【enigme‐エニグマ‐】
□それでもやっぱりこれは恋だった。
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そろそろバレンタインだな、と、スミオがやけに浮かれた様子で校門を出た俺に話しかけてきた。
e-testが終わってから数か月が経っている。
全く面識がなかったスミオともよく喋るようになって、廊下をすれ違った会長達も声をかけてくれるようになった。
別に孤立していたわけでもないけど、たまに話す程度で友達とは言えないような友達ばっかりだったから、ここだけはe-testに感謝してもいいかもしれない。
いや、やっぱり感謝はできないかな、と一人考えている間でもスミオはバレンタインデーが待ち遠しいようで話が途切れる様子がない。
スミオみたいに女子と仲がいいわけでもなく、モテるわけでもなく、所謂義理チョコ止まりの俺にはあんまり興味の湧かない話だったけど、楽しそうに話すスミオを見ているとそんなイベントでも楽しみになってくる。
「そういえば、今年は逆チョコというものがあることを知っているか?」
「逆チョコ?」
「女が男に渡すのではなく、男が女に、女が女に渡すのだ!」
「なんだそれ…結局友チョコってやつだろ?」
「でも逆チョコは男が男に渡しても問題ないのだ。感謝の気持ちを表すそうだからな!」
「もうすでに逆でもないし。」
「む!確かに!」
はっ!とようやく気付いた様に深刻そうな顔をするスミオに笑いが込み上げてくる。
聡いくせに天然なのか妙に鈍いところもある。
e-testでは、そんなスミオに随分助けられた。
本当に逆チョコなんてものがあるならお世話になったみんなに渡してもいいかもしれない。
そんなことを考えていた時、不意にスミオが悪餓鬼のような顔をして俺の腕を肘で続いた。
「お前は崇藤さんにはあげないのか?」
「はぁ!?」
「なんだ、やらんのか。」
「なんで俺があげるんだよ!」
「いや、だからな、逆チョコという話題を振ってモトが崇藤さんにチョコレートを渡しやすいようにだな…。」
「わざわざ説明しなくてもいいよ!」
一応言っておくけれど、俺とあの人はそんな関係になったことはない。
e-testの間も何度もお世話になったけれど結局はそれだけだ。
学校にもあまり来てないみたいだし、e-testが終わってからは一度もあったことはない。
きっとあの人もそんなつもりは全くないだろう。
少なくとも俺はそう思ってる。
「そうか…残念なのだ。」
「なんで残念なんだよ…。」
「さぞや崇藤さんもがっかりするだろうなと思ってな。」
「するわけないだろ。」
「む、そんなことはないぞ。」
ぎゃーぎゃーと騒がしいスミオの言葉をなるべく聞かないようにしてひたすら駅に向かって歩く。
その途中で、経った数日で見慣れてしまったコートが閃くのが見えて思わず足を止めてしまった。
「……。」
「ん?どうしたのだ?」
「いや…。」
「おぉ、噂をすれば崇藤さんではないか。ほらモトっ!話しかけてくるのだ!」
「なんでだよっ!」
力いっぱい俺の背中を押して無理矢理歩かせようとするスミオと言い合っているうちに、崇藤さんはイベント直前の雑踏の中に紛れて見えなくなった。
挨拶ぐらいはしてもよかったかなと後悔する俺に気づいたのかスミオが慰めるように肩を叩いてきた。
なんでもない様に笑ってまた歩き出す。
駅に着いた頃には、バレンタインのことなんてすっかり頭から消えていた。
「………。」
そんなことがあったのはつい三日前のことで、今俺は滅多に立たないキッチンの前で困っていた。
バレンタインのことを思い出したのがつい昨日の夜のことで、今日が特にすることもない日曜日だということで少しイベントに肖ってみようと考えた昨日の自分を怒鳴りつけたい。
まだ熱い鉄板の上には真っ黒になってしまったクッキーになるはずだった物体が変なにおいを漂わせていて、食欲なんて湧いてくるはずもない。
やっぱり慣れないことはしないで大人しく寝ていればよかった。
早く捨てて全部忘れよう、と、ゴミ箱に残骸を捨てようとした時、突然チャイムが鳴った。
親もいないので居留守を使おうと腹を括った俺にも関わらずに何度も何度もインターホンが押される。
仕方なくドアを開けると、一番に見えたのはスミオの笑顔だった。
「ようモト!諦めてはダメだぞ!」
「…ちょっ…どうしたんだよスミオ…!」
「灰葉君だけじゃないわよ。」
「そうそう。」
俺の両肩を掴んでがくがくと揺さぶるスミオを止めて、後ろを覗き込むと九条院さんや会長までe-testに一緒に参加した人が崇藤さんを除いて全員が集まっていた。
普通なら到底集まらないメンバーに、わざわざスミオが声をかけて集めたことが分かる。
意味が分からなくてスミオを問いただす前に、スミオの持っていた夢日記のあるページを差し出される。
今日の日付が書かれたそこには雑な字でこう書いてあった。
『おくびょうがたくさんがんばりました。でもしっぱいしました。おくびょうはひとりでなきました。』
「…なんだよこれ…。」
「うむ。今朝日記を確認したらこうなっていたのだ。モトが泣くのは嫌だからな!」
「いや泣かないって。てかそんなことでみんな呼び出したのかよ…。」
「そんなことではない。学校の生徒の危機は会長である僕の危機でもある。つまり君のピンチは僕のピンチでもあるのだ。」
真顔で拳を握る会長も、同じように頷くみんなも、少し天然の気が入っているのかもしれない。
親が留守なこともお見通しなのかずかずかと勝手に家に上がりこんでくるスミオを筆頭に家の中に入っていく面々を見て、自分でも気づかないうちに溜息が零れていた。
………いや、楽しいのは大歓迎だけど。
「うむ!ようやく完成したな!」
「俺ほとんど何もしてないけどな…。」
結局みんなが手伝ってくれたおかげでちゃんと食べられるものは完成したけど、逆に言えば俺は何もしてない気がする。
使った道具を洗ったり、つまみ食いしようとするスミオを止めたり。
考えれば考えるほど何もしていないような気がしてきた。
「うぅぅ…。」
「何を唸っているのよ。ほらみんなも、早く帰らないと崇藤君との約束の時間になっちゃうわよ。」
「え?」
「そういえばそうだったな!」
「全く…灰葉、お前が立案したんだろう?」
「すまんすまん!すっかり忘れていた!」
「え?え?」
話の分からない俺を置いてみんなが帰り支度をし始める。
約束?時間が来る?なんの話だ?
「だから、今からここに崇藤さんが来るのよ。」
「……なんでっ!?」
「スミ君が呼んだんだよーっ。」
「なんで!?」
理由を聞いても結局何もわからなかった。
どうしようどうしようと慌てる俺に向かってスミオが親指を立てて見せてきたので思い切り背中を叩いておく。
痛い!と悲鳴が聞こえた気もしたけど聞こえない振りをする。
何やってんだ!
どうしてそんなに怒っているのだ!?
なんていう間抜けな口喧嘩の最中、先に外に出ていた会長の声が聞こえた。
「おい灰葉、来たようだぞ。」
「何っ!?もうそんな時間か!?」
「だからさっきから時間がいないと言っているだろう。」
「仕方ない…行くぞモトっ!」
まだエプロンも外していないのに背中を押されて必死で抵抗する。
でも、三日前とは違い、全員に背中を押されて今度こそ無理矢理外に出された。
家の前には前と同じ恰好をした崇藤さんがいて、手に押し付けられたクッキーの入った袋を握りしめたままその前に立たされる。
突然のことに話すこともできない俺に、頑張れよという妙な鼓舞だけを残してみんなは帰って行った。
道のど真ん中で立ち尽くす俺と崇藤さんを、通りがかった人が不思議そうに見ながら通り過ぎて行った。
ようやく我に返って恐る恐る声をかけてみる。
「…あ…あの…。」
「灰葉に呼ばれて来たんだが、あの様子じゃあいつの用事じゃないみたいだな。」
「み…みたいですね…。」
「…で、お前はなんなんだ?」
なんなんだと言われても俺が一番意味が分からない。
焦るだけであーだのうーだの意味のない言葉しか話せない俺を呆れた様に見ていた崇藤さんの目が、手元のクッキーの袋を見て止まった。
とりあえず、これを渡せばスミオ達は満足なんだと思う。
可愛らしい包装紙でラッピングされてしまっているクッキーを手元に押し付けるように渡して、崇藤さんの顔を見ないように俯いた。
見た目で判断するのもあれだけど、あんまり甘いものは好きそうじゃないしもしかしたら突き返されるかもしれない。
渡してすぐに家に入ればよかった、と、帰るタイミングを完全に失ってから後悔した。
しんと静まり返ってしまった空間に、今にも逃げ帰りたいような気がする。
どうしようどうしようと地団太を踏みたくなるようなもどかしさをどうにか堪えていると、ぽん、と頭に何かが乗った。
「モト。………もらってくぞ。」
「………。」
頭に乗った何かは撫でるように数回動いた後で、足音と一緒に離れて行った。
しばらくして顔を上げると、そこには崇藤さんはどこにもいなくて、残っていたのは誰かの手の感覚だけだった。
「………タケマルさん。」
なんでだろう。
どうしてかはわからないけど、無性に胸が締め付けられるような気がした。
でも俺は、それに気づかないフリをしてどうしようもなく切なくなる胸を押さえた。
【それでもやっぱりこれは恋だった。 終】
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