【enigme‐エニグマ‐】
□心配性なあの人。
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誰にも起こされずに目が覚めた。
それは俺にとっては凄いことで、でも、少し不思議なことだった。
いつもはタケマルさんが起こしてくれるまで起きられないのに、どうして目が覚めてしまったんだろう。
身体が大きくなってからも俺の寝坊癖は治らなくて、毎朝寝起きでぼんやりしているタケマルさんに起こしてもらうのが楽しみでもあったのに。
ついと視線を枕元の時計に移す。
どうしてか、時計の長い針はいつもよりも二回りほど通り過ぎた場所にあった。
「ん?」
起き上って、閉まっているカーテンを開く。
太陽はいつもより高い場所にあった。
「え?」
窓の外で鳴いている雀から視線を外して振り返る。
俺が寝ていた隣の布団では、いつもと変わらなくタケマルさんが寝ていた。
今日はいつもの会議(?)に行く予定なのに、こんな時間まで寝てていいんだろうか。
今回の会議は夕方からだから、別に昼まで寝ててもいいんだろうけど。
少しだけ違和感を感じて、そっとタケマルさんの布団の隣に座る。
身体を横にして布団に潜り込んでいるタケマルさんの布団が、少し大袈裟に動いているように見えた。
そっと。
間違えても起こさないようにそっと、布団の端を持ち上げていく。
見えたのは、眉間に浅い皺を作って、苦しそうに息を吐き出すタケマルさんだった。
「タ…っ!」
思わず叫びそうになった口を閉じる。
もごもごと言葉を飲み込んでから、もう一度タケマルさんの顔を見た。
ゆっくりと手を伸ばして、いつもより赤い額に触れる。
予想通り、いつもより少し熱いような気がした。
こんなことは初めてで、何をどうしていいのかわからない。
情けなくおたおたとタケマルさんを見ていることしかできない俺に気づいたのか、うっすらとタケマルさんが目を開いた。
「タケ…」
「……っ、げほっ、」
「タケマルさん…!」
何かを話そうとして開かれた唇から、げほげほと息の塊だけが吐き出された。
背筋が冷たくなる。
心配で心配で仕方なくて、思わず布団に飛びつくと、いつも通り優しい目が俺を見た。
「タケマルさん…俺、何すればいい?」
「……」
変わらない目に少しほっとはしたけれど、結局何をすればいいの分からない。
ぐすぐすと鼻を啜って起き上ると、また小さく息の塊を吐き出したタケマルさんが小さく口を動かした。
「…―…」
「わかった!」
ぼそっと呟かれた一言を、半分動物の俺が聞き逃すはずもなくて急いで部屋を出ていく。
コップに入れた水を持って部屋に戻ったとき、タケマルさんはじっと目を閉じていた。
少し揺らしても、辛いのかうっすらと目を開くだけだ。
また、背中が冷たくなった。
「タケマルさん…」
「…」
「……水…」
「…おいとけ…」
やっと聞こえる声でタケマルさんが声を吐き出して、言われた通り枕元にコップを置こうとした腕が震えていることに気づいた。
堪えたはずの涙が今度こそ零れてきて、ぼたぼたとタケマルさんの布団に落ちていく。
何度拭っても止まらない涙に気づかれないように後ろを向いてみたけど、やっぱり無駄だったみたいだ。
「…うっ…ひっ…」
「……何泣いてんだ…」
「だって…っ」
掠れた声と一緒に手が伸びてきて、俺の髪を軽く梳いていく。
がしがしと、いつも通り少し乱暴に撫でる掌が心地よかった。
でも、普段より体温の高い掌はさっきみたいに俺を安心させてくれなかった。
苦しそうに息を吐きながら起き上ったタケマルさんが、俺の首根っこを掴んで立ち上がった。
そのまま部屋の外に放り出されて廊下に思い切り腕をぶつけてしまう。
いつもならちゃんと着地できるけど、不意打ちだったから…なんて心の中で何かに言い訳をしてしまった。
「いっ…」
「……入ってくるんじゃねぇぞ」
「え」
ぱたんという軽い音で振り返ると、とっくに部屋の扉は閉まっていた。
「……タケマルさぁぁぁぁん!!」
「うるせぇ」
げほげほと咳き込む音が聞こえて扉を開けようとするけど、鍵をかけられてしまったのかがたがたと扉が揺れるだけで開く気配がない。
「………んにゃー!」
「…」
ついに部屋の中からの反応もなくなった。
家の中をうろうろと歩き回って、何ができるかと考えてみるけれど結局何の案も出てこないまま時間が過ぎる。
気づくと、時計の短針はてっぺんを少し回っていた。
電話が鳴る。
動く気にはなれなくて、でも電話は鳴り続けていて、これ以上鳴らしているとタケマルさんが起きてしまいそうで仕方なくダイニングに入る。
「…もしもし、すどーです…」
『もしもし。祀木だが…その声はモト君か?』
「ん…」
『いつもなら早めに来ているのに、今日は来ていないからみんな不思議がっている。何かあったのか?』
「……が…」
『ん?すまない、よく聞こえなかった。もう一回言ってくれないか』
もう一回、大きく息を吸って、でも、布団の中で寝ているタケマルさんには聞こえないように。
俺は叫んだ。
「タケマルさんがぁ…!!」
声と一緒に、すでにいっぱいにまで溜まっていた涙が零れてしまう。
ぐすぐすと鼻を啜る俺に、珍しく慌てた声を出した祀木の後ろから、クリスの声が聞こえた。
『モトくん?』
「クリスっ…」
『どうしたの?ゆっくりでいいから言ってごらん』
俺とスミオが喧嘩すると、いつも優しく宥めてくれるクリスの声は今日も優しくて、いくら説明しようとしても泣き声しかでなかった。
不安だった。
初めてあんなタケマルさんを見てしまったから、次に何が起こるのか不安で仕方なかった。
タケマルさんがいないと、俺は何もできないから。
タケマルさんがいなくなったら、どうしようってことしか考えていなかった。
しばらく電話を持ったまま泣き続けて、慌てて泣き声を止めるとクリスが小さく笑う声が聞こえた。
見っとも無く大泣きしてしまって、恥ずかしさで顔が熱くなってくる。
「ご、ごめん」
『大丈夫だよ』
それで?と言って続きを促してくれるクリスに、タケマルさんの調子が悪いことを伝えるとしばらく考え込んだ後で、薬、と一言だけ言葉を漏らした。
「へ?」
『多分、軽い風邪だと思うよ。温かくして、よく寝て、あと市販の薬でも飲めばすぐに治るから』
「本当?」
『うん』
「本当に本当?」
『うん』
「…タケマルさん、死なない?」
『大丈夫だよ』
風邪っていうものがなんなのかよくわからないけれど、クリスが大丈夫って言うなら大丈夫なんだろう。
そのあと祀木にも話を聞いて、風邪がうつらないようにあまりべたべたするなと言われた。
なんか、俺はまだ体がしっかりできていないから、風邪をひくとすごく大変なことになるらしい。
≪……入ってくるんじゃねぇぞ≫
「………んー」
電話を切って、少しだけ考える。
俺の身体のことを考えてくれたのかもと思うとすごく嬉しいけど、もうちょっと何か言ってくれても良かったんじゃないかと思う。
それから、クリスの言葉を思い出した。
「………くすり…」
しはんって言っていたから、どこかに行けば売ってるんだろう。
ダイニングの椅子に掛けっぱなしだったコートを羽織る。
右のポケットに手を突っ込むと、この間アルにもらった落ち着いた色の財布を取り出す。
何も使うものがないからもらうこともなかったけど、この間もらったお年玉がそっくりそのまま入っているはずだ。
これだけあれば大丈夫だろうと考えながら、足音を殺してそっと廊下にでる。
タケマルさんが寝ている部屋の扉に耳を付けて、電話をする前と同じくなんの音も聞こえないことを確認してゆっくりと玄関に向かった。
「………いってき、まーす」
癖で外出の時用の挨拶をしてしまったけれど、本当に小さな声だったからすぐに消えてしまった。
靴を履いて、ドアノブに手をかけた時、廊下の向こうですごい音がした。
ドーンと何かが落ちる音と、ガツンと何かがぶつかる音が連続で聞こえて、急に静かになった様な気がした。
「…タケマルさんっ!」
反射的に靴を脱いで廊下を駆けだす。
部屋のカギは開いていて、部屋に入ろうとすると床に倒れているタケマルさんが目の前にいた。
結構な勢いで飛び込んだせいで勢いが殺せない。
慌てて飛び越えて、身体を反転させてタケマルさんに駆け寄ろうとした。
その前に、タケマルさんの手が伸びてきてコートの端をしっかり握られてしまったけれど。
「…ごほっ……どこ行こうとしてやがった…」
「……くすり…買いに…」
げほげほと断続的に苦しそうな息をしているタケマルさんの目と口調がいつになく怖い。
何か悪いことをしただろうか。
何か、気に食わないことをしてしまったんだろうか。
へちょりと萎れてしまっているだろう自分の耳を想像しながら、その場に座ろうとするタケマルさんを手伝った。
「……タケマルさ…」
「げほっ……どこにも、いくな」
「…なんで…?」
「…こんな体じゃ、お前が泣いてても迎えにいってやれねぇだろうが」
「へ…」
「いいから、家でじっとしてろ」
不自然に視線を逸らしたタケマルさんの顔が、風邪以外のせいで赤くなっているように見えた。
「げほっ…すぐに治るから、適当に遊んでろ」
俺の目の届く範囲で。
苦しそうなのに、そう付け足したタケマルさんの顔は心配そうで、俺はきっと何も悪いことをしてないはずなのに申し訳ない気持ちになった。
「…うん」
あの時も、この間だってタケマルさんは俺を探しに来てくれた。
もしかしたら、タケマルさんはあの時俺と同じ気持ちだったのかもしれない。
心配で、何をすればいいのかよくわからなくて、不安で。
そう考えると、少しだけ胸が熱くなった。
「(もう迷子になんてならないけど)」
【心配性なあの人。 終】
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