べるぜバブ

□きっとそれは幸せの温もり。
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男鹿の胸倉を掴んで、歯と歯がぶつかりそうな勢いで引き寄せた。
ぶつからないで、唇同士が重なった。
いつもどおり飄々とした態度で俺を見下ろす男鹿にさっきまでの激情が霧散していく。

「男鹿。」

「なんだよ。」

「俺と付き合うの、面倒か?」

掴んでいたシャツを離して問い掛ける。
不思議そうに首を傾げている男鹿は馬鹿だから、俺の言ったことがまだ理解できていないんだろう。

それでも、俺は信じていた。
そんなことないって男鹿が否定してくれると思っていた。

そう、思っていた、のに。

「確かに面倒だな。」

「……っ。」

当たり前のように返された言葉に、全てを忘れた。
ここは俺の部屋だとか、今日は確かゲームをする予定だったとか、昼寝していたはずのベル坊がいつの間にか起きているとか、そんなことは一瞬でどうでもよくなった。
息が苦しい、胸が痛い、何も考えられない。
ベットの端まで来たベル坊がいつものように抱っこをせがんでくるけれど、俺は伸ばされた小さな手から逃げるように身を引いた。
不服の声を上げるベル坊に、俺はちゃんと笑いかけてやれただろうか。

「古市?」

心底不思議そうな男鹿の声を聞いた途端、胸の奥からわけのわからないものが沸き上がってきて、男鹿とベル坊を置いたまま逃げるように家を飛び出した。





男鹿は、喧嘩は無茶苦茶だと思えるぐらい強いくせにこういう恋愛事には疎い。
分かっていたつもりだったけれど後悔した。

想いを伝えたのも俺。
キスをするのも俺。
男鹿からは何もしてこない。
中学生の時と変わらない態度や行動を見ていると、俺だけが男鹿を好きでいるような気がしてくる。
いや、きっとそうなんだろう。
あの時、俺が付き合ってくれなんて言ったから男鹿は頷いたんだ。
好きだとだけ伝えていたら、こんな変な関係にはならなかったのかもしれない。
今思い返せば、男鹿に好きだと言われた記憶もない。

「……ははっ、だっせー…。」

今までのことが全て俺の独りよがりだと分かった瞬間に、抑え切れなかった自嘲が零れる。
家を飛び出したところまではよかったが、よく考えたらどこにも行くあてがない。
中学の時も男鹿とつるんでいたから友達なんて呼べる同級生もいなかった。
家には帰れない。
男鹿はまだ俺の部屋にいるはずだ。
俺が戻ってこないと分かれば、一人でゲームでもして時間になったら帰るだろう。

男鹿のことはたくさん分かっているつもりだったのに、肝心な部分が何一つ分かっていなかったんだなと悲しくなった。

どこに行く目的があるわけでもなくぶらぶらと町内を歩く。
いつだったか、男鹿の喧嘩に巻き込まれた廃ビルが見えて何を考えるでもなく立入禁止のテープの下をくぐり抜けた。
体温を奪っていく冷たい風に肩を竦める。
こんな季節に長袖一枚なんて信じられないけれど、無我夢中で部屋から飛び出してきた俺には風の当たらない場所でうずくまる以外に体温を逃がさないようにするしかなかった。
ひゅーひゅーとビル風が通り抜けていく。
だんだんと傾いていく太陽と一緒に気温も下がり、太陽が無くなった頃には俺の身体は震えが止まらなかった。
それでも、男鹿に会うよりは大分マシだと思えた。


コツコツと、静かだったビルに靴の音が木霊して最後にはコンクリートに吸い込まれていく。
本能的に、やばいと思った。
この場所はよく不良達が集まってくる。
不良に見つかれば確実にアウト。
更に男鹿が過去に殴った奴だったりしたら最悪だ。
一人みたいだけれど仲間を呼ばれちゃどうしようもできない。

瓦礫や割れた窓ガラスが散乱した部屋には隠れる場所は隅に詰まれた箱の陰ぐらいで、俺はそこで息を潜めて、ただただ、そのまま足音が通り過ぎてくれるのを願うことしかできなかった。
ゆっくりと同じペースで刻まれていた足音が部屋の前で止まる。
どくどくと心臓が痛いぐらいに早鐘を打ち、きつく目を閉じて額を両膝につけて息を殺す。
ギィ、と鉄の扉が軋んだ音を立てたころには俺の身体はもう何一つ動かなかった。



怖い。
ただそれだけが頭の中でぐるぐる回って、自分が今息をしているのかさえ分からなかった。



「あれ?誰かと思ったら男鹿ちゃんの連れじゃない。」

「…な、つめ…さん…?」

「あ、名前覚えててくれたんだ?確か、古市君だったよね。」

「はい。」

「こんな寒い日にそんな薄着でいたら風邪ひくよ。」


不良だと思えないような明るい声で話し掛けられて肩から力が抜ける。
どうぞ、なんて近所のコンビニの袋から出されたホットコーヒーを差し出されて、冷えきった心が少し温かくなったような気がした。


「で、男鹿ちゃんと何かあったの?」

「え?」

缶を両手で握ってじわじわと温かくなる指先に息を吐くと、隣に座った夏目さんが世間話でもするように話し掛けてきた。
いや、この人にとっては世間話なんだろうけど。

「…いや、大したことじゃないんですけどね。」

「ふーん。喧嘩でもしたの?」

「あいつと喧嘩したら俺が負けるに決まってるじゃないですか。違いますよ。ただ…」

そう、ただ、俺が勝手に勘違いして、勝手に傷ついただけなんだ。

「馬鹿みたいですよね…。勘違いして、何も分かってない男鹿を騙すみたいなことして男同士で付き合うなんて。」

考えてみれば最初からおかしかったんだ。
男鹿が、俺を好きな可能性が0%だと思ったから玉砕して諦めるつもりで伝えたはずだったんだから。

「でも、やっぱり俺男鹿のこと好きなんですよ。勘違いしちゃうぐらい、あいつのこと好きなんです。」

「男鹿ちゃんとはこれからどうするつもり?」

「流石のあいつもそろそろ気づくと思うので、騙されたって怒鳴られる前にちゃんと別れます。それで、いつもどおり馬鹿騒ぎしようと思います。」

「君はそれでいいの?」

「……はい。今更俺と男鹿の関係がどうなっても、何一つ変わりませんから。これ以上男鹿を騙すのも嫌ですし。」

「ふーん…。

だってさ。」

「え?」

今まで俺と話していた夏目さんが、突然第三者に向かって話しかける。
でも今この部屋には俺と夏目さんしかいなくて、誰か部屋の外にいるのかと錆びた扉に目を向けた。

開きっぱなしだったそこから顔を出したのは、紛れも無い幼なじみで…。


「お、が…?なんで…」

「じゃあね男鹿ちゃん。貸し一つ…って言いたいとこだけど、古市君可愛かったからこれで許してあげる。」

いつから居た?どこから聞いてた?
聞きたいことはいっぱいあったけれど、夏目さんの手が俺の顎を掬い上げて唇ぎりぎりの場所にキスをされると思考が完全に停止する。
夏目さんの向こうで男鹿が殺気だったのが分かったけれど、俺は夏目さんがいなくなるまで固まったままだった。


「古市。」

「あ、え…男鹿?」

「よく聞いとけ。お前と付き合うのは面倒だ。」

「っ…わざわざ、そんなこと言いにきたのかよ…。」

さっきまで和らいでいたはずの痛みがまた酷くなる。
真剣な目が俺を見据えていて、どうしようもなく恐怖を煽った。


「…やめろ。」


嫌だ。


「最後まで聞けよ。」


それ以上聞きたくない。


「…やめろって。」


拒絶の言葉なんて、俺は聞きたくない。


「俺は…。」


俺が聞きたいのは、そんなんじゃない。


「やめろよ!」


耳を塞いで膝に顔を埋めて叫ぶ。
違う。こんな餓鬼みたいなことがしたいわけじゃない。
でも聞きたくない。
拒絶なんてされたら、どうしていいのかわからなくなる。
こんなに男鹿に依存していたのかと思うと、情けなくて悲しくて涙が出てきた。

唇を噛んでも堪えきれなかった嗚咽が隙間から出ていく。
男鹿はどんな気持ちで俺を見ているんだろう。
弱いし、馬鹿だし、愛想なんてとっくに尽かされてるかもしれない。
そう考えると更に嗚咽が酷くなるけれど、どう頑張っても止められなかった。


「古市。」

「っ、…なん、だよっ…。」

「顔上げろよ。」

「い、やだ…。」

「じゃあ無理矢理上げる。」

「っ…!」

俺の顔を挟んだ両手が強制的に方向を変えさせる。
見上げた先には男鹿の顔があって、逃げようともがくヒマもなく唇を塞がれた。

男鹿からのキスはただ触れるだけの軽いものだったけど、じんわりと触れている場所から広がる熱で自分の身体から力が抜けていくのを感じた。

「お…が…?」

「ったく…なんで最後まで聞かねぇんだよ。」

「ごめん…?」

「疑問形かよ。…とにかくっ!今度はちゃんと聞けよ!」

「お、おう…。」


「お前と付き合うのは面倒だけど、別に嫌いじゃねぇよ。」


…え?


「男鹿、それどういう……。」

「そのまんまの意味だ。」

「そのまんまって…分かるか!」

「分かれよ!」

「分かんねぇよ!何なんだよお前…!期待させたり突き放したり。俺と付き合うのが面倒ならもうやめろよ!俺のことなんか好きじゃないんだろ!」

八つ当たりのように怒鳴り付けると男鹿の目が見開かれる。
すっきりしたような、逆にもやもやしたような変な感じだ。

「(でも、これでいいんだ。)」

早く出ていけよ。
そしたら、明日の朝何もなかったみたいに待ち合わせ場所にいるから。
いつもどおり学校に行って、いつもどおり帰って、何も変わらない一日が過ぎていく。

「(それで、いいんだ。)」

何度もそう言い聞かせたけれど、溢れた涙は止まらなかった。


「古市、好きだ。」

「…うそつけ。」

「嘘や勘違いで男を好きになったりしねぇ。俺は、お前が好きだ。」

「…う、そだ…。」

「面倒でもお前といるのは好きだ。だから、泣くなって…。」

珍しく狼狽した男鹿がしゃがみ込んだままの俺を怖いぐらいに優しく抱きしめてくれて、俺はこれが夢なんじゃないかと本気で思った。

でも、冷たいコンクリートも男鹿の熱も、もう一度囁いてくれた言葉も本物で、すごく寒いはずなのに、身体全体が信じられないくらい暖かかった。


【きっとそれは幸せの温もり。 完】


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