べるぜバブ

□砕けた琥珀の欠片は胸の奥に。
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『隣国との戦争は一時休戦』
そんな報告の為だけに開かれた退屈な会議が終わったあの夜、全てが始まった。


「あー、つまんね。」

戦争がない国にいる軍人ほど退屈で役立たずな職業はないだろう。
今の俺はそう考えたくなるほど暇で退屈で死にそうだった。
新入り兵達が階級兵に訓練を受けてるところなんて見ても何も面白くないし参加するつもりはない。
戦略マニュアルなんかは当の昔に読み飽きて書庫の一番奥にひっそりしまい込まれているだろう。
俺はそれだけ軍人としての階級も実力も兼ね備えている。
ここに来るまでは大分苦労したが、一度大将の座を奪ってしまえば他の大将や総大将、国の言うことを聞くだけで何をしようと自由だ。
今はその自由が、不自由に思えて仕方がない。

片手で弄んでいたナイフをダーツボードに向かって投げつける。
僅かに軌道をずらした銀のナイフは真ん中より少し右に刺さり、俺を苛立たせた。

新人の時からこういう中距離戦法は苦手だった。
どう考えても遠近距離攻撃の組み合わせが一番いいに決まっている。
まぁ聞いた話によれば、隣国には中距離専門の部隊もいるって話だが心底理解できないってのが本音だ。

「姫川さん?どうかしましたか?」

「あ?なんでもねーよ。」

「そう…ですか…。お暇なら外に出てみるといいですよ。今日はいい天気ですから。」

「ふーん…。」

部下が届けにきた書類を適当にさばいて立ち上がる。
いい天気だろうが悪い天気だろうが、最近ずっと基地にいた俺にとって必要だったのは新鮮な空気だった。



基地から少し離れた森は人気が全くないにも関わらず綺麗に整備されていた。
後ろを振り返るとさっきまでいた軍基地がある。
ま、隣国が侵入してきた時の早期発見と言いながら、基地からまる見えだぞっつー隣国への警告なんだろうな。

適当な木陰に腰掛けて、来る前に下ろしていた髪を一つに束ねる。
気に入っていないわけでもないが、元々は威圧感を出すためだけのリーゼントなのでどちらかと言えばこの髪型の方が自然だった。


「…っ!」

ガサガサと音を立てて誰かがこっちに近づいてくる音に、経験が体を動かした。
足音の方向と大きさから位置関係を推測し、右手は慣れたように腰に向かう…が、そこにはいつもの拳銃ホルダーもスタンバトンもない。
部屋に置いてきたままだったかと自分の失態に舌を打つより早く、足音が更に近づいてくる。
仕方なく先程ダーツの矢がわりに使ったナイフを数本取り出していつでも投射できるように構えた。
足音は俺のいる場所を、木を挟んだちょうど向かい側で止まり緊張が走る。

「(一般人か?それとも軍人か?)」

どちらにせよ隣国からやってきたことに間違いはない。
休戦が宣言された日に、条約違反により戦争再開ってのも中々面白そうだ。

息を深く吸って、木陰から一息に飛び出し鋭く尖れた殺人道具を足音の原因に向かい投げつけた。


それは、ほんの一瞬の出来事だった。
俺の投げたナイフがまだ空中に留まっているその僅かな間に、服の内からナイフが取り出され手から離れる。
対立する方向から投げられた殺人道具達はちょうど真ん中の当たりで互いにぶつかり合い軽い音を響かせて草の上に落ちた。

流れるような動き、ナイフの軌道の正確さ、そして飢えた獣のような獰猛は瞳は俺の意識を奪うのに十分で。

強い、と直感的に思った。
普段ならともかくもう俺に武器はない。
今の俺がこいつと本気で渡り合えば確実に負けるだろう。

でも素直にやられてやるわけにはいかないのが俺のポリシーだ。
わざとらしく拍手をしながら近づいてやると面食らったような間抜け面で俺を見るそいつが案外面白かった。

「お前、随分うまいな。もしかしてあそこの人か?」

あそこ、と行って指差したのはもちろん俺の所属する基地で、その言葉で俺が同心だと騙されてくれたらしくいとも簡単に張り詰めていた空気が霧散していった。

「お前もどっかのスパイか?」

「いや、俺は単に通りすがっただけだけど。」

「こんな国境すら曖昧な場所をか。」

「まぁそうだな。」

あくまでも冷静に、飄々と言葉を返す。
気取られないように、下手なことを喋らないように。
訝し気に俺を見ていたそいつは追求する必要もないと思ったのか獰猛な目を閉じて大きく息を吐いた。
再び覗いた鋭い目に心臓がドクリと音を立てる。


「お前、名前は。」

「あぁ?なんでてめぇに教えなきゃならねぇんだよ。」

「名前だけだっつーの。俺はタツヤ。」

「ハジメだ。」

「へー。」

どっかで聞いたことがあるような気がしなくもないが、落ちたナイフを拾い上げて丁寧に返すハジメの目に引き込まれた。
太陽の光で淡く光るその瞳をじっと見ていると、さすがに不信に感じたのかきつく睨まれる。


「あ、その目も中々…」

「何の話だよ。」

「ハジメって綺麗な目してるよな。」

「はぁ?」


機嫌を損ねないほうが良いと分かっていても、心底不愉快そうに細められる瞳をじっと観察してしまう。
短く舌を打って視線を反らされても、俺はハジメを目で追い続けていた。

例えば、苦痛に耐えるときあの瞳はどんな色になるだろう。
例えば、あの悪人面が破顔することがあったならば、あの瞳はどんな風に輝くだろう。

そんなことばかりを考え続けていた俺は、不意に空間を裂いて飛んできたナイフになんの反応も出来なかった。
首筋を風が走ったような気がした。ただそれだけ。
でも、あと数ミリでも右に逸れていれば今頃俺は頸動脈を断ち切られてあの世行きだっただろう。

ぞくりと背筋が粟立つのを感じながら目の前で薄く笑うハジメを睨みつける。

「何しにきたのか知らねぇが…あんな粗末なナイフ裁きじゃ生きていけねぇぞ。タツヤ君?」

「煩ぇ、飛び道具が普及したこの時代にナイフ使う場面がどれだけあるんだよ。」

「そりゃさっきみたいな場面だろ。」

クルクルと手の中で回されるナイフはよく手入れされているのか綺麗な光沢を放っている。
さっきとは比べものにならないほど大きなモーションで投げられたナイフを、先程とは逆に俺が落とす。
俺がナイフに気を取られた一瞬、斜め右下方向から滑るように銀が迫ってきて特有の硬質と温度が首筋に伝わった。


「…お見事。」

「はっ。近距離がどうこう語る前に、効率のいい戦い方でも勉強することだな。」

「…帰るのか?」

「あ?」

ナイフを回収して背を向けた相手に、無意識に声をかけていた。
別に、こいつがいつ帰ろうが俺にはどうでもいいことのはずだ。
寧ろ、今すぐ何も喋れない体にしておいたほうがいいかもしれない。
それでも俺の意思に反して言葉は紡がれる。

「また、会えるか?」

「…さぁな。タツヤ君が近距離戦できるようになったら付き合ってやってもいいぜ。」

「おい、俺と大して年変わらないくせに君とか付けんな。」

「そりゃあタツヤ君が弱いから仕方ねぇだろ。」

「お前いつか絶対潰すからな。」

にやにやと悪人面を歪めて笑うハジメに、覚悟しとけよ、と捨て台詞紛いの言葉を吐き出し睨みつけてみたが、人を苛立たせるあの笑みは変わらなかった。



今思えば、あの時からすでに抗うことのできない絶対的な運命は廻りはじめていたのかもしれない。



休戦宣言から一ヶ月以上経った。
俺は、あの日からずっと部屋に閉じこもってマニュアル本だの軍人養成書だのを片っ端から引っ掻き回している。
いつかあのムカつく笑顔が驚愕に塗りかえられるまで負かしてやる、と一人で意気込むが、元々苦手な戦法がいきなり使いこなせるようになるはずはなく四苦八苦の毎日だ。


「姫川さん、少し休憩しませんか?」

「いい。」

「そう、ですか…。じゃあ、コーヒー入れたのでここに置いておきますね。」

「おい。」

「はい?」

「…いや、なんでもない。」

「?」

お茶を乗せていたトレーを小脇に抱えた男は、言葉を濁した俺に不思議そうに首を傾げたが何も聞かずに部屋を出ていく。
足音が聞こえなくなってから、俺は思い切り机に突っ伏した。
どうやら俺は大分弱っているらしい。

「ハジメ…。」

あの獰猛な目をしたあいつに、また会いたいと思うなんて。
俺は、目の前に置かれていたコーヒーを飲み干して、部屋の近くにいたさっきの部下に紙の散乱する床を片付けておくように言って基地を出た。


明るい自然の光が、人工的な光に慣れた俺の目をチカチカと刺激する。
それでも過ごしやすい気温は俺の瞼を重くさせ、眠気からの脱力感を生み出した。
木陰に移動して戦略をメモ書きしてみるがどうにも眠くてうまくいかない。

考えることを放棄してぼんやりと空を見上げる。
いつかの邂逅と同じように、背後から草を踏み締めて歩く音が聞こえてくる。
その音は、今度は止まることなく一直線に俺の傍までやってきた。

「おい、こんなところで何やってんだ。」

「……眠い。」

「はぁ?」

「…うるさい、寝かせろ…。」

「何なんだよいきなり…。」

訳が分からないという顔をしているハジメの腕を引っ張って無理矢理隣に座らせる。
肩に頭をもたれ掛けるようにして体を固定した途端に、酷い睡魔に襲われた俺の意識は混濁の中に飲み込まれて消えた。


ふ、と何の前触れもなく意識が浮上し、未だ眠気の残る頭を軽く振ってようやくいつもの思考を取り戻す。
視線の先にあった空は真っ赤で、俺の意識が随分長い間落ちていたことを示していた。
今更気づいた肩に感じる重みに自分の右肩を見れば静かに眠っているハジメ。
悪人面は大分老けて見えるが、こうやって見ると本当に俺と大して変わらない年だと分かる顔立ちをしている。
そろそろ基地に戻らないと妙だと思われるが、わざわざ起こすのも面倒で自然に目を覚ますのを待つことにした。

「…ゆるい。」

戦争で対立する者同士のはずなのに、この穏やかな空気はなんなのか。
不可解な状況に首を傾げはするけれど、何より驚いたのはこの空気を心地好く感じている俺自身だった。


 
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