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□不器用な恋愛進化。
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留三郎が意識を取り戻した。
峠は越え、十日も経てば起き上れるほどには回復するらしい。
お見舞いに来てよ、と、苦笑した伊作がそう言ったのが、今から十五日前のこと。

「……。」

俺はあれから一度もあいつの顔を見ていない。
何度会いに行こうと医務室に向かっても、直前になって足が竦む。
襖を開けたその先のあいつが、どんな顔をしているのか想像もできなくて情けなく踵を返す。
それを何度繰り返しただろう。
さすがのあいつだって気が付いてると思う。でも、一度だって声をかけてくることがなかった。
俺の気持ちに気づいていたのかもしれない、それともあいつも俺に会いたくないのかもしれない。
医務室に近づくことすら躊躇うほどになった今では、そんなことを考えることも辛くなっていた。


「おい文次郎!」

「どうした小平太、長次。」

「伊作から聞いたぞ。」

「何をだ?」

「………一度も、医務室に顔を出していないらしいな。」

「…あぁ、そのことか。いやなに、あれからもっと自分を鍛えなければなと思い更に鍛錬を…。」

「留三郎の見舞いのほうが大事だろ!」

小平太の言葉がぐさりと胸に刺さる。
長次の手が軽く背を押してきて、医務室に入るまでずっと見張っておくつもりなのだと確信する。
面倒なことになったと舌打ちしそうになるのを堪えて、溜息に変えた。
まだあいつに会う心の準備はできていない。
床に伏せた留三郎を見て、自分がどうなるのかさえ分からない状態では否が応でも会いたくなかった。
そんなことも気にせずに小平太はぐいぐいと腕を引いてずかずかと歩き出す。
今度こそ漏れた舌打ちが聞こえたのか、長次がまた背中を押した。

仕方なく歩き始めた俺の心の内では、妙な焦燥と緊張が渦巻いていた。


じゃ、しっかりな!と激励のつもりなんなのか小平太はそんな言葉を残していったが、俺の気持ちは未だ暗い部分をさまよったままだった。
入るべきか入らざるべきかと襖に手をかけたまま決断しきれないでいると、向こう側から独りでに襖が開いた。
否、開いたのではない。
ただ留三郎の様態を見ていたのだろう伊作が開いただけだった。

「どうしてそんなところにいるの?早く入ってよ。」

「あ、あぁいや…。」

「早く入りなよ。」

何故だろう。
いつもどおりの笑顔のはずの伊作に妙な怖気を感じる。
無理上げた口角が引き攣るのも気にしないまま、俺は伊作に背中を押されて医務室に足を踏み入れた。
奥の衝立の向こうに白い布団が見える。

「今留さん寝ちゃったところだから、ちょっと看ててくれる?」

「…あぁ。」

「頼んだよ。」

俺を部屋に押し込んだ伊作はそのまま襖を閉める。
頼まれたからにはこのまま帰る訳にもいかずに衝立の向こうを覗き込む。
まだ体中は傷だらけなのだろうが、さほど苦しんでいるようでもない留三郎を見て自分の心が少し落ち着いたことに気づいた。
枕元に胡坐をかいて座り、頬杖をついたまま眠る姿を静かに見つめる。
まだ怪我からの熱が引かないのか、わずかに上気した頬が気になって手を伸ばす。
触れた肌はやはり少し熱を持っていて、少しでも冷めるだろうかとさわさわと撫でてみる。

「……まぁ無駄か。」

わかっていたことではあったのでそこまで落胆することもなかった。
しかし、どうしてだろうか。
逆に熱が上がってきた気もする。
伊作までとはいかないが医療の術はそれなりに身につけているつもりだったが、いざとなるとあまり実践できないのが経験を積んできたか否かの違いだろう。
今の俺には、教科書で習った対処方など一つも思い浮かべることができなかった。

どうするどうする、とただ気持ちが焦るばかりで全く頭が働かない。
挙句の果てには応急処置の方法ばかりが浮かんできて情けなさに壁に頭を打ちつけようかと思った。
壁を壊すと役柄また留三郎が苦労をするのでなんとか堪えたが、呻く様な小さな声が聞こえない限り俺はそのまま何もせずに突っ立っていたに違いない。

「………っ…ぅ…。」

「っ、どうした留三郎。」

「…ぁ…………っ…。」

「留三郎!」

熱に浮かされたように荒く呼吸を繰り返す留三郎の頬を軽く叩く。
夢魔に襲われているときは目を覚まさせない方がいいと言うが、そんなことを気にしている余裕もなかった。
僅かでも意識が覚醒したのか留三郎の瞳が薄く開かれた瞼の奥から覗く。
何かを訴えるように水分を多く含んだ瞳が揺れる。
どうした、ともう一度問いかけようとした矢先に留三郎が大きく咳き込んだ。
中々止まらない咳に慌てて留三郎の上半身を起こし背中を擦った。

「大丈夫か?」

「……みず…。」

枕元に置いてあった水差しの水を椀に移して手渡そうとしたとき、その二の腕に幾重にも白い布が巻かれていることに気づいた。
そしてその布は腕だけではなく、腹にも巻かれていてあの時に負った傷を覆っているんだろうとはすぐに分かった。
押し寄せてくる後悔と罪悪感に気づかない振りをして留三郎の体を右腕でしっかりと支える。
左手に持った椀を口元に寄せ、軽く傾けて咥内にゆっくりと白湯を流し込んでいく。
その喉がわずかに動いて、全て嚥下したことを確認してから椀を下に置いた。
それでもまだ息の整わない留三郎の体を、何故か離すことができずに、自分の胸に頭をつけさせるように片腕で抱き寄せた。

拳の一発でも飛んでくるかと少し身構えていたのだが杞憂に終わったらしい。
起き上れるようになれどまだいつもの調子を取り戻せていないのか、大人しく体を預けてくる留三郎に、僅かにだが確実の俺の心臓が早鐘を打ち始めた。
己の所為とは言えども久々の接触だ。
もしかしたら聞こえてしまっているかもなと思いながらも抱きしめた腕は離せない。

どちらも何も言葉を発しないままただ時間が過ぎた。
でもそれは苦ではなく、会わなかった時間を埋めるようにゆっくりと時間が流れているような気がした。

「……文次郎。」

「なんだ。」

「……夢を、見たんだ。」

「夢?」

「…一年生の頃、実習でお前に助けられた時があっただろ…。」

「あぁ…そんなこともあったな。」

ぼそぼそと小さくあの時のことを語る声を聴きながら、俺の中の記憶もゆっくりとよみがえってくる。
ボロボロになった留三郎を見た仙蔵と小平太が二年生に直接決闘を申し込んでいたと思うが、小平太はともかく仙蔵はかすり傷ひとつ追っていなかったはずだから結局は勝ってしまったのだろう。
一年生と二年生は忍術学園のカリキュラム的に考えても実習経験の多さで二年生が圧勝するだろう。
それでもあの二人が笑顔で帰ってきたのは、それだけの怒りだったということだ。

留三郎の言葉はまだ続く。

「あの時、本当に死ぬかと思って…すげぇ…怖かった…。」

「……ならどうしてあんな無茶したんだ。今度は本当に死ぬかもしれなかったんだぞ。」

「……。」

「何度でも言うが、お前は周りのことを考えすぎだ。少しぐらいは自分を大事に…。」

「だって!あそこで俺が出なきゃお前が死んでただろ!」

大人しかった留三郎が突然顔を上げて胸倉を掴む。
殆ど力の入っていない腕では本当に掴むぐらいのことしかできていなくて、悔しそうに歯を食いしばった留三郎がまた叩きつけるように言う。

「お前らは自分を大切にしろって言うけどなぁ!それで誰かが死んだら元も子もねぇだろ!俺が死ぬまで、絶対俺の目の前じゃ誰一人死なせてやらねぇ!絶対だ!」

「……何をそんなに思い詰めてるんだ。」

「お前だってそうだろう!?目の前で、大切なやつが死んでいくのなんて見たくないだろうが!」

「それはそうだが…。」

「…本当に、死ぬ夢を見るんだ。」

「……お前がか。」

「苦しくて、痛くて…死にたくないって思っても、死んじまうんだ。」

「死ぬとはそういうことだ。」

「…声が、聞こえるんだ。……俺が…殺めた、人の声が。」

聞いたこともないはずの声が聞こえるんだ、と苦しそうに吐き出す留三郎に、同じように息が止まりそうになる。
もっと現実味のない夢ならば、なんだその奇妙な夢は、とでも笑い飛ばしてしまえばこいつも楽になれたのだろうが、今回はそうはいかない。
俺達六人の中で、こいつは一番最初に人を殺めた。
任務から帰ってきたあの時の顔は一生忘れない。
諦めたような、悟ったような、今にも泣きそうな顔をして笑う留三郎に、言葉をかけていた伊作の笑顔が引き攣っていたのを今でも覚えている。

一部の教師は、こいつが一番忍者の世界を受け入れたと思っているみたいだが、実際はどうだ。
こんなにも人を殺した罪悪感に苛まれ、自ら心を押しつぶそうとしている。
隠しきれない心を無理矢理奥深くに押し込めて笑うのはどれだけ辛かっただろう。

僅かに嗚咽を漏らし始めた留三郎に、見たこともないようなこいつの闇の部分を覗き見たような気がして、頭から冷水を浴びせかけられたかのように心は冷えていた。

「だから駄目だと言ったんだ。」

「…何、がっ…。」

「お前は、ずっと誰のことも心から信じ切れていない。信じているつもりになっただけで、本当は心の奥で制御して、言いたいことも言えないままそうやって悩んでいたんだろう。」

「んなことっ…!」

「ないって言い切れるのか?」

途端に口を噤んだその頭を軽く叩いた。
不満げに声が漏れるが、それに答えを返すことはなく力いっぱい腕の中の体を抱きしめる。

こいつのこういう性格は俺が一番よくわかっていると思っているし、だからどうしたと割り切れている部分もある。
何度も伊作や仙蔵に怒鳴られたが、お互いにあまり干渉することがない俺たちにとってはそれが当たり前だった。
俺が何であろうと、留三郎が何を考えていようと、結局のところ本心に嘘はつけない。
弱みを見せたくないというのはお互いに共通した感情だ。
だからこそ、その高い強固な壁を壊してやりたいと思う。
ほんの一時でも何も考えずに泣ける時間を与えてやりたい。

まだ唇を噛み締めて溢れる涙を零すまいとする姿が、いつかの実習の時に見たこいつと重なった。

「…別に、今すぐ素直になれとは言わん。少し寝ておけ。」

「………すまん。」

「何をらしくもないことを言っているんだ。いいから寝ろ。」

「あぁ。」

寝転がるとすぐに小さく寝息を立て始めた留三郎手を握ったまま、天井を見上げる。
思った通り覗き見をしていたらしい気配が慌てて消えていった。

「小平太か。」

どうせあいつのことだ。
仙蔵あたりに頼まれて覗いていたのだろう。
まぁ報告を受けた伊作もこれで安心するだろうから俺から説明する手間が省けたわけだが、それでも後からぐちぐちと文句を言われるのもさすがに飽きてきた。


不器用だなんだと言われていても、俺達にはこれが一番合っているのだから仕方がない。
らしくもなく恋なんてものをしてしまったせいで、素直になる以前にどうやって愛せばいいのかすら不確かだ。
お互いに手探りで、状況確認に必死になって、それでもまだ情けないくらいに惚れてしまっている。
焦らずに、ゆっくりでいい。
忍者の世界にはいつまでも未来があるとは思わない。

それでも、いつか、全て分かり合える日が来ることを願うくらい構わないだろう?


【不器用な恋愛進化。 終】


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