【enigme‐エニグマ‐】
□不可解な感情。
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朝、目が覚めると隣に猫がいなかった。
ちゃんと自分の布団で寝ていると思っても、次に起きると俺の布団で寝ている猫が今日はいない。
不思議に思ったが特に問題があるわけでもない(むしろ昨日までが異常だった)ので、そろそろ起きろ、と声をかけつつ隣の布団を剥ぎ取ろうと手を伸ばした。
「……あ?」
だがそこに猫の姿は無くて、先に起きたのかと隣の部屋を覗いてもあの黒い耳と尻尾は見えなかった。
どこかに出かけたとも思えないしそんなことは一言も言っていなかったはずだが、何か用事でもあるんだろうととりあえず放っておく。
電話が掛かってきたのは、俺がコーヒーを飲み始めた頃だった。
『モト君はいるかっ!?』
「……切るぞ。」
『切るな!緊急事態だ!』
電話口で騒ぐ祀木をあしらいながら適当にチャンネルを変えたテレビを眺める。
別に興味もない話題だっただけに、すぐに電源を落とした。
「で、あの猫がどうしたって?」
『……ちなみに聞くが…今、モト君はそこにいるのか?』
「いねーよ。」
『何だと!?』
キーンと耳の鼓膜が細かく振動する。
更に騒ぎ始めた祀木が大人しくなるまで電話を耳から離してテーブルの上に置いておく。
どれだけ騒いでいたのかはわからないが、気づいた時には電話は静かになっていた。
「緊急事態ってなんだ。」
『………あ、あぁ…いや…。』
「早く言え、切るぞ。」
『……クリスが…行方不明になったんだ…。』
「お前のとこの犬がか?」
金髪の獣人をふと思い出す。
確かあの猫が、兄貴みたいだと慕っていたような気がしなくもない。
猫が犬を慕うなんてどんな世の中だ。
『そうだ…。…そして、言いにくいんだが……スミオ君、アル君も、同じように姿が見えないらしいんだ。』
「…は?」
『もしかしたらモト君も…。』
不自然に言葉を切る祀木を放って隣の部屋に戻る。
いつも着ていろと渡したコートは枕元にたたまれたまま置かれている。
それを片手に持って玄関に行くと、いつも履いている靴は綺麗に並べられて置かれたままだった。
「……。」
『とりあえず、靴やいつも身に着けているものがあるか確認してくれ。』
「…したぜ。靴もコートも家にあった。」
『!……そうか。仕方ない。全員が一斉に靴も履かずに、ましてや耳や尻尾を隠さずに外に出るなんて初めてのことだ。一度九条院さんの家に集まろう。』
確かに、普段からあれだけ言い聞かせているだけあって自分からこんなことをするとは考えにくい。
俺のところの猫は常にコートを着ているし、スミオとか言う犬はいつも野球帽をかぶっていたはずだ。
こいつのところの餓鬼にだって大分言い聞かせているはずだ。
だからこそ心配なのか、祀木が電話越しに落ち着きなく思考を巡らせているのがわかった。
すぐ行く。とだけ伝えて電話を切る。
家を出ようとした時、安物の鈴の鳴が聞こえたような気がして振り向いた。
当然の様に、そこには猫はいなかった。
「…どこ行きやがったんだあの野郎…。」
「……結局、全員いなくなってしまったということか…。」
「…そうですね。」
「アル…。」
「原因はわからねぇのか。」
「あぁ…。いろいろな文献を調べてみたんだが…新種の生き物だからな…。」
「アルは一人で動けるような体じゃないのよ…。」
そわそわと隣の部屋を気にする九条院の隣では、来宮が今にも部屋を飛び出しそうな切羽詰まった顔で座っている。
そのまま誰も話さないままで5分が過ぎた。
我慢できないと立ち上がった来宮と九条院が扉に駆けだす。
「私、探してきます!」
「今ばらばらになると情報がっ…。」
「携帯に連絡して頂戴!」
「別にいいだろ。探さなきゃ何にも始まらねぇ。」
部屋を飛び出していった二人を見送った祀木も、大分迷っていた最後には同じように部屋を飛び出て行った。
俺もそのあとについて部屋を出る。
とりあえず、見つけたら全員一発ずつ殴ってやろうと思う。
【○×公園にはいないわ
□×公園はどう?】
【いないな】
【空地にもいなかったぞ】
【商店街の方も一通り探してみました!】
【後あの子たちの行きそうなところに心当たりは?】
【近くの山に、遊びに行くって言ってた時もありました】
【分かった
僕と崇藤で探してこよう】
【今神社だ
ここにもいねぇ】
【二人は合流して町の中を探していてくれ
崇藤は一度山のふもとに集合だ】
【ああ】
【わかりました】
【わかったわ】
携帯を片手に持ったままで町中を走り回ったが、夕方になっても猫どころか一匹も見つけられなかった。
一度公園に集合した頃には、全員が息を切らせたまま気持ちの悪いぐらい白い顔をしていた。
「アル…あんな体でどこにいってしまったの…?」
「怪我してないかな…。」
「どこに行ってしまったんだ…。」
「………。」
「……仕方ない。今日は一旦家に戻って明日もう一度…。」
流石に疲れたのかふらふらしている祀木の言葉を遮ったのはそいつが持ったままの携帯電話で、着信相手を確認した祀木が慌てて携帯を開く。
何か情報でも掴んだのかと期待する女二人がじっと見つめるなか、電話の相手は予想外の奴だった。
「クリスっ…クリスか!?」
「クリスくん!?」
「携帯なんてもってやがったのか…。」
「ねぇクリス君!アルはそこにいるの!?」
「ちょ、ちょっと落ち着いてくれ。……それで、今どこにいるんだ?他のみんなはどうした?」
普通の問答さえも煩わしいのかそれだけ切羽詰まっているのか、簡潔に一番大事なことしか聞かなかったおかげですぐに電話は切られた。
「………全員、アル君の部屋にいる…らしい。」
「え?」
「どうして…ちゃんと探したはずよ…。」
「早く行こう。理由を聞くのはそのあとでもいい。」
一応そう仕切ってはいても困惑を隠せないらしい。
携帯をしまった祀木自身も何を最優先にすればいいのかわからないのか落ち着かない様子であたりを見回していた。
確かに九条院が部屋を探してないとは考えにくいが、それでも隅から隅まで見ることはないだろう。
そう考えてはいても、やっぱりあいつが人一人隠れそうな場所を見逃すとは思えなかった。
部屋に戻った俺達を待っていたのは電話での会話通り探していた犬や猫たちだった。
だがその姿が明らかにおかしい。
この間までは1mほどだったはずの来宮のところの犬が、高校生と変わらないほどの背丈になっている。
多少の差はあるが全員が同じように成長している。
「……。」
「す…スミオ?」
「アルなの…?」
「クリス…?」
部屋に入って唖然とする奴らを無視して、あいつらはいつも通り話しかけてくる。
来宮に飛びつく餓鬼や、何事もなかったかのようにベッドで寝ている餓鬼。
部屋の隅ではもぞもぞと僅かに動く毛布の塊に寄り添って苦笑している金髪の餓鬼がいた。
餓鬼と呼べねぇような見た目の奴が一人いやがるが、今はそれよりそいつの隣にある毛布の塊が気になった。
「おい。」
「あはは…。ちょっと、ね。」
「あっち行ってろ。」
そろそろと毛布から離れた餓鬼が祀木と話し始めた。
他の奴らもお互いの会話に夢中でこっちなんか気にしてもいない。
それを確認してから毛布の端を掴んで引っ張り上げた。
「うわっ!?」
「……。」
コロン、という効果音がつきそうな具合で毛布から出てきたのは予想通りあの黒猫で、例外はなく他の餓鬼と同じように成長している。
昨日までの猫がそのまま大きくなったような風体だが、違うのはその左目だった。
しっかりと確認する前に手で隠されたが、その奥には明るい赤に染まった瞳があるんだろう。
体は大きくなっても中身が変わったわけじゃないらしい。
泣きそうな右目で俺を見上げる猫に、気づかないうちに大きく息を吐き出していた。
「!!」
大きく体を揺らした猫の首根っこを掴んで持ち上げる。
多少は重くなったみたいだがそれでも軽い。
「何処行ってやがった。」
「え?あ…えっと…。」
「……もういい。帰るぞ。」
え、と短く声を漏らした猫に脱いだコートをかける。
一応祀木にだけ声をかけて部屋を出ると、微かに鈴の音が聞こえて後ろを見やる。
コートに腕を通しながら小走りでついてくる黒猫がいるのを確認して、どこか心が落ち着きを取り戻すのを感じていた。
【不可解な感情。 終】
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