企画・記念日用小説

□竜眼に魅入る
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「小十郎っ!」


背後から己を呼ぶ声に片倉小十郎は振り返った。
長い廊下の向こうから大股でどすどすと近づいてくる青年の足元を見て、自然と眉根に皺がよる。
目の前まで来た青年は元来の身長差もあってか自身の腰に手を当てながら男の顔を覗き込んできた。
不覚にもその仕草にときめいてしまった小十郎は、一つ咳払いをすると両手に持っていた書物や地図を持ち直した。

そんな小十郎の心情など微塵も察していないらしい青年――伊達政宗は何を思ったのか首を傾げながら問い質してきた。


「そんなに怖い顔してどうしたんだよ?stressは体に毒だぜ?」
「…政宗様、何故足袋を履かないのですか。」
「だって今日雨降ってるじゃねぇか。足袋で廊下を歩くと滑るんだよ。」


むぅ、と童のように頬を膨らませた一国の主に小十郎は日頃の気疲れも吐き出すように盛大な溜め息を漏らした。


「だってではありませぬ。足の裏が汚れると何度も何度も…ッ」
「シャラップ!いいからついてこい、小十郎。」
「はっ?ちょっ、引っ張らんでください!」
「いいから!どうせその手に抱えているやつを片付けるだけなんだろ?」
「ッ、しかし…!」
「いいから黙ってついて来い!」
「まっ、政宗様!滑りますからお離しくださいっ!」


珍しく慌てたような声音で政宗に連行される右目の姿に、家臣たちは何事かと遠巻きに様子を窺っていた。

馬に蹴られる――奥州の暴れ竜の逆鱗に自ら触れるなどもっての他。
とばっちりという名の被害を最小限に収めるべく、彼らの気苦労は堪えない。

面白半分で双竜と名高い上司二人に介入する怖いもの知らずは伊達にはいるはずがないのだ。

その理由(わけ)を具体的に言い表すならば、彼の後ろに常に従う“黒龍”の存在が何よりも大きい。
主君命を掲げる男の噂は今や他国にまで轟いている。
家臣の鏡と称される竜の右目はその実、大変嫉妬深いのだ。

ここで政宗に話し掛けて変な誤解を生むのは御免である。

――ただ、横柄で気儘な主による突飛な行動の一番の被害者であるはずの男が、政宗に半ば引き摺られながらもどこか嬉しそうな面持ちであったことは誰の目から見ても明らかだった。








自室についた政宗は、小十郎から手を離すと部屋の奥へと向かった。
またもや小さな溜め息をついた小十郎は、畳の上に、抱えていた書物をそっと置いた。
先程の応酬で乱れた袷を手早く直し、しゃん、と背筋を伸ばして座っていると、短刀を手にした政宗が戻ってきて小十郎の正面にどかりと腰を降ろした。

何をするつもりなのか主の行動が読めない小十郎は、若干困惑気味に政宗と短刀を見比べる。
政宗は黒漆の鞘に入ったままの短刀を小十郎に押し付けて真顔で言い切った。


「髪、伸びた。」


暫しの沈黙。
政宗が何を言いたいのかようやく理解したときには、自分の手元に短刀があり、彼は背を向けていた。


「…あの、政宗様。」
「ん?」
「…まさか、このために…」
「髪がばさばさいって鬱陶しいんだよ。さっさと切ってくれよ。」
「…他の者は、」
「だってあいつら俺が頼むと“小十郎に殺されるから”って半泣きで謝ってくるんだぜ?」
「……承知致しました。」


政宗が散髪を頼んだであろう家臣や小姓が、自分の名を出してお役目を辞する様が容易に想像できてしまうあたり、彼に対する独占欲が外に漏れ出ているのは明らか。

周りがあからさまに散髪を断るのは、“罷り間違って政宗の肌に傷をつければどのような目に会うか”という危惧があるからだ。
彼自身はそんなに気にしない掠り傷であったとしても、小十郎から何を言われる(される)か。

まあ、小十郎本人も自分以外に主に触れる者がいたら只じゃおかないが。


「…では、政宗様こちらに。」
「おう。」


懐に忍ばせていた手拭いを敷いた小十郎は、その上に政宗を促した。


「何か羽織るものを持って来させましょうか。」


切った髪が着流しの中に入るのを心配して小十郎が問えば、政宗は徐に上半身の着物を脱いだ。


「まっ、政宗様…」
「一々持って来させるのも面倒だろ?」


これだったら楽だし、と再び正面を向いた政宗。
小十郎の眼前には、政宗の白肌があった。
傷一つないしなやかな背に、程よく筋肉のついた上腕。引き締まった腰回り。
普段は褥でしか見ることが叶わない光景に思わず手が止まってしまった。
慌てて政宗から体ごと背けると、額と目を片手で覆って空を仰ぎ、気を落ち着かせる。

…昼間は刺激が強いかもしれない。


「?…小十郎?」
「あっ…はい。只今。」
「??」


どうやら幸いにも彼には気づかれていなかったらしい。
ほっと胸を撫で下ろしつつ、政宗の髪を一房持つ。


「…危ないので動かないでくださいね。」
「俺はガキか。」
「少なくとも小十郎の袴を掴んでいるうちは判断致しかねまする。」
「!!?」


無意識のうちに、後ろに座る小十郎の膝を掴んでいたことに政宗は気づいた。
一気に顔を紅潮させると、男の膝を平手打ちしてそっぽを向く。


「行儀が悪いですぞ。」
「うるせぇ!!てめぇも何気に距離を詰めてんじゃねぇよっ!!」
「梵天丸様の頃にはこうして御髪を整えておりましたな…」
「シャラァアアアアップッ!!」
「小刀が怖いと小十郎の膝にすがりつくものですからなかなか進まず…」
「わぁあああああああッ!!」


まるで親が子どもの昔話をするように、小十郎は政宗の反応を楽しんでいる。
一方の本人は気恥ずかしさもあって両耳を塞ぎ、小十郎の膝に顔を埋めていた。

子どもらしい仕草に小さく笑った小十郎は、しゃんとしてください、と政宗の身を起こし、己に背を向けるように座らせた。
何やらぶつぶつと文句を言いながらも素直に従った政宗の艶やかな髪を丁寧に切っていく。
後ろはこれからの季節も考え、少しだけ削ぐように斜めに刃を入れる。
髪の毛が背中を滑っていく感覚がくすぐったいのか政宗は時折肩を震わせたり、肩口を掻いていた。

後ろを一通り切り揃えたところで、小十郎は目の前の白い背にふっと息を吹き掛けた。
びくりっ、と大袈裟に反応した政宗が後ろめたそうな視線を向けてくる。


「…小十郎。(怒)」
「御髪がついてましたので。」
「…ぜってぇわざとだろ。」


いけしゃあしゃあと応える小十郎(笑顔)に何を言えるわけでもなく、政宗は火照った頬を冷ますために前を向いた。


「政宗様。前髪を切るのでこちらに体を向けてください。」
「…おう。」


すっかり小十郎に乗せられてしまったような気もするが、自分から頼んだ手前拒める術もなく体を反転させた。

予想通り、にこりと微笑む小十郎と目が合うと、照れ臭さもあってぷいっと顔を逸らす。


「正面を向かないと危ないですよ。」
「うぅ〜〜…」


大きな掌で顔を包まれ嫌でも小十郎と向かい合わなくてはならなくなり、政宗は動悸を抑えるのに必死になっていた。


「…緊張してるんですか?」
「な、なっ…!ちっ、ちげぇよ!!自惚れんな!!ほらっ…早く切れ野菜バカッ!!」


政宗に触れたところから彼の心音が伝わった。
バクバクという心音を指摘すれば、罵詈雑言という名の照れ隠しが炸裂する。
それさえも愛しいと思える自分はかなり重症かもしれない。
すっかり彼に骨抜きにされて、自分だけが見れる竜の素顔に僭越を越えて優越さえ覚えている。

込み上げてくる笑いをなんとか押さえつつ、小十郎は、顔を赤らめつつもやっと大人しくなった政宗の前髪に触った。


「では、失礼して。」
「早くしろ。」


今までのやり取りですっかり機嫌が悪くなったらしい。
腕を組んでむくれている主の前髪を慎重に切っていく。

長く縁取られた睫毛から覗く、少し伏し目がちになった政宗の左目。
普段は対して気にならないが、彼の瞳孔はどちらかというと縦に割れているように見える。

黄金色の瞳は光の加減で一際綺麗に見えた。


「…おい。」


一身に視線を受けながらの散髪に耐えきれなくなった政宗が上目遣いに小十郎を見る。
途中で手を止めたままだった小十郎は、徐に鞘を引き寄せると小刀を納めてしまった。
小十郎のその行動にひくり、と政宗の口許が歪んだ。


「…まだ終わっていねぇぞ。」
「いえ、これくらいの長さがよろしいかと。」
「はあっ!?何言ってんだよ!!」


もっと短くしねぇとすぐ伸びるっ!と、抗議する政宗は、小十郎から小刀を奪おうとするが、端から見れば玩具にじゃれる猫のようにあしらわれる始末。
悔しさから低く唸る主に苦笑した小十郎は、政宗を抱き寄せた。

いきなりの抱擁に驚いた政宗が抜け出そうとするも、なかなか上手くいかず、最終的には小十郎の腕の中に収まることとなった。


「…なんだいきなり。」


ただ自分を抱き締め肩に顔を埋める腹心に疑問ばかりが浮かぶ。
小鳥の鳴き声以外は何も聞こえない静寂に居心地が悪くなった政宗は、小十郎の背中に手を回し、指先を掠めた男の襟足を弄り始めた。


「……政宗様。」
「ん〜?」
「くすぐったいです。」
「だってお前何も言わねぇからつまんねぇし。」


つぅ、と日に焼けた精悍な首筋に政宗の指が辿ると小十郎が微かに体を震わせた。
顔を上げて政宗の表情を見れば、予想通り悪戯っぽい笑みを浮かべていて。


「…政宗様。」
「そんな眉間に皺寄せんなよ〜。」
「誰のせいですか誰の。」
「うおっ!?」


いつの間にか天井と小十郎の顔を見上げる体勢となり、政宗は小十郎に押し倒されたのだと思い至った。
普段の小十郎であればあり得ない行動に体が固まってしまった。
慌てて起き上がろうとすれば体を押さえ付けられ、髪に頬に鼻先に眼帯に唇に優しく口付けられる。
右目の瞼にも口付けを落とされると、くらくらと目眩のような感覚さえした。


「ん…小十郎…」
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