【enigme‐エニグマ‐】

□全部俺のもの。
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今日は土曜日。
いつもと何も変わらない、普通の日。
いつもと違ったのは昨日だった。
………ジロウの馬鹿。

「………」

「うー…」

「………」

「んー…」

こっちを見てほしくてちょいちょいとタケマルさんの服の裾を引っ張っているけど、タケマルさんはジロウが持ってきた本に夢中だ。
平仮名しか読めない俺は本が読めない。
そんな俺のためにジロウは絵本を何冊か持ってきてくれたけど、もともとじっとしてるのは好きじゃないから一回読むともう一回読む気にはなれなかった。
だからいつも通りタケマルさんに構って貰おうと思ってたんだけど、タケマルさんはまだ全部の本を読んでないみたいで呼びかけても微動だにしない。
確かに俺の絵本なんかとは比べ物にならないぐらい分厚いし文字が小さいし読むのに時間はかかるだろうけど、昨日の晩からずっと読んでてなんで疲れないんだろう。
寝る前だって枕元の電気をつけたまま本を読んでいて、いつも通りタケマルさんが眠った後で布団に潜り込もうと待ち構えていた俺が待ちきれずに寝てしまうぐらいは遅くまで起きていた。
いや、もしかしたら寝てなかったのかもしれない。
最後に見た姿と朝起きた時に見た姿は殆ど一緒で、持っている本が違うだけだった。

朝ご飯のときだって上の空で、お昼ご飯なんて作っただけで一口も食べられずにまだテーブルの上に放置されている。
タケマルさんがこんなに読書家だと思わなかった、なんて言ったら嘘になるけど、今までこんなに集中して本を読んでる姿なんて見たことがなかったからいつものタケマルさんなのか疑いたくなってくる。
後ろに立って本の中身を覗き込むけど、難しい字ばっかりで殆どわからない。
更に言えば数式やわけのわからない図式なんかもいっぱいあって、見ているだけで頭が痛くなってくる。
タケマルさんのことだから、こんな難しい本でも全部ちゃんと理解するまでは何度も読み返すんだろうなとどこかで確信していた。

「………うー…」

本棚に並んでいるホントは全然違う種類の本だけど、なんの本なんだろうか。
ジロウが持ってきたからもしかしたら病院に関しての専門書なのかと思ったけど、それにしても何かが違う気がした。

とにもかくにも、ほぼ一日置き去りにされた俺はかなりご立腹な訳だ。
スミオやアルのところに遊びに行こうかとも思ったけどもう少しで買い物の時間だということに気づいてコートを羽織ろうとしていた手を降ろした。
もう一度だけタケマルさんの背中を軽く叩く。
やっぱり何の反応もないのを見て、俺は隣の部屋に移動した。

きっと、いつもみたいに呆れたような優しい顔で起こしてくれるはずだと思いながら。



そして俺は暗い部屋の中で目を覚ました。
布団を引かずに直接床の上で寝たから体のあちこちが痛い。
キッチン入るとタケマルさんがまだ椅子に座って本を読んでいて、寝ぼけて霞んでいる視界が更にぐずぐすになった。

「………たけまるさん…」

「………」

どれだけ寝ていたのか、いつの間にかもう夜中近い時間になっていた。
昨日、俺もタケマルさんにつられて夜遅くまで起きていたから昼寝のつもりが随分長い間寝てしまっていたらしい。
もうなりふりなんて構ってられなくて、タケマルさんの手を独占している分厚い本を取り上げて遠くに放り投げた。
怪訝そうな顔をしたタケマルさんの腕の中に有無を言わせず飛び込んで、一生離れるもんかと背中に回した掌を服を巻き込んでしっかりと握った。

「…おい…」

「ひぐっ……うぅ……」

「……何泣いてんだ」

「…ってぇ…」

「………」

嗚咽に気づいたタケマルさんの掌が頭を撫でてくれる。
しがみついたまま視線を横にやると投げ捨てられた本がぽつんと床に転がっていた。
ざまぁみろ。
俺はこの手が大好きなんだ。
それが誰だって、どんなものだって、絶対にあげない。
暖かい掌がちょうど良い力加減でゆっくりと俺の後頭部で上下に動く。

「…ってか、今何時だ…?」

「夜」

「……それぐらいわかる」

「タケマルさんが本読み始めてから、丸一日経ってる」

「……何怒ってんだ?」

「べっつにー」

自分でも珍しいと思う。
こんなに腹が立ったのなんて久しぶりだ。
前はなんだったっけ。
そんなことも思い出せないくらいだから、大した怒りでもなかった気がする。

「…飯、食ったのか?」

「………食べた」

「嘘つけ。…ここ、跡ついてんぞ」

指差されたのは俺の頬で、もしかしたら寝た時の跡でもついてたのかもしれない。
目の前のテーブルに昼ごはんが手を付けられていない状態で置かれているし、俺が料理なんてできるはずもないからウソなんてすぐにばれてしまった。
立ち上がろうとしたのか、首根っこを掴んで引き剥がされそうになったから更に力を込めてしがみつく。

「……おい」

「………」

「腹減ってねぇのか」

「…いらない…」

「はぁ…」

首根っこを掴んでいた手が離れていく。
呆れられたかなとぼんやりと考えた。
咄嗟に本を投げ捨ててしまったけど、もしかしたら本当は凄く大事な本だったのかもしれない。
ジロウもとても大切そうに持ってきていたし、とんでもないことをやらかしてしまったのかもしれないという考えに行きつくと止まったはずの涙がまた溢れそうになった。

「うっ…」

「…まだ泣くのか?」

「な、泣かないっ!」

「あーそうかよ。寝るか?」

「え…うん」

「なら先に準備してろ、すぐ行く」

「でも…あ、や、なんでも…ない…」

今度こそ怒られそうな気がしたからタケマルさんの膝から降りて、布団を敷きにいった。
寝れる気はしないけど寝なきゃだめだ。
夜に家の中でごそごそしていると、気配に敏感なタケマルさんはすぐに目を覚ましてしまうから、いつも一緒に起きて一緒に寝ることにしている。
一度起こしてしまうのが悪くて眠れないのを我慢して布団にもぐっていたら、いつの間に起きたのかタケマルさんに布団を剥がれて早く寝ろと布団に引きずりこまれたことがある。
結局、タケマルさんには全部お見通しなんだ。
今日はなんとか寝ないと、ただでさえ寝不足のタケマルさんに迷惑をかけてしまう。
少しでも早く寝れるようにと布団にもぐりこんで目を閉じていると、扉が開く音がしてタケマルさんが部屋に入ってきた。

「…もう寝たのか?」

「………まだ」

「……今日は悪かったな。明日はもうちょっと構ってやるから」

「…ほんと?」

「ああ」

「……」

「どうした?」

「な、なんでもないっ。おやすみなさい!」

「?おう」


「何の本読んでたの?」とは聞けなかったけど、明日構ってくれるって言ってくれただけで俺はもう満足だった。
明日は何をしようかなと考えながら目を閉じると、散々寝たはずなのにすぐに瞼が落ちてくる。
大きな暖かい掌が髪を緩く撫でてくれる感覚を感じながら、俺は夢の世界に堕ちていった。



【全部俺のもの。 終】



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