【enigme‐エニグマ‐】

□たった三十分の安眠。
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e-testが始まってからおよそ四時間が経った。
二つのパスワードは見つかったけど、影に攫われた祀木先輩はどこに行ってしまったのかはわからない。
全員が保健室に集まって寝ているのに、どうしようもなく心細くなって俺は全く寝つけなかった。
朝になればすぐにまたパスワードを探しに行かなければならないんだし、寝ておかないと体が持たないとスミオに注意されたばかりなのに。

「……どうしよう。」

窓際に椅子を寄せて体を丸めてみても、目は冴えてしまっていて一向に眠れそうにない。
九月中旬でも夜になるとそれなりに寒い。
悴んでいる指先はもう赤くなっているんだろうなと思いながら冷たい指に息を吐きかける。
どうしてか腹も痛くなってきた。
トイレはすぐそこにあっても、廊下には影とか言う名前の化け物が徘徊している。
祀木先輩が影に捕らわれてしまったとみんなが騒いでいる中で、一人で廊下に出ようとは思えなかった。

「(化け物、か。)」

『お前もあのガキと同じく頭の変な奴なんだな…。「物を消す」なんて気持ち悪ぃっ…!』

数時間前の言葉を鮮明に思い出してしまってぞわりと背筋が粟立った。
あの人の言うとおり、こんな気持ちの悪い力を持っている俺は化け物なのかもしれない。
スミオみたいに受け入れてくれる奴も、拒絶する奴もいるんだってことがはっきりわかってしまった。
だからこそ、このテストに合格して呪いを解いてもらうんだ。

そう決心した途端にまた始まる腹痛に、本当に泣いてしまいそうだと情けなさを噛み締めながら抱えた両膝に額を付ける。
寝ようとしてもあの人の言葉ばっかりが頭の中をぐるぐる回って、いやだいやだと唱えているうちに気分まで悪くなってきた。

「(トイレはすぐそこ…。走ったら影にも見つからないかもしれない。)」

眠る前に食事を摂ったのも間違いだったのかもしれない。
とりあえずは胃の中のものを吐き出してしまおうと込みあがる吐き気と湧き上がる恐怖を抑えて立ち上がる。
足音を立てないようにゆっくり歩き扉に手をかけた瞬間、誰かに足首を掴まれ思わず声が漏れた。

「ひっ!?」

「どこにいくつもりだ。」

「え、いや…あの…。」

俺の脚を掴んだのはさっきまで俺の頭の中を巡っていた声の本人で、見知らぬ誰かではなかったことに少し安心してしまった。

「まさか、一人だけパスワードを使って助かろうって言うんじゃないだろうな。」

「ちっ、違う!」

どんなに臆病だと思われても、俺のことを認めてくれたスミオ達を見捨てて逃げるような奴にはなりたくない。
トイレに行きたかっただけだ、としどろもどろになりながら告げると、疑るような冷たい目で俺を見た後で立ち上がり近くにあったバットを手に取る。
殴られるのかと身構える俺を他所に、静かに扉を開けて出て行った崇藤さんを見ていると、突然立ち止まり俺を振り返った。
多分、『お前が怪しいことをしないように見張っておいてやる。』ってことなんだろう。
一人で行くのはやっぱり心細かったから俺にとっては嬉しいんだけど。

怖い人でも今ほど頼もしいことはないな、なんてさっきまでの恐怖なんて忘れて廊下に出る。
扉を閉めると、ガチャリと扉を施錠するような鈍い音がした。

「え?」

「どうした?」

「いや…なんか、鍵がかかったみたいな音が…。」

「はぁ?」

もう一度扉を開けようとした瞬間に鳴り響く校内放送の音。
ぎょっとする俺を他所に、無情にも校内放送は始まった。

≪…―――タカハシさんがいらっしゃいました 生徒は至急お迎えにあがってください 繰り返します タカハシさんがいらっしゃいました 生徒は至急お迎えにあがってください―――…≫

「影…!!」

「ちっ、なんで鍵がっ…。おい!さっさと開けやがれ!」

「タケマルさん!?モトくん!?」

「どうして外にいるのだ!?」

「鍵がっ…開かないよっ…!」

放送でスミオ達も目が覚めたのか、保健室の中も騒がしくなってきた。
鍵が開かないらしい。
そこまで考えてようやく理解した。

「二人とも、早く教室に入らないと…!」

「これもまたエニグマとか言う奴の仕業か…?とりあえず別の教室に行くぞ!」

「あ……あ…。」

「おい!何腰抜かしてんだ!」

危ない。
早く、早くしないと、俺も、先輩みたいに…!!
そう思っているのに足が動かない。
冷や汗が止まらなくなってきた頃、また大きな舌打ちをした崇藤さんが俺の腕を引っ張って走り出した。
後ろから、スミオの声が聞こえてくる。
それに返事をする余裕もなくて、俺はただ引っ張られるままに一心不乱に廊下を走った。


「ちっ、ここもかよ…!なんでどこもかしこも鍵がかかってやがるんだ!」

大分校内を走り回ったけれど、さっきまでは空いていたはずの教室や職員室の鍵も閉まっていてどこにも入れなくなっていた。
俺も、気分が悪くてもう走れそうにない。
絶望的な状況にその場にへたり込んでしまった俺を見て、また崇藤さんが舌打ちをした。
自分だって情けないと思うんだ、呆れられて当然だと思う。
それでも、廊下の奥で蠢く黒い影を見た時は自分でも何が何だかわからないほどに気持ちが高ぶっていた。

「(怖い。怖い、だめだ。駄目だ。ダメだ。このままじゃ二人とも捕まる。どうしよう。どうすれば。)」


俺を見るな。

俺を見つけるな。


俺達を見るな。

俺達を―――。


「俺達をっ……見つけるなぁっ!!!」


俺の呪いがどんな風に作用するのかはわからないけど、無我夢中になって隣に立っていた崇藤さんのコートを掴む。
必然的にしがみつく様な形になってしまったけど、そんなことを気にしている余裕は今の俺にはなかった。
コートに顔を押し付けて、見るな。見つけるな。と何度も何度も呟いて影がいなくなるのを待った。

何分経ったのかもわからない。
そっと顔を上げて廊下を確認しても、どこにも影の姿は見えない。
成功したのかどうかもわからないけど、とりあえずは助かったらしい。

「よ…よかったぁ…。」

「………お前の力、嘘っぱちじゃなかったんだな。」

「え…?」

「さっき、ガラスに写ってた俺の姿が消えた。」

「影は…?」

「本当に見えなかったみたいだ。普通に通り過ぎて行ったぜ。」

ほっと安心したのも束の間、気が緩んでしまったのかまた吐き気が込み上げてきた。
保健室に戻ろうと崇藤さんが歩き始めているのに、立ち上がるどころか座っていることすら辛くなってくる。
こんなことをしているうちにまた影がやってきそうで、壁を支えにしてなんとか立ち上がると地面が大きく揺れた。
実際には俺の体が倒れかけただけなんだけど、軽い地震が起きたみたいだった。

「何してんだ。」

「…ごめ…気分、悪くて…。」

「はぁ…。」

倒れそうになった体を崇藤さんが支えてくれる。
面倒くさそうに吐き出されたため息にまた謝ろうとすると、更に酷くなった吐き気に完全に足から力が抜けてしまった。
それでもまだ片腕一本で支えてくれる崇藤さんに、情けなくて情けなくて今度こそ本当に涙が出てくる。
なんとか涙を堪えようと目を閉じた途端、突然体が浮遊して不安定に揺れた。
荷物でも運ぶように俺を肩に担いで、崇藤さんはそのまま廊下を歩き始める。
ぐらぐらと揺れる体が限界を訴えかけた頃、それを察してくれたのか崇藤さんが近くの教室に入った。
どこかの準備室なのか、先生の私物が大量に持ち込まれていて、真ん中に置いてあったソファに寝かされた。
お礼を言おうとしても口を開くと本当に吐いてしまいそうで、口元を押さえることしかできなかった。


軽く眠ってしまっていたのか、目を開けると太陽が昇りかけたところだった。
大分体も楽になっていて、そろそろ保健室に戻らないとスミオ達も心配しているだろうと思い起き上がる。
ずるりと肩から何かがずり落ちて、床に落ちそうになるそれを慌てて掴む。
どこかで見たことのある布を広げて眺めていると、後ろから伸びてきた腕がそれを奪った。
振り向くよりも先にまたその布が俺の肩にかけられる。
その布が崇藤さんのコートだと気づいた時には、右側頭部を掴まれてソファに押し付けられていた。

「寝てろ。夜明けまでまだ時間がある。」

「え…。」

「……足手纏いになられちゃ困るからな。」

椅子に座ったままそっぽを向く崇藤さんは、思っていたより怖い人じゃないのかもしれない。
起きたらちゃんとお礼を言おう。
そう思いながら目を閉じると、薄いはずのコートがすごく暖かく感じた。


【たった三十分の安眠。 終】


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