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□この御時世にそぐわない言葉をお前にかけた。
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留三郎が怪我をした。
いつもの喧嘩のようなかすり傷ではない。
とある城から密書を捕ってくるという実習の最中だった。
しかも、それが他でもない俺の為だと言うのだからいたたまれない。
浅く薄く息を吐いた留三郎が何かを言ったような気もしたが、結局俺の耳には何の音も届かずに空気に霧散したらしい。
痛みを堪えるように硬く閉じていた瞼が僅かに開いたその隙間に、何故か安堵の情が浮かんでいるのが見えて、どうしたらいいのか判らなくなった。



城からしっかりと密書を奪して、山の中を学園へと駆けていた時だった。
すっかり実習を終えた気になっていた俺たちは、世間話やちょっとした冗談なんてものを交わしながら山を登っていた。
完全に、俺の油断が招いた失態だ。
山頂近くになったころ、遠くから空気を裂くような細いかすかな音がした。
きっと、俺たちが城から逃げ出した時には先回りの算段を立てていたのだろう。
いささか追手が少ないとは感じていたが、好都合だと何も疑問に思うこともなかった。
どう考えても己の未熟さが招いたことだ。
だから、目の前に鈍く光る数本の苦無が迫ってもそれを恐怖することはなかった。
ただただ己の未熟さを痛感して、次こそは絶対にこんな失態を犯すまいと背に背負った愛用の槍に手を伸ばしたその時。

留三郎が、俺の前に出た。

「なっ…!?」

「っ…!」

どしゅ、と生肉に刃を突き立てる音がして、ぐらりと留三郎の体が傾ぐ。
それを受けとめようとした手を鋭い瞳で拒まれて、思わず身が竦んだ。
今はそんなことをしている場合じゃないだろうを、痛みに歪んだ顔で諭されてしまえば六年忍びとして勉学を重ねてきた己の頭はどうやってこの場を切り抜けるかということに回転し始める。
視線の先には標的、どうやら今の不意打ちでこちらを仕留められた気になったらしい。
無傷の俺を見て多少慌てたようにも見えたが、どうやら一人というわけではないらしく余裕そうに瞳を光らせて俺の背後に視線をやった。
それを見る限りどうやら追撃者は二人だけのようだ。

腹や腕に刺さった苦無を抜きさった留三郎が大きく息を吸う。
ふっ、と短く息を止める音が聞こえた。
それが合図になったのか俺の足は自然に留三郎と同時に地を蹴って、抜きさった槍を敵前へと向けていた。


追撃者はそれほどでの手練れでもなかったのか既に赤に塗れ地に伏せている。
振り返ってもそこには敵の姿はおろか留三郎の姿すら確認できない。
どこかに移動したのかとあたりを見回すと木々が僅かに開けた場所で黒く鈍く光る鋼鉄が交錯しているのが見えた。
鋼が交わる高い金属音と、空を切る風の音が聞こえてくるような気がして、地に伏せた追手には目もくれずに山頂へと走り出した。
山頂まであともう少し、というところで、黒を纏った追手が地に崩れ落ちる様子が見えた。
一段落したかと安心して歩みを弱める。
戦闘中に落としたのだろう、地面に転がっていた密書を拾い上げた。

その留三郎の体が、なんの前触れもなく大きく傾いだ。

どさりと音を立てて、先ほどの黒と同じように留三郎が地に伏せる。
俺は、浅く呼吸を繰り返す留三郎に駆け寄ることしかできなかった。

「おいっ、留三郎!」

「……うっせ…変な声、出すな…。」

弛緩した体を抱き起こして軽く頬を叩く。
薄く目を開いた留三郎は、怪我をしていてもまだ元気そうに見えた。

「誰のせいだと思ってやがる。早く手当てするぞ。」

「…いーから…早く戻らねぇと…。」

空は既に紅色に染まっている。
実習終了は日没と同時。
つまりはそれ以前に学園に戻らなければならないということで、今から全力で野山を駆けても時間内にたどり着くか否か怪しい時刻だということだ。
留三郎はそのことが言いたいのだろうが、負傷したこいつがいつもと同じ速さで駆けられるかと問えば答えは言わずもがな否だろう。
どの道手当をしなければならないのなら早く対処するのが最善の策だ。

「傷はどこだ。」

「…腕。」

「それだけか。」

「……腹、も。」

「そうか。」

左の二の腕、左横腹と鳩尾近くにそれぞれ穴が空いていた。
そこから大分血を流したのだろう、緑に朱が染み込みどす黒いような気味の悪い色彩が三ヶ所忍装束に浮かんでいる。
破れた装束の上を脱がせ、細長く引き裂いていく。
生憎ここには、不運だが頼りになる医療に長けた仲間はいない。
手当と言ってもできることは応急処置程の僅かなことばかりで、早くしろと急かす留三郎を見ているのが辛かった。

自分で走れると無茶を言う留三郎をなんとか宥めて背負い走り始めたのが十数分前。
刻々と迫る日没に焦った奴に何度頭を叩かれたことか。
怪我人らしく大人しくしていろと言いたいところだが、随分出血していたように見えたがこれだけ元気なところを見ると、どうやら思っていたより無事らしい。
そう安心して軽口を叩きながら学園へと駆ける足を速めた。

確かに、その時は留三郎は元気だったんだ。
確かに。


「おいっ、留三郎…!」

「…うっせ…。」

「うるさい黙れ!どうした、どこか痛いのか、苦しいのか。まさか毒でも…。」

「…みたいだ…な…。」

「何で早く言わなかった!」

留三郎に腹を立てても仕方のないことは分かっている。
言わなくても、気づかれてほしくないと思っていても、わかってやるべきだったんだ。
俺と同じかそれ以上に意地っ張りなこいつが弱さを見せるようなことを言いたがらないのは何年もの付き合いで、本人よりも周りの人間の方が分かっていたりする。
それなのに、どうして今回に限って気付いてやれなかったのか。

草の上に寝かせた留三郎は、浅く呼吸を繰り返しながら毒による苦痛を取り払おうと身じろいでいる。
本能による反射なんだろうが、そんなことをして毒の効果が消えるはずもない。
熱に浮かされたように瞳を潤ませながらも、留三郎の体はじわじわと冷えていく。


「この…バカタレ!」

「…こんな…時、でも…それ、かよ…。」

「うるせぇ!もう喋るな、早く学園に戻るぞ!」

「……あっ…。」

もう一度担ごうと留三郎の体を起こした時、何かに気づいたような留三郎の声が聞こえてどうしたんだと顔を覗き込む。
密書、と小さな声が聞こえて、留三郎に持たせていた巻物が、その手に付いた朱で僅かに濡れていることに気づいた。
残念そう、と言うよりも申し訳なさそうに密書を見つめる留三郎に、俺の中の何かが音を立てて断ち切れた気がした。


「どうしてお前はいつもそう無茶ばかりして…!いつもいつも自分の身のことも考えずに、過ぎた行動をするんだ!伊作がどれだけお前のことを心配しているか知ってるのか!?無茶ばかりするお前を、あいつらがどんな思いでこの実習の相手に俺を推したのかわかってるのか!」

「…う、せ…よ…。」

「っ…!」

こんなことをする場合ではないとわかっているのに、怒鳴って乱れた呼吸はなかなか戻らない。
情けなくも自分の心に焦りがあるのを認めたくなくて、その激情を全て力に変える。
背負った留三郎の体を、引き裂いた装束の残りでしっかりと括り付ける。
もんじろう、と呼吸に乗せた掠れた声が耳元で聞こえた。

死ぬな、絶対に死ぬなと強く言い聞かせて、俺は学園へと向かって駆け出した。
不思議と、実習で蓄積していたはずの疲労は全く感じなかった。


【この御時世にそぐわない言葉をお前にかけた。 終】


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