな生活してるんだよ…。」

「う、うるせぇ!こっちにも事情とかあるんだよ!」

別に金がないわけじゃないことは洗濯をしようとした時にポケットに入っていた財布でよくわかっている。
(一応言っておくが中は見ていない。重さで判断しただけだ。)
一食分の飯ぐらいは優に買えるだろう金を持っていてどうして使わなかったのか、やはりそこは聞かない方がいいんだろうか。

「で、さっきのは?」

「…さっきのって何だ。」

「お前は血に興奮する希少な趣向でも持っているのか?」

「違ぇよ!」

「なんだ違うのか。」

「残念そうにするな!」

「痛っ!」

結構な勢いで叩かれた頭を押さえて顔を真っ赤にしている食満を見る。
自然になった言葉遣いから考えるに、どうやら大分緊張は解れたらしい。
結局誤魔化したまま帰ろうとする食満を引き留めて、助けてやったんだから教えろと理不尽な要求をすると困ったように俺を見た。

「(うっ…!)」

なんだろうこの罪悪感。
小学生のころ、通学路で捨てられた子犬と目はあったが親の事情で拾ってやれなかったことを思い出した。

「……絶対信じねぇもん。」

「信じる。」

「…絶対笑うし…。」

「笑わねぇって。」

「………絶対、誰にも言わねぇ?」

「言わん。」

「…………あのさ、俺…。」



吸血鬼なんだ。



そう言われた瞬間、今度こそ時間が止まってしまったような気がした。
驚かなかったわけじゃない、でも、なんだそんなことかと思う気持ちの方が強くて拍子抜けだ。

「……吸血鬼?お前、昼間動いても大丈夫なのかよ。」

「…いや、実際は、ちょっと吸血鬼の血が混じってるってだけだから普通に昼間も動ける。」

「なるほどな。」

「……それだけ?」

「これ以上何か反応してほしいのか?」

ぶんぶんと首を横に振る食満を見てそうだろうと頷くと、不思議なものを見るような目で見られてしまった。
とりあえずむかつくから殴る。

「いって!なにするんだよ!」

「なんとなくだ。」

「なんだよそれ!」

「そういえばお前、何年生なんだ?見たことねぇ顔だが…。」

「三年生だぜ?」

「……中等部か?」

「ちげーよ!高等部に決まってんだろ!」

「だよなぁ…。」

「お前、1組の潮江文次郎だろ?俺3組だから、別校舎なんだよ。」

「あぁ、そういうことか…。ってなんで俺のこと知ってるんだ?」

「あの仙蔵とテスト順位で一位二位を争ってるんだからそれぐらい知ってるだろ。」

当然と言う風に胸を張った食満の言葉で、同じクラスの天才を思い出した。
とりあえず明日こいつとの関係を問いただそう。
何が何だか未だ詳しくはわからないが、今目の前にいるこいつが笑っているからまぁいいか、と思っている俺がいた。



【非日常なんてどこにある。 終】


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