【enigme‐エニグマ‐】

□もう一人の俺が泣いてる。
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熱い、痛い、苦しい。
目の奥が熱くなるような、頭の中がぐちゃぐちゃになるような、心臓が握りつぶされるような気持ち悪さで目が覚めた。
まだ暗い部屋の中はやけに静かで、痛みで考えの纏まらない頭の中でも今が真夜中だっていうことぐらいは分かった。
左目の奥が焼けたみたいに熱くなってくる。

「………っ…!」

叫びそうになる口を必死で押さえて漏れそうになる声を抑えていたけれど、それでも煩かったのかたけまるさんが体を動かした。
慌てて布団から抜け出して隣の部屋に逃げ込む。
机の下に蹲って痛みが治まるのを待っていたけれどなかなか治らない。
早く布団に戻らないとたけまるさんが起きてしまう。
水で冷やしてみようかと椅子を移動させてシンクに顔を出した。

「……え……?」

銀色に鈍く光を反射するシンクに、真っ赤に光る何かがあった。
それが俺自身の目だということに気づくのに時間はかからなくて、さっきとは違う理由で叫びそうになる口をまた押えた。
体全体が浮かぶような妙な浮遊感があって、手足の感覚がおかしくなる。
耳鳴りが煩い。
最後は、頭に響く高い音と、銀色に映る赤しかわからなくなっていた。



ふわふわと体が宙に浮いているような変な感覚。
目を開けるとそこは真っ暗な闇の中で、俺はそこで一人立っていた。
状況は分からないがとりあえずたけまるさんのところに帰ろうと歩き出そうとしたけれど、目の前で何かが動いたような気がして無意識に息を殺し数歩下がった。
そんな俺を追いかけるように真っ暗な中から手が伸びてきて、俺の顔を掴んだ。

「!?」

『ギャハハハハハハハハハ!!!』

高く響く笑い声が暗闇に反響して溶けていく。
目の前にいるはずのそいつの顔が、黒い影に隠されて見えない。

『お前は捨てられる。』

「え…?」

『お前みたいなやつが今まで生きてこれた方がオカシイんだ。いくらあの人が受け入れてくれたって、いつか捨てられる。』

「たけまるさんは…!」

『そんなことしないって言いたい?そんなことあるのが人間だ。人間なんて強欲で、自分勝手で、俺たちのことなんてただのペットだとしか思ってない。』

「……っ。」

『言い返せないだろ?お前だって、何度も痛い目にあってきたはずだ。石を投げられたり、一日中おいかけられたり、捕まえられそうになったこともあるんじゃないのか?』

ぼんやりと浮かび上がってくる過去の出来事。
思い出したくもないそれを頭を振ることで何とか思考から追い出して、目の前のそいつを睨み付けた。

『お前は捨てられる。』

「うるさい!」

『あの人だって、きっとお前のことなんてなんとも思ってない。ただ可哀想だから拾っただけ。それだけだ。』

「……〜!!」

相手の言葉で頭に血が上っていく。

別にたけまるさんに捨てられたって構わない。
寂しくないわけがない。
悲しくないわけがない。
でも、それでたけまるさんがいいなら、それでいいんだ。


『いつ捨てられるんだろうなぁ?

明日かな。

それとも三年後かな。

もしかしたら、もう捨てられてるかもしれないな。』


不快な笑い声が耳に纏わりつくように反響し続ける。


勝手なことばかり言うそいつに全身の毛が逆立っていくのが分かる。
普段は隠している爪が伸びて、躊躇うこともなくその手はあいつの顔に向かった。
じわじわと顔にかかっていた影が消えていく。
伸ばした手は、そいつに届く前にまた降ろされた。

影の消えたそいつの顔は、俺とそっくりだった。
口も、鼻も、顔の形も、髪型まで俺と同じ。
でも、俺とは違うその真っ赤な目が、悪意に満ちた目で俺を見ていた。

『お前のせいで。』

そんなことを言われたような気がする。
左目が焼けるように痛くなって、目の前が真っ赤に染まっていった。

『…お前ばっかり、ずるい。』

最後に見たそいつの顔は、傷ついたような悲しい顔をしていた。
赤と黒の目が暗闇の中で鈍い光を放つ。
寂しそうなその手を取ろうと伸ばした手は、届くこともなく俺の体は闇に落ちて行った。

もう、何もわからない。



気づいた時にはどこか知らない山の中にいて、隣には心配そうに頭を撫でてくるアルがいた。
いや、もしかしたら似てるだけかもしれない。
包帯を巻いているけれど、ひぃちゃんぐらいの大きさになっている。
でも、この暖かい掌はアルだった。

「……?」

「モトくん、大丈夫?」

「だいじょ、ぶ…。」

「うん、うん。大丈夫だよ。今スミくんが水汲みにいってくれてるから。」

「ん…。」

どうしてアルは泣きそうな顔をしてるんだろう。
分からない。
ただ、冷たいものが当てられてる左目がすごく熱い。
頭の中まで熱くなって全体的に見えているものがぼんやりしている。
ぼやけるアルを見ていると、上の方からスミオが顔を出した。
スミオも大きくなってる気がするけど今はそんなこと考えられない。
すっと冷たい布が退けられたかと思うと、すぐにまた同じものが当てられる。
よく見ると、スミオも泣きそうな顔をしていた。

「…スミ、オ…?」

「ど、どうしたのだ?目が痛いのか?大丈夫だぞ、今クリスが、治す方法を…っ。」

「…目…?」

何の話か分からずに聞き返すと、スミオがばっと口を押さえる。
アルも明らかに困ったような顔をしていて、何か大変なことが起きているのは分かった。
それを聞く前にアルの手がまた頭を撫でる。

あれは夢だったのかもしれない。
でも、左目の熱さが夢だとは思えなかった。

怪我をしたわけじゃないみたいで体は普通に動く。
水を汲んできたってことは近くに川があるんだろう。
立ち上がって歩き出した俺の手を、スミオが掴む。
ダメだという声を無視して、少し離れた場所に会った川に向かった。

「………。」

水の流れる音を聞きながら見上げた空は真っ赤だった。
見下ろすと、真っ赤に染まった水面の中に、更に赤い光がぽつんと浮かんでいる。

俺の目だ。

「…っ…!」

『お前は捨てられる。』

夢が夢じゃなかったことを思い知らされる。
そうだ、俺の左目は…。

伸びてくる長い爪が、左の目を抉りだす。
あいつの手の中には、二つの目があった。
真っ赤に染まった手が、また伸びてくる。
その中には、真っ赤な目。

俺の左目は開いているはずなのに、何の映像も映し出さない。
その暗闇の中に泣きそうなあいつの顔が浮かんだような気がして、どうしてか俺も悲しくなった。

「…モト…。」

「そろそろ、家に帰ろうか。」

「……やだ。」

「モト君、目はあとでどうにでもなるよ。今は早く戻らないと…みんな心配してる。」

「……。」

もしかしたら、夢の中のあいつはこのことを言っていたのかもしれない。
電話をしているクリスの隣で、ただぼんやりと水面を見下ろしていた。



アルの部屋に行くと、今からみんなが迎えに来るとクリスが言った。
この目を見てたけまるさんはどう思うんだろうか。
何も思わないかもしれないし、気持ち悪いと思うかもしれない。
毛布を頭からかぶって隠れようとする俺の顔をクリスが覗き込んでくる。
心配そうな顔だ。
その向こうでは、アルとスミオも泣きそうな顔をしている。
大丈夫、なんて強いことは言えないけど、少しだけ気分が楽になった気がした。

そして今、タケマルさんは俺の目を見て驚いた様に固まっていた。
何か言われるんだろうかと毛布を剥ぎ取られ手持無沙汰の腕で頭を庇うように縮こまった。

「はぁ…。」

「!!」

『お前は捨てられる。』

ぐるぐると頭の中で夢の中の出来事が回る。
思わず逃げ出そうとした瞬間、当然の様に首根っこを掴まれて持ち上げられた。
目が覚めた時にはすでに俺はなぜか大きくなっていて、その分だけ体重も増えたと思うのにやっぱり簡単に足が地面から離れる。

「何処行ってやがった。」

「え?あ…えっと…。」

「……もういい。」

呆れた様な言葉と共に地面が帰ってきた。

目の前が真っ暗になる様な失望感。
同じぐらい暗い目の奥で、ケタケタと楽しそうに笑うあいつの顔が見えた気がした。

「帰るぞ。」

でも、聞こえたのは予想がすぎる言葉で。
え、と思わず声を漏らしながら顔を上げるといつかと同じようにタケマルさんのコートが降ってきた。
顔を出して前を見ると、もうタケマルさんは部屋を出るところだった。

「よかったなモト!」

「お、おう。」

またなー!と元気に手を振るスミオに手を振り返して部屋を出た。
タケマルさんのコートを引きずらないように気を付けながら家まで帰る。
普段通りのタケマルさんにそっと胸をなでおろしたのと同時に、左目がずきんと疼いた。


【もう一人の俺が泣いてる。 終】


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